明け方には初雪が降ったそうだが、きのうの日中は思いのほか好天気に恵まれたので、以前から一度は行ってみようと思っていた「志村城址」を見に行ってきた。
その時の様子を書いてみようと思う。
「志村城址」は、都営三田線の「志村三丁目」駅からほんの数分先の城山といわれる高台にある。
崖に沿って「志村城山公園」という横長の公園があるが、入口を入った左手、崖に設えられた階段を登っていくと、熊野神社の裏手に出ることができる。
「志村城山公園」の入口、この門を入って左手の階段を登る。
階段を登りきった所、右手の金網の中が熊野神社である。
この道路の途中から境内に入ることもできるが、ずっと先の丁字路を右折した所が熊野神社の参道入口である。
「郷社熊野神社」と記された石碑が鳥居の脇に建っている。
参道はかなり長く、右手は「城山幼稚園」の敷地となっている。
鳥居をくぐってすぐ左手に「板橋区史跡 志村城跡」の石碑と板橋区教育委員会による説明板が設置されている。
そこには、『志村城は、康正2(1456)年に千葉自胤(よりたね)が赤塚城に入城した際、一族の千葉隠岐守信胤が入城して、赤塚城の前衛拠点とした。
本丸は志村小学校を中心とする一帯の丘陵地で、出井川と荒川をめぐらせ"守るに易く攻めるに難し"といわれる堅城であったが、大永4(1524)年に北條氏綱に攻められ落城した。』と記されている。
こちらが社殿である。
境内は志村城の二の丸にあたり、社殿は古墳の上に建てられているとのことである。
その時の様子を書いてみようと思う。
「志村城址」は、都営三田線の「志村三丁目」駅からほんの数分先の城山といわれる高台にある。
崖に沿って「志村城山公園」という横長の公園があるが、入口を入った左手、崖に設えられた階段を登っていくと、熊野神社の裏手に出ることができる。
「志村城山公園」の入口、この門を入って左手の階段を登る。
階段を登りきった所、右手の金網の中が熊野神社である。
この道路の途中から境内に入ることもできるが、ずっと先の丁字路を右折した所が熊野神社の参道入口である。
「郷社熊野神社」と記された石碑が鳥居の脇に建っている。
参道はかなり長く、右手は「城山幼稚園」の敷地となっている。
鳥居をくぐってすぐ左手に「板橋区史跡 志村城跡」の石碑と板橋区教育委員会による説明板が設置されている。
そこには、『志村城は、康正2(1456)年に千葉自胤(よりたね)が赤塚城に入城した際、一族の千葉隠岐守信胤が入城して、赤塚城の前衛拠点とした。
本丸は志村小学校を中心とする一帯の丘陵地で、出井川と荒川をめぐらせ"守るに易く攻めるに難し"といわれる堅城であったが、大永4(1524)年に北條氏綱に攻められ落城した。』と記されている。
こちらが社殿である。
境内は志村城の二の丸にあたり、社殿は古墳の上に建てられているとのことである。