じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

瞑想の時間

2006年11月11日 | 日々のこと
かみさんと連れ立って近くのN温泉(健康風呂)へよく出かける。
大抵は寝る前、夜9時を過ぎて入浴客のピークも過ぎている時間帯。
かみさんの長風呂と付き合うために、いつもぬるま湯(35,6℃)の源泉風呂に漬かり時間をやり過ごすことにしている。
露天の椰子ぶき屋根の中に5,6人が浸れるほどのちいさな浴槽があり、低温スチームサウナにもなっている。薄暗い中バンブー楽器らしき音色の音楽が流れ、頭上には満天の星空がしつらえてあるという演出。

目を閉じるとベトナムの旅が甦る。メコン川はこんなふうに濁っていて、なにもかも飲み込んで流し去るような大河だった。ジャングルの中の狭い迷路のような泥川を行きかう舟、途方もなく肥沃で巨大な果物が実る。雨水が溜まったような汚れた沼地で子供たちは水遊びをし、水草に覆われたポンドでエビや淡水魚を養殖していた。何処もかしこも泥水で、この国には一体清らかな泉などあるのだろうかとさえ思われた。しかし、生物も人間もそのような泥水の中から生まれてきたとも言われる。どこか根源的なものを呼び起こさせる不思議な国だったなあ。

いまこうしていると、泥湯の中は意外に気持ちよく安心して浸っていられるのである。
肩まで漬かると鼻先でどこか懐かしい鉄錆の匂いがする。
子供の頃の泥水遊び、山沿いの赤茶けた水の流れ込む田んぼの匂い、ああこれは原始から受け継がれてきたヘモグロビンの匂いのせいだろうか・・・

ある時は過ぎ去った時に思いを馳せ、これからの人生を考える。
私にとってまたとない瞑想の時間、瞬く間に1時間が流れているのであった。
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コメント (1)
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