つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

手遅れのあんなことやこんなこと

2014-10-31 20:54:13 | 日記
ここ1年、土日という感覚をあまり持たずに仕事をしてきた。
しかしとはいえ、土日の方が忙しいということもなかったけれど、最近土日の方が忙しい、ということもしばしばある。

思えば丸一日完全にオフ、ということをしばらくやっていないかもしれない。
まあそんなにいつも四六時中仕事をしているわけではないから総労働時間としては大したことはないのだけれど。

明日の予定がキャンセルになって、丸一日オフとなった。
まあやろうと思えばやる仕事はあるけれども。

最近めっきり映画やドラマを観る時間的精神的余裕がなかったので、むふふ、とツタヤに寄る。
人のおすすめがスマートフォンのメモ帳に溜めてあって、それを開いて探す。

相変わらず、100円ショップとDVDレンタルショップ、秩序ある並びであることは分かるが、数が多すぎて探し物がスムーズにできない。
流れている音楽に思考を持っていかれながら、うろうろうろうろ、同じ場所を行ったり来たり。

「ブレイキング・バッド」シーズン1~2
「AKIRA ~劇場版~」
「スチーム・ボーイ」

やっとの思いで、これらを見つけ出す。
あと、備忘録的に、今公開中の「ジャージー・ボーイズ」は是非映画館に行きたい。

私は好きな特段好きな映画監督とかはいない。
作品としての映画は好きだけれど、観ている本数もさほど多くない。
アニメは、一般的な意味で“男子感”の強いものはほとんど見たことがないのだが、勧められれば素直に観るし、知識がないので是非良品については教えてほしい。

良品が私に入ってこなかったとしても、それはそういう風に計るか、ストックしておく。
何かを理解するための素養としてのインプットは、私には知らないことが多すぎて、どこから手を付けていいのか困惑することがある。

何かを理解するには、「自分がやること」が方法として一番手っ取り早い。
それができないのであれば、頭を使うべきだし、考えることを諦めてはいけないように最近は特に思っている。


外出用として愛用している1GBのiPod suffleの中身を全部取り替える。
ここ3年間ほど、離れられない選りすぐりの精鋭ばかり、ブルーハーツやハイロウズ、奥田民生、オアシス、マンドゥディアオ、真心ブラザーズ、くるり、小沢健二など、たまに5曲くらいを入れ替える程度だった。
たぶん3年間、1日も欠かさずに「リンダリンダ」を聴いてきた。
絞り尽くしてもなお、大好きであることには変わりはないけれど、それらは消えてなくなるわけではないから、もっと多くを取り入れるには一旦置いておこうという気になった。

あと、やっぱり、音楽のことがもっと分かるようになりたい。
切に。

さて、何を入れようかと、iTunesを開く。

3年間で集めた膨大な量のアルバムは、みな一通りくらいは聞いている。
しかしよほどのことがない限り、音楽だけに向き合って聞くことをせず、書道をやっているとき、掃除をしているとき、など他の作業と一緒に聞いていることが多い。
BGMとして流れている曲たちに、それぞれに何らか描かれる印象は抱くけれど、それを書かないまでも脳内で言葉にする作業はしないので私の中で判然としないものが多い。
もちろんそれを飛び越えて引っ張られたものについては取り憑かれたように聴くし、そういうものが欲しいというのはあるけれど。

ロバート・ジョンソン
ビートルズ
パティ・スミス
マディ・ウォーターズ
ディープ・パープル
岡村靖幸
荒井由実

とりあえず、今回はこれらのアルバムを一枚ずつ。
やはりちゃんと聴くなら、ひとりで、イヤホンを通してダイレクトに聴きたい。


のうみそが~の句は「気持ち悪さ」を出したかったのだけれど、書の感じもだいぶ気味悪さが出たように思う。
そして印を反対に押してしまったのは完全にミスなのだけれど、まあいいかということにする。


