つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

夜空色の割れ目

2012-03-30 13:23:27 | 日記
昔実家で使っていた小さなスピーカーを持ってきた。
iPodをイヤホンジャックでつなぐと音質が格段に落ちると言われたが、長い間、家ではノートPCのスピーカーから聞いていたのだからそんなことはまあいい。
PCを立ち上げずに手放しで聞けるのはありがたい。

直に床に置いているが、振動は下の階の人に響いているのだろうか。
クレームが来るまでわからない。

外から帰って、イヤホンで爆音で流していた音楽を止めて、イヤホンを耳から外す。
水の中から上がったみたいに、世界が変わる。

音に潜る、音に埋もれる。
音から上がる、音を脱ぐ。


今日の空気はぬるい。
私はこの春の生ぬるい空気が好きではない。
ああ私にもまだ陰鬱という気が残っていたのだなとそれに出くわして思い出す。
突発的なもの以外に、空気にそうさせられるのは久しぶりだ。

たくさんの蕾がほころびている。
暖かさにいろんなものが強ばりを緩める。
世界に色が増して、植物は発情しているかのような匂いを発する。

そんな喜ばしいことに拮抗してしまうくらいこの空気感が好きではなくて。
暖かいこと、温かいことは幸せなことだと確かに思っているけれど。
ぬるさが潔さに変わってほしい。

セルフマネジメントとかコーチングとか、あくまで自分自身に対してだけど興味がある。
いいこと言うなあと、それらの人が書いているブログを見てよく思う。



味気ない尊重

2012-03-28 21:48:31 | 日記
キッチュなピンクのダークファンタジー。
http://numero.fusosha.co.jp/flower/index.html

ダリア
バラ
パフィオペディラム
ファレノプシス
ラナンキュラス
アネモネ
カーネーション
チューリップ
アンスリウム
スイートピー
エピデンドラム

いつも東さんの作品を見ると私は固まってしまう。
これ生で見たらどんなにいいだろう。
花の名前を並べると、それだけで色を発しそうだ。

色使い、構図、鮮度、組み合わせ、光の具合。
生を既に断たれてなお、美しさを前面に。
露わ。

彼にとっての表現の媒体は色々と選択肢もあったかもしれないが、それが植物・花であったことは私は勝手に嬉しく思う。
世に広く感動を与える表現者には本当に敬意とお礼を表したい。

この雑誌『NUMERO』の定期購読をするきっかけも東さんのフラワーアートの影響が大きい。
もちろん雑誌のコンテンツもとても好きだけれど。

好みはあれど花はどれも好きだ。
家にいる生花も本当にかわいい。
また、蜷川実花の撮る花も特別に好きだ。
しかし、どれも東さんの作品にはかなわなくて、やっぱり生が一番だけれども、写真であっても私の一番だ。
もうひとつ同等に一番があるとすれば、生の広いお花畑だろう。

来年の9月までに仕事で目標達成したらJARDINS des FLEURSにお花を発注してもいいと雑談の中で話していたが、そのためにもう一度目標への道を気合いを入れて考えたい。
覚えてもいないかもしれないが、あの雑談は本気でしたと言いたい。

JARDINS des FLEURSが行っているフラワーレッスンにも高いけどいつか行ってみたい。

3月末、出会いとか別れとかに否応なくそわそわに巻き込まれる好まない季節だが、今年はそういったことに全く関係がない。
刺激や新しさが好きな最近の私ではあるが、人との出会いや別れは結構苦手だったりする。



スピーカー探し

2012-03-26 22:23:15 | 日記
曇天の三河湾。
灰色の海を薄日が差して、白く反射している海面。
特段撮るに値はしないが、せっかく高台まで来たので2枚だけ撮る。
菜の花畑を見に行くには寒すぎた。

中学生の頃写生会を行った弘法大師の像のある山に行く。
その時に見た、お寺も弘法大師の像も、巨大に見えていたものだが、今見ると思ったほど大きくない。
あの時よりも身長は20センチほど伸びているとは思うが、それらが明らかに20センチ分以上に小さく見えるのはなぜだろう。
それにしてもこの頃の記憶は明るくない。

おじいちゃんとおばあちゃんは、私が帰るというだけで、ただそれだけで、本当に喜ぶ。
前日から、もう来るのか、いつ来るんだ、と連発しているらしい。
実際に会うともう泣いてしまいそうに嬉しそうで。
私も誰かのためになれるとしたら、おじいちゃんとおばあちゃんに顔を見せることで間違いなく役に立てる。
誰かの何か、なんてとも思うが、それでも単純に、ただいるだけで、私は価値のある人間であると思う。

