1/4_長府庭園 2017年01月16日 | 山口(長府・他) 長府庭園は、長府藩のご家老様のお屋敷だったとか その敷地の広さにはびっくりです 小高い山を背にした約31,000平米の敷地の中に 書院や茶室、あずまや、蔵などがあります 鏡のような池に書院が映り込み 別世界に来たような晴れ晴れとした静けさです 書院をぐるっとひと周り 書院から太鼓橋をわたるとちいさな東屋があります。 先に進むと小高い山に続くお庭が広がっています
1/4_功山寺 2017年01月16日 | 山口(長府・他) 長府に来たら、やっぱり功山寺 前回、功山寺に来たときは奥に見える山門の修復中でした。 鎌倉時代に臨済宗の長福寺として創建されたお寺で 室町時代には大内氏の庇護を受けて栄えたと聞いています 最後の当主義長が境内で自害した後お寺は一時衰退 戦国時代に長府藩主毛利秀元が曹洞宗の笑山寺として再興 その後毛利氏の菩提寺となって 功山寺と名前が変わったそうです 総門↑をくぐると、修復の終わった山門↓が目に飛び込んできます。 この山門は安永2年(1773年)に建てられたもので 入母屋造り、 本瓦葺の屋根は美しい反りを見せ、 三門三戸二重門の様式 この山門を横から見たところ↑です 楼閣のような重厚な作り σ(^^)この裾をはねた形の屋根↓が好きです 桁行・梁間とも三間、一重入母屋の屋根に裳階がついた 桧皮葺の二重屋根の建物。 内部の柱に「此堂元応二年卯月五日柱立」と記されていることから、 鎌倉時代の建築とされています。 建築年代のはっきりしている禅宗様建築では、 この仏殿が日本最古のものです。 こちら↓は法殿…はっとうと読むそうです 上の仏殿は仏様を祭るお堂ですが、 ここは講議をする、つまり法を説くためのお堂です 以前見学に来た時に、ここの広間でお話を聞きました。 廊下続きで尊王攘夷派で都を追放され 長州に落ちてきたお公家さんたちの“五卿潜居の間”があります 山門から仏殿を見たところです ここは高杉晋作たちが台頭する俗論派(佐幕派)を排斥するために 五卿の前で決起した場所としても有名です 山門の横に大きな槇の木が、、、山門より高く伸びています この静かなたたずまいの中で 躍動した幕末の長州藩の歴史が息づいています。