行く秋とバッハとファストフード店





同世代

2014-10-28 18:47:53 | 日記
寒くなってきた。
淹れたお茶がすぐ冷めてしまう。

毎年、これ以上寒くなった時に困らないように、と少しの寒さは我慢するようにしてきた。
が、体が冷えている状態というのは良くないな、とこれもまたはたと思った。

いつもより早めに冬用の敷き毛布を引っ張り出す。
ブランケットも引っ張り出す。
電気ひざ掛けはまだいいか。

肌触りの良い敷き毛布は心地よくて温かい。
温かいとよく眠れる。

布団のなかでぬくぬくとした朝、というか昼を満喫したいのだけれど、最近はなんだかんだ用事や仕事があって早起きをしていて、1週間のうち、目覚ましを使って起きる日の方が多くなってきた。
個人事業主は特に、忙しいのは良いことだ、ということはもちろんそうなのだけれど、忙しいと顕著に考えたいあれこれが薄まってしまう。

薄まった日常というのは、安心に似た思い込みが存在する。
居心地が良いと感じることさえある。
しかしやはり、凝縮された何かが欲しい。

悲観的な意味ではないけれど、そしてこういうふうに思ったことは実はあまりないのだけれど、生きていくのは難しい。
いかにすれば、より自分を喜ばせ続けることができるだろうか。
神話の効力が薄れたとして、それでも続いていく毎日を、また新しく良くしていけることを願う。

そんなときに音楽が鳴っているのは、たとえそれが演出であっても、心の奥に沁みわたるような気がする。
メッセージ性の強い歌詞と、見た目の過剰なパフォーマンスと、単純なビート感にやられてきた私は、音楽に揺るがされたことはあっても、たぶん今まで一度も「音楽に癒された」という言葉を使ったことがない。

もとより、私は自分にとって体感がない言葉については意識的に避ける傾向がある。
「分かる」ということには“体感、実感”が必要で、そのときの感覚は本当に何と言っていいのか分からないのだけれど、“体感、実感”が伴った「分かる」という瞬間のことを私は酷く愛している。
そしてそのことを私はとても恐れ多く感じている。

ただ、「音楽に癒される」ということがどういうことなのか、この感覚のことだろうか、というのが最近少しだけ分かったような気がする。


パソコンを抱きしめたくなる夜長かな





茶髪に染めている

2014-10-25 23:02:28 | 日記
友人の結婚式の招待状を書き終えて返送する。
出来栄えは一枚一枚うーんとなるところがあるけれど、そんなに余分の封筒の枚数もないので、封筒の予備を使い切るところで良しとする。
仕事だからもちろんそれなりのクオリティは要るものの、それ以上は私の美意識のようなところしか良しとする判断基準はない。

名前は、書くと格好がつく名前とそうでない名前に分かれる。
自分の名前が格好がつきづらいので、人の名前を書いていていいなあと思ってしまったりする。

今回は友人からの依頼だが、こういった仕事の相場は決して高くない。
しかしながら、ただ単に字を書く仕事があるのであれば安くてもやりたい。
封筒に宛名を書いているだけで、あまりにも楽しいのである。


鶏ハムなるものが手軽でおいしいと、いもうとが絶賛していたので作ってみることにする。
総合的な合理性がないといもうともこれほどに勧めはしないことをよく知っている。

私は普段肉は下処理なしで、焼くか茹でるかしかしない。
浸け込んだり、叩いたり、もっと言うと生肉を切ったりもしない。
肉を食べるのは好きだけれど、生肉を触るのもまな板を汚すのも嫌なのだ。

日持ちしない肉を鶏ハムにすると、1週間くらいもつらしい。
そして他のポイントとして、鶏の胸肉が安いということ、塩と砂糖だけで格段においしくなること。
浸け込む、茹でて置く、という時間はかかるけれど手間はさほどなく、「総合的に合理的」なのである。

昨晩ビニール袋に鶏肉を入れて、砂糖と塩を投入して軽く揉みこんでおいた。
本当はボウルやまな板を使って直接手ですり込んだ方がムラがないらしいが、手も含め洗い物は最小限にしたい。

