旨い処探索同好会

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読書 その五十九 老女

2011年04月07日 11時20分07秒 | 読書 (国吉康雄、回顧展カタログの翻訳)

"Somebody Tore My Poster", 1943. Oil on Canvas. (46 x 26 3/16 inches).
Collection Encyclopedia Britannica. 「誰かが私のポスターを破った」

しかしクニヨシの最近の大きな絵、「デリバランス」、ここにはより希望的ノートがあります。
彼はこれについて、人類への信頼をもって再建の助けが遂に来るという考えを表しながら、語っています。 
ここに今までのどの作品よりも幅広い人権とより成熟した観点があります。
クニヨシが一人の主要な人物以上の人物を使ったのは、長い年をおいて初めてでした、そして
中心の人物は少女ではありません、年をとった女性でした。


"Deliverance", 1947. Oil on Canvas. (40 x 30 inches). Whitney Museum of American Art.
「デリバランス」、悪魔払いor 救済

But in his latest large picture, Deliverance, there is a more hopeful note. He
speaks of it as expressing the idea of help coming at last, of rebuilding with faith
in mankind. Here is a broader humanity and a more mature viewpoint than in
any previous work. It is significant that for the first time in years he has used
more than one principal figure, and that the central person is not a girl but an
old woman.


Kuniyoshi painting in his studio.
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読書 その五十八 戦争の影響

2011年04月06日 15時16分15秒 | 読書 (国吉康雄、回顧展カタログの翻訳)

"Festivities Ended", 1947(begun 1939). Oil on canvas. (40 x 70inches).
Collection Mr. Henry Jay MacMillan.

「ヘッドレス・ホース」と「フェスティビティ・エンデッド」にクニヨシの最近の作品のほとんどを通して流れるテーマが登場します、喜びの感覚と祭りの終わり、廃墟と退廃の新しい時代、快楽の主題は壊れ破棄されたのでした。 これらの絵画はカーニバルは終わり今日の世界は違った処にあると言っているように思えます。
このテーマは、「シー・ウォークス・アマング・ザ・ルイン」や「ルック・イット・フライズ!」のような最近の人物画でより明確で、いまだにクニヨシの主な関心は女性像であるが、今は今日の世界の廃坑のなかで表現されています。 「ルック・イット・フライズ!」の説明のなかで
1947年に書いています:「ここ数年の戦争は、数多くの私の作品の背景にあると言えるでしょう。 戦闘前線と言う訳ではありませんが、戦争との関わり合いで、破壊、無生命、生と死の間の空中停止、孤独、と言ったものです。」 彼の最近の作品一般に関して彼は、「大変悲しい事に巻き込まれた事です。」と言っています。 彼の最後の画の一つ、「ディス・イズ・マイ・プレイグラウンド」は、―孤独な子供が荒廃とした中で遊んでいる破滅された建物― 我々が通って来た破壊と死の期間の明確なイメージです。


"Look, It Flies!", 1946 Oil on canvas. (39 3/4 x 30 1/4 inches).
Collection Mr. and Mrs. Joseph H. Hirshhorn.

Headless Horse and Festivities Ended introduce a theme that runs through
most of his recent work - the sense of pleasure and festivities being over, of a
new era of ruin and desolation, of the objects of pleasure broken and abandoned.
These pictures seem to say that the carnival is over and the world of today is a
different place. This theme is still more specific in recent figure paintings such as
She Walks among the Ruins or Look, It Flies!, where his central preoccupation is
still woman, but now shown amid the ruins of today's world - a highly personal
expression of his sense of the state of the world. In explanation of the latter pic-
ture he wrote in 1947: "I would say that the war for the past few years has been
the backdrop for a great number of my works. Not necessarily the battlefield,
but war's implications: destruction, lifelessness, hovering between life and death,
loneliness." Of his recent work in general he says that it has "implication of very
sad things." One of his last paintings, This Is My Playground - ruined buildings
with a solitary child playing among the ruins - is an even more explicit image of
the period of destruction and death through which we have passed.


