長門二の宮・長府の「忌の宮神社」です
ここは仲哀天皇が熊襲平定の際に滞在した
行宮(豊浦宮)の跡といわれています
周囲の道路から一段高い広庭とよばれる砂の境内。
新羅の塵輪が熊蘇を煽動して攻めて来た時、仲哀天皇が、
御自ら弓矢を執って見事に成敗されました
首を切ってその場に埋め、上に石をおいたのが「鬼石」
皇軍は歓喜のあまり矛をかざし
旗を振って塵輪の屍のまわりを踊りまわったのが
日本三大奇祭のひとつ「数方庭」の起源だそうです。
もう一段高い敷地があって、神門をくぐると社殿があります。
ここは、拝殿後方の神殿の左右に
若宮社・高良社が廊下で繋がっている形です
庭には放し飼いの鶏(烏骨鶏…天然記念物らしい)がいます
大きく育っていました。
ふさふさとした白い毛並みが輝いています。
顔が真っ黒なので、
最初どこに目があるのか判らなかった(^^;
あちこちに土塀や石垣が残り、城下町の面影を伝えています