おせっちゃんの今日2

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家風

2021-06-24 16:55:03 | わが家の話

昨日、国民性についての小川さやかさんのお話をご紹介いたしました。
国民性の違いに比すればまことに小さなことですが、自分が生まれて育った家々の家風の違いもありますね。

私の体験です。嫁いでからも舅姑と同居することはなく、年に1回程度帰省するくらいのことでしたが、新しい家になれることは、カルチャーショックをいくつも経験することでした。その一つの例。
私の父はお酒は飲まない人でした。もし飲む人であっても、手に入らない時代でもありましたが。食事はちゃぶ台の周りに家族全員が決まった位置で並び、父が「それでは戴こうか、いただきます」と音頭を取り、全員が「いただきます」と声を揃えて始まることになっていました。

夫の父親は大のお酒好き。お料理がちゃぶ台に並ぶのを待てないのです。一人でちびちびと始めていました。やっとテーブルの準備ができたところで席に着くのですが、いただきますの音頭をとる人はいません。それぞれが小さな声で挨拶らしきものを言ってばらばらとはじまるのです。その家風になれない私は何時食べ始めればいいのか分からず、ぐずぐず様子を見ていたのです。
「おせっちゃん、具合でも悪いかね、欲しくないかねえ」などと気を使わせてしまったりしていました。

夫と私の新家庭はそれなりに家風を作っていたとは思うのですが、夫の身についた食事の始め方は幾度直して欲しいと言っても直りません。私が温かいものは温かくと最後の仕上げをしている時、一寸待つということができないのです。一人でビールを開けて、さっさと飲み始めるのです。
アルコールに縁のなかった私ですが、お酒を飲むという家風にはじきに慣れて飲むようになりました。だから夫は一応自分が飲み始める時私のコップにも注ぎ分けてはくれています。でも待てないのです。私がテーブルに着くころには泡が消えた気の抜けたビールが半分はいったコップがしょぼんと置いてあるのです。

もうあきらめました。


国民性

2021-06-23 13:56:18 | いろいろ

今朝の朝日新聞文化面に、文化人類学者の小川さやかさんが経験を書いています。タンザニアでのこと。(おせっちゃんが要約しています)

海外旅行用品。日本人は手のひらサイズのアイロン、折りたためる湯沸かし器、栓抜きや鋏迄ついた小型ナイフ、携帯を充電できる懐中電灯、などなど、日本人の器用さで工夫しつくした製品を持ち歩く。タンザニアの友人たちは今度はどんな新兵器が出て来るかのぞき込む。

その場では驚いて興味を持ってくれるけれど、すぐに関心を失う。
一つには、そうした製品はあまり頑丈ではないから、タンザニアの過酷な環境では長持ちしないことを知っているのだ。
次に、「小型」ということが彼らの生活スタイルに合っていない。

彼の国ではなんでも大きめサイズを好む。成長しても着られる衣服や靴。来客で人数が増えても間に合う大きめの鍋。折り畳み傘をプレゼントしたら、「これでは知人に会った時、入れて上げられない」と子供にやってしまった。

かれらはシェアを想定して暮らしている。
旅先でアイロンが必要になったら、ホテルの従業員にお願いしたり、出会った人に貸して欲しいと頼む。シェアや融通を想定した彼らの持ち物に、個人のものに拘っている私は窮屈を感じてしまった。

国民性の違い、面白い。

 


にわかファン

2021-06-22 13:43:03 | いろいろ

昨日、美容院へ髪を切りに行きました。
もう30年ほどもお世話になっている美容師さんで、やってもらう間の会話も楽しみの一つです。完全予約制で、なるべく客同士が重ならないように、貸し切り状態で予約を受け付けてくれます。コロナ時代には安心感があります。

大抵の場合、椅子前の壁には小型のテレビがつけっぱなしになっています。時計代わりと本を眼鏡なしでは読めない人に対するサービスのようです。
昨日はニュースショーの時間でした。「オオタニサ~ン」が活躍していました。

「大谷君良いわねえ。今これだけが明るい話題だもんね」
「お客様がみんな同じ事をおっしゃいます」
「コロナ自粛で沈み、ワクチンの副作用で不安になり、オリンピックでは喜べない開催と有識者や国民の声が一向に届かない曖昧さに、無力感を感じないわけにはいかず、時は梅雨とて天候もさえないし、明るい気持ちになれないからね」
「そこに表れたヒーロー。顔も姿も感じ良し。受け答えも真面目で、高感度100%」
「そしてあれだけヒーローに祭り上げられても、高ぶったところはなく、また、親がしゃしゃり出てこないところもいいわねえ」