"This is My Playground", 1948. Oil on canvas. (27 x 44 1/2 inches).
Downtown Gallery. (Not in exhibition)
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読書 その五十七 110号室

2011年04月05日 21時09分12秒 | 読書 (国吉康雄、回顧展カタログの翻訳)

"Room 110", 1944. Oil. (44 x 33 7/8 inches). University of Nebraska Art Galleries.
「ルーム・ワン・テン」110号室

クニヨシの静物画は、いつもファンタジーの要素を持っていました、しかし1938年の
「レイ・フィギュア」では、全体の着想が奇想天外で、「アップサイド・ダウン・テーブル・
アンド・マスク」や「ルーム・ワン・テン」のように次の数年の静物画の展開の傾向でした。
このような主題からほんの短い一歩で「ヘッドレス・ホース・フー・ウォンツ・トゥ・ジャンプ」のような絵を描き、
これは一般的な静物画の範囲を超え、風景画の要素を導入し、人間と動物の
シンボリズムとその詩的ムードを想像的芸術の領域に置いたのでした。  
クニヨシのアートは、彼の初期のファンタジーから自然主義を通しファンタジーに戻って完全なサークルに成りました。 
「ロティング・オン・ザ・ショァー」のなかでクニヨシは、「アイランド・オブ・ハピネス」、生命の小さな不思議な形体に夢中になった、
あの海岸のイメージに戻りました。
新しいエレメントは、しかしながら、一面に広がった、崩壊のもの悲しさ、風化した物体、
要素とその作品の哀愁でした。


"Lay Figure", 1937-38. Oil. (38 1/8 x 58 1/4 inches). Downtown Gallery.
「レイ・フィギュア」横たわる婦人像


"Upside Down Table and Mask", 1940. Oil. (60 x35 inches). Museum of Modern Art.
「アップサイド・ダウン・テーブル・アンド・マスク」上下逆のテーブルとマスク

His still-lifes had always had an element of fantasy, but in Lay Figure of 1938
the whole conception was fantastic - a tendency developed in still-lifes of the
next few years such as Upside Down Table and Mask and Room 110. From such
subjects it was only a step to paintings like Headless Horse Who Wants to Jump,
which transcends the ordinary limits of still-life, introducing elements of land-
scape, of human and animal symbolism and of poetic mood that place it in the
realm of imaginative art. His art has come full circle, from the fantasy of his first
work through naturalism back to fantasy. In Rotting on the Shore he has returned
to the seashore imagery of Island of Happiness, even to the preoccupation with
small curious forms of life. A new element, however, is the pervading melancholy-
the melancholy of decay, of weather beaten things, of the elements and their work.


"Headless Horse Who Wants to Jump", 1945. Oil. (57 x 35 inches). Museum of Cranbrook Academy of Art.
Photographed by Kuniyoshi in his studio.
「ヘッドレス・ホース・フー・ウォンツ・トゥ・ジャンプ」ジャンプしたい頭の無い馬


"Rotting on the Shore", 1945. Oil. (48 x 36 inches). Downtown Gallery.
「ロティング・オン・ザ・ショァー」浜辺での腐敗
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急性症状と晩発性障害と閾値

2011年04月01日 01時22分23秒 | 画家のツブヤキ

"Charade", 1948. Gouache on masonite. (7 7/8 x 5 7/8 inches)
Herbert F. Johnson Museum of Art, Cornell University, Ithaca, New York

毎日が激動の世界である。 世界中で色々なことが起こり刻々と変化をしている、しかしその中で
どう言う訳か福島原発事故の事が気になる、どうなるか分からないから余計気になるのかも知れない、そう言えばコンピューター2000年問題の時も気になって、どうなるか分からなかったが、一応
「備えあれば憂い無し」と思って水、食料、燃料の備蓄をしたのを思い出す。
現在の段階では事故の行方は、最悪の事態を避けるべく最善の努力をしているが、どうなるか誰も分からない状況のようだ。 その中にあって納得のいく「ひばく」に関しての情報が少ないと思う。
放射線の被曝は出来るだけ避けた方が良いのだが、誰でも今まで続いてきている毎日の生活がある、簡単に全てを捨てて避難する訳にはいかない。 最善の行動をするには知識と情報が不足している。 
そこで自分で理解出来、納得のいく意見を探してみた。


Shibuya, Tokyo in rolling blackout.