米寿。
もうすでに88年もの月日を生きて来ている。
結婚50周年の金婚式を終えて、結婚60周年のダイヤモンド婚も終えて。
結婚75周年がプラチナ婚というらしい。
88歳にもなると、人を見送ることが数知れないくらいに多くなる。

もう本当に、穏やかに終われるといいねと毎度思う。
私は1週間くらい泣くかもしれないけど、そのあとちゃんと、おじいちゃんとおばあちゃんの人生の終わりを祝福したい。
その前に出来る限り、喜ばせてあげたいなと思う。

父が死んで以来、感傷的になってしまわざるを得ない私たち家族は、必死で取り繕っているようにも見える。
父の妹、私の叔母さんは本当に安定感のある人だ。
悲しみややるせなさを、温かく豪快な笑顔に変えられる人。
一緒にいて安心感できる、と私も15年後くらいには思われるようになりたい。

もうあと2,3か月もすれば私たちの家系に新しい命を迎えることになる。
私は傍目からだけど、良い人生を始めてね、と心から思う。
人生には選べないことも多いけれど、選べることもたくさんある。


「おすすめの小説をお互い買おうよ」
小説の中の出来事みたいな提案に2人は笑いながら、私は1冊の有名なミステリーを手にした。
私も読んだことないという有名なミステリーを買って渡す。



胸の芯がおおよろこび

2012-03-24 13:24:31 | 日記
新装オープンしたお店に、机の上に花があったものだから、私はつい写真を撮っていた。
真ん中がピンクの細い紐で縫い付けたようになっているガーベラ。
パステルカラーが春を感じさせるのは桜がパステルカラーだからだろうか。

私が夢中で撮っているから、お店の人が「よかったらこれも」と新装オープンのお花を持ってきてくれた。
強いオレンジ色とまんまるの黄色が艶やかな立派なかごに入ったブーケ。

好きなものが体から溢れちゃっているのは、傍から見ると少し異質な感じもするだろうが、自分にはその好きなものたちが集まってくることも多い。
ハーゲンダッツが好きだと言葉で溢れちゃっていたときがあったから、ハーゲンダッツを今でもよくいただくし、お花好きだと溢れちゃっていると器のギャラリーで真っ赤なバラをいただくこともあった。
ヒロトが好きだと溢れちゃっていたらヒロトに…会えないからいいのか。

糸井さんの言葉に私は感じやすい。
アイディアは考えるよりも感じることの方が大切。

感じる、とは大部分が意思でコントロールできない。
だから感じることは生物的に本当のことが多いのだと思う。
感じ入ることができると、心の喜びを最大値で体感できるのと引き換えに、心の悲しみも最大値で感じることになる。

たぶん、閉ざそうと思えば、目を逸らそうとすれば、感じることから逃れることはある程度できるのではないかと思う。
今私はそれを選ばない。
悲しみの最大値、なんて相当に恐ろしいものだけど、喜びの最大値がやっぱり見たいし感じたいと思う。

糸井さんは感じることについて書いていたわけではない。
アイディアについて書いていた。

どうしてこうもお休みが雨だろう。
紙が湿気ってしまう。



裏側の海

2012-03-23 00:35:40 | 日記
帰って家のドアを開けると、いい香りがした。
いつもと違う。

なぜだろうと辺りを見回すと、昨日の夜にティッシュに染み込ませたゼラニウムの精油の残り香だった。
そういえば昨日の夜、初めてこの精油を使った。
お店で香りを確かめていた時も、昨日の夜も、少しきつくて空気に馴染まない香りだと思っていたのを思い出す。

なぜさほどいいと思わないものを買ったのだろうかと思い返す。
たぶん、その時眼鏡をかけて音楽を聴いてマスクをしていたからだ。
という言い訳は妹だけはたぶんわかってくれる。

ワインも、開けたてから時間が経つと、空気に触れて香りが変わったり味が変わったりする。
良い方向へのその変化を確か「開く」ということを妹が言っていた。

ゼラニウムの精油もまた、開いたのだ。
一日経ってより良い香りになる。
きつさが抜けて、漂う空気と馴染む。

熟する、とも違う。
和する、というような。

ここで言う、開く、は、咲く、と似ていて、咲く、よりも穏やかで優しい。

匂いに慣れてそれを感じなくなることを「鼻がばかになる」と言ったりするが、私はそれがあまりない。
我慢できるとか我慢できないとかそういうことは置いておいて、「匂いは慣れない」と思っている。
だから「匂わない」ということにも敏感で、「匂わない」こともいい香りと同じくらい好きだ。


あることの実現可能性を考える。
ああ可能かもしれない、という想像ができる。

開いたゼラニウムと蕾のカサブランカ。