それを軽く水洗いして水気を拭き取り、ラップで包んで成形し、ジップロックに入れる。
本当はボウルに水をはって塩抜きをするらしいが、面倒なので省く、そのために塩は控えめにした。
沸騰したお湯でジップロックのまま数分茹でて火を止め、冷めるまで放っておく。

出来上がった鶏ハムを切り分けてみる。
きれいに火が通っていた。
セブンイレブンにサラダチキンという商品があるが、ちょうどあのようになる。

切ったその場で味見。
肉の味がぎゅっとして、噛みしめるほどに美味しい。
ビールが飲みたくなって、ちょうど残りの缶ビールが1本だけあったのでキッチンでプルタグを引く。

ハーブや、にんにく、マジックソルトと漬け込むのも美味しいらしい。
コーヒーに浸け込むと燻製風になるらしい。

いつもの私の作る料理よりは手間が多いので、定番になるかは分からないけれど、とりあえずもう2,3回はアレンジして作るような気がする。


しれっと継続。
まだ3句目だけれど、作ること自体はさほど苦ではないというか面白い。

七つの手じゃんけんぽんで天高し




布石

2014-10-22 16:24:48 | 日記
久しぶりに行ったクロマニヨンズのライブ。
いつが最後だったのか思い出せないけれど、結構久しぶりな感じがする。

熱気あふれる危険な会場のロックのライブ。
私は、ヒロトとマーシーについてや、ああいった形で表出されるロックンロールの表現について、一通り考え尽くした気がしている。
前回のライブのときに、私が彼らに対して本当に恍惚と感謝の念を抱いて以降、彼らだけをウォッチし、追いかけることはなくなった。
今回のライブは新アルバムのツアーなのだけれど、アルバムが出たことさえもつい最近知った始末である。

無論、ロックンロールというものが一体自分にとって何であったのか、自分の中の癒されない何かについて、もっと欲しいものは何なのか、私が私であることとはどういうことなのか、ということは今も考え続けている。
そして今でも、彼らや彼らのような形態で表出されるロッカーたちの表現物が大好きで大好きでたまらない。
ヒロトもマーシーも未だに大好きで大好きでたまらない。

そんなわけで、ライブは楽しみだけれど、他人の汗ミストサウナのような前列に行くことは最初からするつもりはなかった。
なので、お腹の大きくなった妊婦さんの友人を守る役目を自ら買って出たけれど、本当に前に行きたくなれば妊婦さんなどそっちのけで行ってしまうことを友人はよく知っている。
それに、彼女はおそらく私がそうしたいのに自分のせいでそれができない、ということを嫌がるだろうと思う。

新曲については「キスまでいける」以外は初めて聞いた。
ああいうライブ会場では歌詞が聞こえないこともよくあるけれど、ふと耳に入ってくる歌詞はやっぱりうっとさせられることがあって。

ライブ中に「今日初めての今日でした」というのはひっかかって聞こえてきて、それは後で友人が良いと言っていた「犬の夢」という曲だった。
「愛の意味なんざ愛の意味なんざよくわかりませんわかりません」とヒロトが力いっぱい歌うとなんだかすごく切なくて、それをマーシーが作っていたのを後から知って余計切なくなる。
この曲「突風野郎」の歌詞の続きで「言葉は後出しジャンケン成り立ちません」というのがあって、言葉だ言葉だと言ってきた私も最近“言葉でない何か”の方が“それ”のような気がしているので、すかさず拾ってしまう。

あと、新曲を結構まっさらな気持ちで聞いていて思ったのは、曲ごとの音楽の違いはほとんどないのだなということ。
ブルーハーツやハイロウズよりもクロマニヨンズの方が曲ごとの違いがなくなっている気がする。
細部を言えば当たり前に違うのだけれど、曲の構成やそれぞれのパートのやり方、風合い、醸したい雰囲気は大差がない。
そのパッケージがまさに売り物としての彼らなのだと思う。

