1回きりの、本当の、はじめての、「お誕生日おめでとう」
生まれないと何もない。
でも、生まれたからはじまる。
「お誕生日おめでとう」も「ハッピーバースデー」ももう常套句すぎてしまって、年に一度の誰かのそれのとき、ともすれば「どうも」と同じくらいの重さでそれを言えてしまったりする。
「ドブネズミみたいに美しくなりたい」という言葉の意味が下りてきたときと同じくらい、「お誕生日おめでとう」の意味に今初めて、胸を突かれるように触れたような気がする。
ほんとはこんなに大事な言葉なんだと、今日はなおさら感じずにはいらなれない。
この世へようこそ。
おばさんは、あなたの誕生を大いに祝福したい。
まだ見ぬあなたが、この世でたくさんたくさん、良い思いをしてくれることを心から願う。
あなたが生まれたことについては、おめでとうでしかない。
私の大好きな人が、生まれてくれて、そして私に関わってくれてよかったなあと、すごく「おめでとう」という気分になってそれをその人に伝えたことは何度かあるけれど、私と会ったこともましてや話したこともないあなたのことがどうしてこんなに「おめでとう」なのかわからない。
でも、私はいもうとが破水したと夜中にメールをもらってからずっと、動揺しっぱなしで。
そういえば昔、いもうとが盲腸で入院したとき、たかが盲腸なのだけれど、病院に着いた小学生の私は病室のベッドの上の妹を見て泣けてきてしまって、その場から逃げたことがあった。
家族の前で絶対泣けない、なんで泣いているのか訳が分からない、と思って病室から逃げた。
なんだか、そんなことを思い出した。
私が言わなくたって、お母さんとお父さんからいっぱいもらえるだろうけど。
私にも言わせてね。
手放しで、何の淀みも曇りもなく、澄み切った、おめでとう、を。
おばさんは入室禁止の病院みたいだから、退院したら会いに行くね。
そしたら口に出して言うね。
おめでとう、幸せになってね、って。
生まれないと何もない。
でも、生まれたからはじまる。
「お誕生日おめでとう」も「ハッピーバースデー」ももう常套句すぎてしまって、年に一度の誰かのそれのとき、ともすれば「どうも」と同じくらいの重さでそれを言えてしまったりする。
「ドブネズミみたいに美しくなりたい」という言葉の意味が下りてきたときと同じくらい、「お誕生日おめでとう」の意味に今初めて、胸を突かれるように触れたような気がする。
ほんとはこんなに大事な言葉なんだと、今日はなおさら感じずにはいらなれない。
この世へようこそ。
おばさんは、あなたの誕生を大いに祝福したい。
まだ見ぬあなたが、この世でたくさんたくさん、良い思いをしてくれることを心から願う。
あなたが生まれたことについては、おめでとうでしかない。
私の大好きな人が、生まれてくれて、そして私に関わってくれてよかったなあと、すごく「おめでとう」という気分になってそれをその人に伝えたことは何度かあるけれど、私と会ったこともましてや話したこともないあなたのことがどうしてこんなに「おめでとう」なのかわからない。
でも、私はいもうとが破水したと夜中にメールをもらってからずっと、動揺しっぱなしで。
そういえば昔、いもうとが盲腸で入院したとき、たかが盲腸なのだけれど、病院に着いた小学生の私は病室のベッドの上の妹を見て泣けてきてしまって、その場から逃げたことがあった。
家族の前で絶対泣けない、なんで泣いているのか訳が分からない、と思って病室から逃げた。
なんだか、そんなことを思い出した。
私が言わなくたって、お母さんとお父さんからいっぱいもらえるだろうけど。
私にも言わせてね。
手放しで、何の淀みも曇りもなく、澄み切った、おめでとう、を。
おばさんは入室禁止の病院みたいだから、退院したら会いに行くね。
そしたら口に出して言うね。
おめでとう、幸せになってね、って。
