キャスパー・デービッド・フリードリッチ:Casper David Friedrich, (1774 - 1840).
ステージ・オブ・ライフ:Lebensstufen (1835). Museum der Bildenden Künste, Leipzig.
今回のレディーメードの記事のおかげで、キャスパー・フリードリッチに出会えたことは大変な収穫でした。 温故知新、故きを温ねて新しきを知ると言われますが、多くのアーティスツは彼の作品から学ぶ事は沢山あると思います。
キャスパー・デービッド・フリードリッチ:
The Giant Mountains (1830–35). 72 × 102 cm. Alte Nationalgalerie, Berlin.
ここまで絵画の流れを見てくると、もう次の動きが予測出来そうです。 フリードリッチの作品を例にしてみましょう、彼の風景画を見て、少し矛盾する表現ですが繊細でいて雄大、斬新でいてアカデミック、絵の中にドラマがありいつまでも見飽きない優れた作品です。 完璧で非の打ち所の無い絵の様に思われます、しかし描かれている事物がリアルではないと言う主張が出て来るのです。
キャスパー・デービッド・フリードリッチ:Seashore by Moonlight (1835–36). 134 × 169 cm. Kunsthalle, Hamburg.
メルヘン、寓話の世界と現実にある本物は違うのだと言う意見なのです。 美化理想化でなく自然体をあるがまま描写しようと言う動きが、ロマン主義的な作品が蔓延(まんえん)してくると出てきます、クールベの1855年「リアリスム館」で使われたことから、この絵画の流れをリアリズムと呼んでいます。
ギュスターヴ・クールベ: Gustave Courbet, (1819 - 1877).
画家のアトリエ 1854-55 オルセー美術館
英語でリアル・ワーキング・ピープルと言えば、実際に毎日汗を出して働いている人、本当に存在する人を意味します。 今の日本では、リアルの意味を子供でも知っていますが、このリアルのリアリズムは何故か「写実主義」と訳されています。 前にアルタミラの「壁画」は、「天井画」にするべきだったと書きましたが、この「写実主義」は大変誤解を招きやすく不的確な言葉の使い方だと思います。
ギュスターヴ・クールベ:『こんにちは、クールベさん』(1854) ファーブル美術館。
前に紹介した新古典主義の画家アングルの「王座のナポレオン」と写実主義のミレー、クールベの働く人々の絵を比べると、写実的に見えるのは新古典主義の絵で、それに比べてそれ程写実的に見えないのが写実主義の絵画です。 言葉の意味と目で見た感覚がずれてしまうので、理解出来なくなるのです。
ギュスターヴ・クールベ:『プロウドンと子供たち』(1865)
何故なら、この写実という言葉自体が微妙だからです。 古来から絵を描く事自体が、写実だったからで、この限られた時期に限って写実主義と呼ぶのはかなり無理があるようです。 そもそも、誰がリアリズムを写実主義にしてしまったか知りませんが、ここではリアリズムはリアル主義にします。
ギュスターヴ・クールベ:村の貧しい女
エル・グレコの処で紹介しましたがリアル主義以前、最も多く描かれたのは宗教画で次に肖像画でした、やっと風景画や静物画が描かれ始めたのは新古典主義以降でした。
ギュスターヴ・クールベ:『波』(1870) オスカー・ラインハルト・コレクション。
一枚の絵をプロデュースするには、絵の具やキャンヴァスの材料費と画家の人件費を出さないと出来ません、それが出来たのは宗教関係者、貴族、一部の金持ちと限られていました、その枠が広がって来た事はリアル主義の台頭と無関係とは言えないでしょう。
ギュスターヴ・クールベ:『石割人夫』(1848) ドレスデン爆撃(1945年)で焼失
クールベの有名な「石割人夫」で最も注目する点は、テーマが労働者だと言うことでしょう。 リアル主義の作家達は、働く人々の中、日常の中に絵に描き込みたい美やテーマを見いだしたのでした。
ジャン・フランソワ・ミレー:Jean-François Millet, (1814 - 1876).
晩鐘 1857-59 オルセー美術館
自然のなかで無心に働く労働者の動きや形の美しさ、汗の匂いや砂埃のあるリアルさ、労働への賛美、そういった肌で感じる感覚を絵画で表現したと感じられます。
ジャン・フランソワ・ミレー:The Sheepfold, 1856-1860. Glasgow City Art Gallery
この時代のリアル主義の背景には、新しい技術の開発や新しい社会観念があります。 1840年頃に発明されたチューブ入り絵の具は、屋外での制作を可能にしました。
ジャン・フランソワ・ミレー:Woman Baking Bread, 1854. Kröller-Müller Museum, Otterlo.
そして今ではあたり前ですが顔料の調合知識がなくて絵の具を作れなかった人でも絵が描けるようになるのです。
ジャン・フランソワ・ミレー:The Bather, 1863
なかでも19世紀前半の写真の発明、そして急速な進歩は絵画芸術のみならず社会や文化にも大きな影響を与えました。
ジャン・フランソワ・ミレー:Death of a Pig
「国吉康雄回顧展カタログ翻訳」のフロクで紹介したドーミエが描いたナダールの空中写真の絵「読書 その二十二 フロク・2」を覚えていますか? フォトチャンネルの最後にあるアーティストの白黒写真はナダールが写したものです。 この時代の肖像画を職業にしていた画家達の危機感も感じられそうです。
ジャン・フランソワ・ミレー:The Wood Sawyers, 1848
パリのナダールのスタジオの写真を覚えていますか? あの建物で、最初の「印象派展」が開かれたと言われています。 この頃は文化も社会も大きく動いている時代でした。
ドーミエ、ナダールのページ、「読書 その二十二 フロク・2」をご覧になりたい方は、左端コラムの「最新トラックバック」を利用するか右下のトラックバックをクリックして下さい。