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オディロン・ルドン:Odilon Redon, 1840年4月20日- 1916年7月6日)
レディーメードの説明のために絵画芸術の歴史から始め、予定ではもっと大雑把に駆け抜けたかったのですが、一人でも多くのアーティストを載せたくて欲張ったので、まるで美術史のようです。
しかし私は、美術史の専門家ではありません、ただのアーティスト(芸術家)です。
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オディロン・ルドン:Odilon Redon, 1840年4月20日- 1916年7月6日)
どの様に書けば私の芸術論、美術史観が旨く伝わるか、どの様に説明すれば解りやすいかに重点を置きました。 勿論、長い文章になると誰も読まないし、余り絵画の知識がなく読んでも解ってくれるようにしたかったのです。
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ジョヴァンニ・セガンティーニ:Giovanni Segantini、(1858年1月15日 - 1899年9月28日)
先回、印象派と後期印象派のように細かくわける必要はないと思うと書きましたが、美術史上では、やはり印象派、新印象派、後期印象派とあり、それぞれ技法(筆触分割、色彩分割)や色彩論や光学理論の違いなどが分類上あるようです。
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ジョヴァンニ・セガンティーニ:Giovanni Segantini、(1858年1月15日 - 1899年9月28日)
詳しく絵画の歴史を知りたい方、アーティストの個人的な事情や作品の背景などに興味のある方は、今回の記事をリサーチしていて見つかったサイト「サルヴァスタイル美術館」に絵画の情報が詳しく記載されていますので参考にして下さい。
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アルフォンス・マリア・ミュシャ:Alfons Maria Mucha, (1860年7月24日 - 1939年7月14日)
それでは本題にもどります。 印象派の時代、当時の背景をパリの万博をとおして追ってみましょう。
1851年のロンドン万国博覧会に対向して1855年にパリでナポレオン3世のもと、初めての国際展覧会が開かれ、ロンドンの水晶宮を上回るべく産業宮(Palais de l'Industrie)が建設されました。
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アルフォンス・マリア・ミュシャ:Alfons Maria Mucha, (1860年7月24日 - 1939年7月14日)
1867年のパリ万国博覧会(Exposition Universelle de Paris 1867)は、日本が初めて参加した国際博覧会で、出展された浮世絵や工芸品が印象派の画家に大きな影響を与えたことは良く知られています。
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グスタフ・クリムト:Gustav Klimt, (1862年7月14日 - 1918年2月6日)
三回目のパリ万博(Expo 1878)では、アメリカから電話機、蓄音機や自動車が出品され産業化の時代を予測している様でした。 また当時のパリのみならずヨーロッパでは、ジャポニスム(Japonisme)が、工芸品やポスターなど印象派後のアール・ヌーボーの作品にも影響したのがみえます。
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グスタフ・クリムト:Gustav Klimt, (1862年7月14日 - 1918年2月6日)
フランス革命(バスティーユ襲撃)100周年の1889年(明治22年)に四回目のパリ万博(Expo 1889)が、開かれました。 この時に有名なエッフェル塔が建設され、短い距離ですが鉄道も実用化されます。
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エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch, (1863年12月12日 - 1944年1月23日)
そして五回目、1900年のパリ万博, (Expo 1900)では、エッフェル塔にエレベーターが設置されました。 このおかげでニューヨークの摩天楼の建設も実用的になるのです。 丁度、ロンドンへ留学途上の夏目漱石が、会場に立ち寄っています。
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エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch, (1863年12月12日 - 1944年1月23日)
美術芸術の大きな流れは、19世紀末のアール・ヌーボーから第一次世界大戦、そしてアート・デコーの動きになります。 細かく見ればフォーヴィズム、表現主義、キュビズム、抽象芸術、構成主義、バウハウス、ダダ、シュールレアリズムなどで過渡期の混迷した状況が感じられます。
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トゥルーズ=ロートレック:Henri de Toulouse-Lautrec(1864年11月24日 - 1901年9月9日)
この頃には産業の発達で交通機関の進歩と共に人の移動がまし、世界が小さくなり始めた時代です。 花の都、芸術の都パリへ多くのアーティスト達が集まったのです。
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トゥルーズ=ロートレック:Henri de Toulouse-Lautrec(1864年11月24日 - 1901年9月9日)
当時活躍したアーティストは、勿論印象派以外にも多くいます。 先回と同様に、このページで紹介したアーティストは生まれた順にしました、選んだ作品の制作年代は前後しています。
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オーブリー・ビアズリー:Aubrey Vincent Beardsley, (1872年8月21日 - 1898年3月16日)
美術芸術の流れが世紀末の時期をへて20世紀初頭へと移っていきます。いよいよバイセクル・ウィールが制作された1913年(大正2年)に近づいて来ました。 。
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オーブリー・ビアズリー:Aubrey Vincent Beardsley, (1872年8月21日 - 1898年3月16日)