お勤めの皆さん方は、17日からの三連休で日頃の疲れを癒されたことと思うが、私の方は、地元の氏神様である徳丸北野神社例大祭でクタクタだった。
17日の土曜日は、朝から昼頃までかかって御神酒所作りとお神輿の組み立てなどで大忙し。
一休みした後は、夕方5時ごろから宵宮祭という段取りであった。
各町会で宵宮祭が行われたはずだが、お膝元の宮元睦会(徳丸平和会)では、恒例通り神社周辺でお神輿をひと担ぎし、その後は宮元囃子連中の演じる里神楽を夜食をとりながら鑑賞した。
里神楽は、巫女舞と天孫降臨という演目であった。
18日の日曜日は徳丸北野神社例大祭の本祭で、午前中は4町会のお神輿が宮入りし、境内は多数の氏子で賑わった。
宮入りしたのは徳丸三交会、徳丸親和会、徳丸第一町会、宮元睦会(徳丸平和会)で、大人神輿4基、子供神輿2基の計6基だけだが、狭い境内はそれだけでも一杯であった。
各町会の代表者が神前でお祓いを受けている間、担ぎ手は手持無沙汰なのも恒例だが、ことしは巫女舞が奉納されたので、少しばかり間が持ったような感じがした。
式典終了後は順次各町会のお神酒所に戻り、午後からは町内巡行に移る段取りである。
宮元睦会(徳丸平和会)も昼食を済ませてから町内巡行を行ったが、非常に蒸し暑い最中を練り歩くのは、大人も子供たちも、かなりきつかったことだろうと思う。
かくいう私も、神輿も何度か担いだが、大うちわであおいだり 、重い神輿の架台を転がしたりの役回りもあって、例年なら4か所の休憩所ごとに缶ビールで喉を潤すのだが、2か所を過ぎてからは麦茶を飲むのがやっとだった。
町内巡行を終えてお神酒所に戻った時には疲労困憊の体だったが、すぐさまお神酒所の解体もしたので本当に疲れた。
直会(なおらい=慰労会)になってから少しは体調が戻ったが、いつもと違って、あまり飲み食いすることも叶わず、中締めと同時にそそくさと帰宅したような次第である。
17日の土曜日は、朝から昼頃までかかって御神酒所作りとお神輿の組み立てなどで大忙し。
一休みした後は、夕方5時ごろから宵宮祭という段取りであった。
各町会で宵宮祭が行われたはずだが、お膝元の宮元睦会(徳丸平和会)では、恒例通り神社周辺でお神輿をひと担ぎし、その後は宮元囃子連中の演じる里神楽を夜食をとりながら鑑賞した。
里神楽は、巫女舞と天孫降臨という演目であった。
18日の日曜日は徳丸北野神社例大祭の本祭で、午前中は4町会のお神輿が宮入りし、境内は多数の氏子で賑わった。
宮入りしたのは徳丸三交会、徳丸親和会、徳丸第一町会、宮元睦会(徳丸平和会)で、大人神輿4基、子供神輿2基の計6基だけだが、狭い境内はそれだけでも一杯であった。
各町会の代表者が神前でお祓いを受けている間、担ぎ手は手持無沙汰なのも恒例だが、ことしは巫女舞が奉納されたので、少しばかり間が持ったような感じがした。
式典終了後は順次各町会のお神酒所に戻り、午後からは町内巡行に移る段取りである。
宮元睦会(徳丸平和会)も昼食を済ませてから町内巡行を行ったが、非常に蒸し暑い最中を練り歩くのは、大人も子供たちも、かなりきつかったことだろうと思う。
かくいう私も、神輿も何度か担いだが、大うちわであおいだり 、重い神輿の架台を転がしたりの役回りもあって、例年なら4か所の休憩所ごとに缶ビールで喉を潤すのだが、2か所を過ぎてからは麦茶を飲むのがやっとだった。
町内巡行を終えてお神酒所に戻った時には疲労困憊の体だったが、すぐさまお神酒所の解体もしたので本当に疲れた。
直会(なおらい=慰労会)になってから少しは体調が戻ったが、いつもと違って、あまり飲み食いすることも叶わず、中締めと同時にそそくさと帰宅したような次第である。