じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

朝ドラ

2018年09月27日 | 日々のこと

 

「半分、青い」 もいよいよあと二日で終わりですね、楽しませてもらいました。

時は現代、東日本震災を織り込むとしても、長らく遠く離れていた漫画家時代の友人

ゆう子の死をあんな風にとらえるだろうか・・・ショックから立ち直れない。

 

律に勧められ岐阜に帰ったが、放心状態で落ち込んでばかりいる鈴愛

妻を亡くして一人になった律の父 弥一さんに、

「和子おばさんが亡くなってもこうしてちゃんと生きている弥一さんは強いね」

そんな鈴愛を前に、弥一さんが穏やかに語り掛ける言葉がかっこよかった。

「自分でもそう思っていた、ほやけどそんなことはなかった。これが何時まで経っても悲しい。

最近分かった、悲しみを乗り越えたわけじゃなくて、悲しみと共に生きている。

忘れられん、いつだって涙が出る。ほやけど生きとると時は進む、いいことだってある」

 

きみ子先生が続いて言うのでした。

「死んでしまった人が居なくなったわけじゃない、ここにおる。

私らは生と死の狭間に生きている、みんなそうや、ほしてみんな死ぬ。今は生きている。

生まれることも死ぬことも特別なことじゃない。

生まれることがめでたくて、死ぬことが悲しいというのは止むをえん・・・・・」

 

朝ドラはここ何年も欠かさず毎回楽しく観てきたのですが、

前回は何だったか、、前々回は何だったか、すっかり忘れているのですね。

 

次回作「まんぷく」

戦中戦後、我が世代とは言え最初はまた多分とっつきにくいのだろうけど、

見ているうちに引き込まれるのよね、されど朝ドラ

 

今日は写真が無いので、市内限定、10月から始まる13ヶ月カレンダー ?

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする