じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

実存協同の鎖

2014年01月28日 | 日々のこと

 田辺元「死の哲学」より<o:p></o:p>

 「メメント モリ」 今朝の新聞で聞きなれない言葉に目が留まった。<o:p></o:p>

 何のことじゃい? オノパトペ・・・いや哲学の言葉らしい。<o:p></o:p>

 

ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句。<o:p></o:p>

日本では死生観という言葉が使われている。<o:p></o:p>

死は誰もが経験するはずなのに、実際に経験した人はこの世界に誰もいない。<o:p></o:p>

さまざまな宗教がそれぞれ異なった来世観を説くが、どれも証明は出来ない。<o:p></o:p>

 

自分の死は「死んだらゴミ」と言い放つ人も、身内の者が亡くなったら、<o:p></o:p>

ゴミなどとは思えないだろう。生き残った者は深い負い目を負う。<o:p></o:p>

この世の者、死者と何らかの関係を持たない人はいない。<o:p></o:p>

死者はある時には生者を責め、ある時には励ます。<o:p></o:p>

そうとすれば、自分が死んだらどうなるか、という以前に、<o:p></o:p>

死者とどのように関わるか、ということが問題になる。<o:p></o:p>

自己は死んでも、愛によって結ばれた死者は生者の中に復活して、生者を導く。<o:p></o:p>

そこに「実存協同」が生まれる。<o:p></o:p>

それは私たちの日常でごく普通に起こることである。<o:p></o:p>

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多くの哲学者たちはそれを見過ごしてきた。<o:p></o:p>

それに気づいた田辺が仏教に向かい苦闘の末理論化したのが「実存協同」<o:p></o:p>

大乗仏教の菩薩は死後もなお生者の中に復活して、衆生済度の愛に生き続ける。<o:p></o:p>

菩薩によって導かれた人は、今度は自ら菩薩として次に来る人を導く。<o:p></o:p>

そこに菩薩の「実存協同」の鎖が作られていく。<o:p></o:p>

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はなから難しい哲学が、何となく解るような気がする。<o:p></o:p>

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コメント (4)
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