 下記は、名古屋大学名誉教授で被爆者の沢田昭二氏の手紙からの抜粋です。 全文を読みたい方は、
弁護士の杉浦ひとみ氏のブログ・ページのリンクを最後に付け加えました。

「内部被ばくや外部被曝を含めて、現在の報道は「しきい値論」に基づいて、何ミリシーベルトだから安全だとか、直ちに問題にはならないと言っています。放射線影響は1、2週間後に急性症状が現れ、晩発性障害は何年も経て発症します。また、放射線影響は急性症状も晩発性障害も個人差と年齢差が大きいことを踏まえるべきだと思います。たとえば、脱毛では0.04シーベルト(40 ミリシーベルト)で0.03%の人が発症し、0.4 シーベルト(400 ミリシーベルト)で0.15%の人(10 万人被ばくすると150 人)が発症します。1 シーベルトで約1.3%,1.5 シーベルトで5.7%の人が発症します。最近ではこの辺り(発症率5~10%)の人が発症する線量をしきい値と呼ぶことがあります。こうしたことを周知させてもらい、被ばくすることを避けるように訴えて欲しいと思います。専門家の意見を聞いて250 ミリシーベルトでは白血球減少症状がでないから作業員の作業被ばく線量を引き上げたとのことであるが、しきい値論に立っての判断が続いている。

 原爆症認定集団訴訟で明らかになった内部被ばくをマスコミも触れるようになりましたが、その深刻さはまだ十分に理解していないようです。とりわけ放射線感受性には大きな個人差があることはほとんど無視されています。敏感な人は10 分の1 でも100 分の1 の線量でも人数は少ないのですが影響が表れる人がでてきます

核分裂生成物には数百種類の核種(原子番号と質量数、あるいは原子核を構成する陽子数と中性子数で決まる)が放出され、気体として広がりやすいのがヨウ素です。CT などによる被ばく(X線外部被曝)と内部被ばくを比較するのは科学的ではありません。たとえばヨードは体内に入り血液ないしリンパ液で体内を循環して甲状腺に蓄積して甲状腺機能の亢進症などを引き起こし、また甲状腺がんなどを引き起こします。がんなどの晩発性障害の発症は被曝線量に比例するので、どれだけ被ばくしても良いとか悪いとか言えません。
 急性症状も晩発性障害もいずれも放射線を浴びなければあびないほどよいわけです。

 テレビ等の報道で、「洗えば安全。なんら問題ない」との解説がしばしばなされています。しかし、発表された野菜の放射線量は「流水で」「洗浄除去し」てから検査された測定値ですから、その産地の野菜を購入した市民が、自宅で洗って食べた場合、測定された放射性物質(放射性ヨウ素やセシウムなど)が洗い流せているものと考えることはできません。ただし、洗わないで食べれば、表面に付着した放射性物質を取り込むことになるので、測定された放射線量よりはるかに多量の放射性物質を取り込んでしまう恐れがあります。

 放射性ヨウ素131(甲状腺に吸収されやすく発がん性が高い)の半減期は約8日ですが、セシウム137では30年であり、千分の1になるには300年もかかります。このような放射性物質を付着または吸収した野菜などを食すれば、体内でヨウ素やセシウムの原子が放射線を発します。摂取された放射性物質は次第に尿などから体外に排出されていきますが、放射性物質を選んで排出する仕組みはありませんから、排出されるまでには相当の時間がかかり(生物学的半減期といいます)、これらから放射される放射線による内部被曝が問題になります。

広島や長崎も何十年もすめなくなると言われました。しかし、8月に原爆が投下され、9 月と10月に台風が襲い、台風の大雨などで放射性物質が流されて台風の後は急性症状の発症が急減しました。これがチェルノブイリ事故の周辺地域の乾燥地帯との違いです。放射繊維よる人体影響は、体内に取込んだ放射性原子核固有の物理学的半減期(たとえばセシウム137 は30 年)、体内に摂取して新陳代謝等を通じて体外に排出して半分になる生物学的半減期、それに環境中から飲食を通じて取り入れる量に関わって、雨風で減少していく環境半減期の3つの半減期で考えなくてはなりません。セシウムの場合生物学的(生理的)半減期は約100 日、長崎の西山地域は環境半減期が約7 年だったとされています。環境半減期は斜面とか湿地とか場所で大きく異なると思います。」

「杉浦 ひとみの瞳のブログ、福島原発被爆について~信頼できる情報」


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