友人と別れた帰り道、「キスまでいける」をアマゾンで注文して、「ガンボインフェルノ」は楽天レンタルで借りる。


ダイゴが「ウィッシュ」しているようなワットポー。

そして、今日も続いた一句。

パンダ号東京疾駆する秋思





白髪のホストクラブ

2014-10-20 20:21:02 | 日記
何回目だろう、4回目か、句会に参加する。

そう見えないと思うけれど、句会に出るのはいつもちょっと緊張する。
それは自分で創ったものを他の人に見てもらう、というところが。

表現というのは「ありのままを」出すこととは違う。
描くイメージや伝えたい何か、醸したい雰囲気があって、それを的確にするには技術が要る。

私にとって俳句は、別にいつだって止められる、やらなくてもいいことだ。
書道はそれでお金を得てしまっているので、お金が要らなければいつだって止めてもいい。

軽い気持ちで習い事を続けて続かない理由として、「イメージと違った」という理由を時々聞くことがあるけれど、それは翼を持たない人間が空を悠々と飛んでいるイメージしかないからということと、それに対する愛情と敬意が足りないからだと思う。
何にも持たずに空など飛ぶことができようか。

言ってしまえば、言葉は最低限には皆喋れる、字も最低限には皆書ける。
既にインフラと化しているものが上手くなりたいと思う時、自分が最低限以上の何も持っていないことを認識しなければならないし、何にも持っていないけれど突っ込んでやってみるということが重要である。

「上手くできないから」止めてしまうというのは、それに対して興味も愛情も欠けている、そう思わざるを得ない。
偉そうなことを言うけれど、私は音楽について「好き」と言えるようになりたいのに、いまいち上手くならないのは、それに対する愛情と敬意が足りないことを思い知ったりもする。
そしてそんなに好きではないのかもしれない。
でも好きと言いたい。

句会の話を書くつもりが随分と逸れてしまった。

俳句について私はド素人なので、主催者である紀本さんの俳句ブログをよく拝見している。
しかしなんだか上手くできないなと思っているのがこの頃で、しかし、考えて見れば隔月くらいで催される句会の締めきり前3日くらいしか創る立場で俳句のことを考えていないのだから当然である。

俳句は、五七五という小さくて奥深い世界。
今の私としては、そこから広く多くのイメージを抱かせる懐の深い句、もしくは情緒的・絵画的なイメージや面白味が鮮烈な句、が良い句のような気がしている。
今回の句会では紀本さんの批評と解説が直接得られてとても参考になった。

上手くなりたいのであれば、筋力トレーニングと同様に日常的にやることと、それを日常的な意識下に食い込ませるくらいしないとだめなのである。
インプットよりもアウトプットに重点を置いた方が良い。
“体得”というのは体を使わないと得られない。
それに、アウトプットしようと思ったら、必然的に十分な量のインプットが付いてくるようにも思う。
まあある域まで達すると意図的にインプットの幅を広げる必要性も出てくるとは思うけれど。

というわけで、ブログを更新する際には一句載せてみようかなと思う。
私の心が俳句の世界に持っていかれているというのとはちょっと違うのだけれど、もちろん俳句を始める前以上の面白味は感じているし、「何か露出する言葉」であったり「作品を作品として独り立ちさせること」であったりをもう少ししてみたい。

書のネタ不足でもあるので、ちょうど良い。
いつまでそこまでの愛情を持続させられるか分からないけれど。

面白いことというのは往々にして面倒くさい。
しかし、面倒を取らないと物事に興じることは難しいのかもしれない。

本屋で「季寄せ」を買う。
ついでに見やすそうだった「書道三体字典」も買う。

次の三句が今回の句会のために作った句。
「月が煙草~」の句は全員の方に得点を入れてもらえてうれしかった。

月が煙草百本吹かせば夜の雨
のうみそがきいろくとけてきんもくせい
女子会は楽しさ盛る盛るサフランライス

句は何の解説もなしに載せていこうかなと思う。

秋茄子と空気人形は素っ頓狂