「お客さんが皆、あんな息子が欲しいわ、どんな育て方をなさったのかしらとおっしゃるのよね」
「持って生まれた才能は勿論あるのでしょうけれど、やはり蔭でどれほどの努力をしていることか、とにかく野球の神様に愛でられた人なのよ」
 「『野球が好き!!』という気持ちが伝わって来るわね」

「今までアメリカに旅行したいと思わなかったけれど、始めて行って生で見たいと思ったわよ。あのオオタニサ~ンのTシャツが欲しい!!記念に配ったものだというから無理ね。お金では買えないわよね。近々クッションが配られるんだってよ。欲しい!!無理ね」

婆さん二人が(美容師さんは70台)次のお客様がいらっしゃるまで盛り上がっていました。自粛ストレスの解消薬はこれに限るかな。

 


今日が一番若い

2021-06-21 14:37:18 | 日記

昨日、目出度く(?)83歳の誕生日を迎えました。もらい物のソーメンが、老人二人には多すぎるので息子Kに取りに来させました。近所の美味しいと評判のお寿司を取って三人で祝ったのでした。
あ、そうです。夫の「父の日祝」も一緒に。

83歳。平均寿命が延びて、100歳が目標などと言われもしますが、私はそこまでは勘弁してほしいと思っています。只今からの人生を明るく、幸せに生きていこうと思っています。

何時どなたから聞いた言葉かは思い出せないのですが、こんなご意見が記憶にあります。
「人はとかく、過去を振り返って、懐かしい、幸せだったと言います。でも過去を振り返ることが幸せにつながるものではなく、幸せは未来へのスタートラインに立つことでです」

今から未来に向かってスタートを切るということは、その世界では今日が一番若い時、ということです。老い込んではおられませんね。未知のものに向かって進むことに幸せを感じましょう。どっこいしょ。

 


若者はサプライズがお嫌い?

2021-06-18 12:28:39 | テレビから

私の雑学はほとんどテレビと新聞からです。読書も加わりますが、齢とともに自慢だった目がおぼつかなく、読書力は大いに減退しました。おまけに、私が親しむ作家は現在の最先端の作家ではありません。若かりし頃に親しんだ方々です。

というわけで、今朝も9時半の医者の予約時間を気にしながら、いつもの羽鳥モーニングショーを横目で。

口明けの話題は「あなたはサプライズはお好きですか」という切り口からの最近傾向。

結論から言うと、現在若者はサプライズの贈り物は「嫌だ」という人が多い。彼彼女の親の代・・・50・60台の人は「好き」だということのようです。

夫婦がデパートらしきところで買い物中。奥さまの言。
「サプライズ、好きですよ。嬉しさが倍増です。二人で買いに行って、ああこれがいいのか,買ってあげるよ、なんて贈られたのではねえ、いやです」。

それに対して若者。
「気に入らないものをもらっても困る」「一番欲しいと思っているものをもらえたら嬉しい。前もって希望をそれとなく探って、準備してくれると嬉しい」
「気に入らないもので、嬉しそうな顔をしてくれないなんて、寂しい」

こうしたそれぞれの言葉を総括するようにコメンテーターが言う。
「今の若者は、ネットに渡した時の反応を画像にして投稿する。その時のもらった者の笑顔が最高のものでなければ贈るというイベントは不成功」「サプライズでは笑顔を作る余裕がない。固い笑顔、気に入らない曖昧の笑顔では双方ともに気に入らない」「投稿動画が嬉しさめでたさを証明しないと気に入らないのである」と。

う~ん、もはやプレゼントするされるの喜びではないのですね。いかに画像に「いいね」が付くかどうかなのか?

翻ってわが青春を思い出してみると、ボーイフレンドから(今やじ~じフレンドですが)プレゼントをもらったなどという記憶がない。お互いいっぱいいっぱいの貧乏学生、授業の隙間を二人で歩き回るくらいが関の山、それでも幸せだったけれど。

ああ思い出しました。ある年の私の誕生日、奢って二人で喫茶店に入っていました。席のソファーはビロード風の布張りで、背もたれはひし形を連ねたようになっており、その交点には金属のボタンが付いておりました。ボーイフレンドが何かごそごそしています。右手を後ろに回してそのボタンを一つ引きちぎったのです。「はい、今日の記念」。嬉しかった。学生生活を終え、二人違った道を歩みましたがそのボタンはずっと私の机の引き出しに仕舞われていました。喫茶店の方は困られたでしょう、お詫びいたします。
そのボーイフレンド、いまも手紙をやり取りする仲です。すでに曽爺ちゃんになっています。覚えているかな?いないだろうな。