つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

ハッピーバースデー

2012-06-29 12:46:33 | 日記
1回きりの、本当の、はじめての、「お誕生日おめでとう」

生まれないと何もない。
でも、生まれたからはじまる。

「お誕生日おめでとう」も「ハッピーバースデー」ももう常套句すぎてしまって、年に一度の誰かのそれのとき、ともすれば「どうも」と同じくらいの重さでそれを言えてしまったりする。
「ドブネズミみたいに美しくなりたい」という言葉の意味が下りてきたときと同じくらい、「お誕生日おめでとう」の意味に今初めて、胸を突かれるように触れたような気がする。
ほんとはこんなに大事な言葉なんだと、今日はなおさら感じずにはいらなれない。

この世へようこそ。
おばさんは、あなたの誕生を大いに祝福したい。
まだ見ぬあなたが、この世でたくさんたくさん、良い思いをしてくれることを心から願う。
あなたが生まれたことについては、おめでとうでしかない。

私の大好きな人が、生まれてくれて、そして私に関わってくれてよかったなあと、すごく「おめでとう」という気分になってそれをその人に伝えたことは何度かあるけれど、私と会ったこともましてや話したこともないあなたのことがどうしてこんなに「おめでとう」なのかわからない。
でも、私はいもうとが破水したと夜中にメールをもらってからずっと、動揺しっぱなしで。

そういえば昔、いもうとが盲腸で入院したとき、たかが盲腸なのだけれど、病院に着いた小学生の私は病室のベッドの上の妹を見て泣けてきてしまって、その場から逃げたことがあった。
家族の前で絶対泣けない、なんで泣いているのか訳が分からない、と思って病室から逃げた。
なんだか、そんなことを思い出した。


私が言わなくたって、お母さんとお父さんからいっぱいもらえるだろうけど。
私にも言わせてね。

手放しで、何の淀みも曇りもなく、澄み切った、おめでとう、を。

おばさんは入室禁止の病院みたいだから、退院したら会いに行くね。
そしたら口に出して言うね。

おめでとう、幸せになってね、って。



チャラ権

2012-06-28 00:00:21 | 日記
家にある大きな葉っぱが、枯れてはまた新しい葉っぱを芽吹いている。
植物が葉緑素を持っていて光合成を行って自ら栄養素を産み出せることは知っているけれど、実際に目の当たりにすると私は何度でも驚いてしまう。
日の当たらない部屋の中で、養分を与えているわけでもなく、それなのに大きく大きく伸びる。

もちろん花も恐ろしいほどに動いていて、花があるときには必ず花に目を奪われてしまう。
でもそれは元々葉っぱとして買ったから花は咲かない。
レッドジンジャーがくたんと枯れてしまった今、大きな花器には葉っぱだけになってしまったのだが、その生命力があまりにも目を見張るものがあるのでそのまま生けている。

ここにひまわりを何輪か加えたい。
ひまわりの笑顔は、格別に大きい。

今年もひまわり畑に行けるといい。
ずっしりと小さな米袋くらいの重さのある大輪の太いひまわりを私の部屋に持ってきたい。
新幹線に耐えてくれるだろうか。

来月、念願であった夏の北海道に行けることになった。
土日の超弾丸ではあるが、晴れてさえくれれば言うことはない。

ラベンダー畑よりもパッチワークの丘。
願わくは、もう一度、昇天しそうな満天の星空。

晴れていたら酔っぱらっている場合ではない。

夏の北海道も、これをやらずして死ねるかシリーズの一環である。
それが終わったらどうなるのかと問われるが、とりあえず今のところはシリーズにはどんどん追加されるので終わる予定はない。


『カーネーション』は戦争真っ只中となった。
戦争とは関係なく、お父ちゃんが死んだ。
自殺なのか戦死なのか、かんすけも死んだ。
人が死ぬのなんてこの世の中で最も不可避なことだけど、私はまだまだ、表面張力も涙袋もあえなく決壊して溢れてしまう。

そろそろレンタル開始前のDVDに追いついてしまう。



ロック返し

2012-06-26 23:55:18 | 日記
青い食べ物は馴染みがない。
緑でも紫でもなくて、青い食べ物。
ブルーハワイはぎりぎり。
イクラが青かったら、ご飯が青かったら、鯛焼きが青かったら・・・。
たぶんそれを目の前に「グロテスク」という言葉を漏らすだろう。

空は青いし、海も青いけれど。
お皿は青くてもいいけれど。

青い花はどきどきする。
紫でも、紺でもなくて、真っ青の花。
でも青い花は結構たくさんある。

赤には吸い込まれたくないけど、
青には吸い込まれたい。


梅雨晴れの日。
秋みたいに涼しくて、秋みたいではなく日が長い。
吹く風は晩夏のそれのように切なく私の肌を撫でるけど、これから夏だということが私を安心させる。

そのときに感じたことを感じればいい。
無理に流す涙も、無理に作る笑顔も、本当のときには必要ない。
本当じゃないときには、やっぱり必要だったりするけれど。

私を司るのは心なのか脳なのかホルモンなのか。
状態はいいときも悪いときもあって、「悪くない」という状態はなかなか良い。

自分が自分を一番好きでいないといけない、というのはたぶん本当のことで、それが一番健康的であるように思う。
他人に分かってもらいたい、という願望と、他人が分かってくれない、という被害妄想。
自分が自分を一番好きという軸が主軸だったら、そんなのも軽減されるかもしれない。
独りよがり、ということとは少し違って。

「私がもし私と他人だったら、他人の私は私を好きになるだろうか。友達になりたいと思うだろうか」
厳しくも問いかけ続けたいと思う。


HUSKING BEEは何言っているのか全然わからないけど、すごくいい。
Hi-STANDARDに似ているけど、私はHUSKING BEEのがなんだか好きだ。



俺の

2012-06-25 22:27:28 | 日記
扇風機を買った。
3年ぶりの扇風機。
羽なし。
ダイソンではない。

羽のある扇風機は「扇風機を回す」と言うが、羽のない扇風機は回せない。
そもそも「扇」は羽の部分を表しているのだろうから、「扇風機」でなく「送風機」だろうか。

羽なしを買ったのは、羽の部分の空間が抜けているので見た目にかさばらないのと埃を巻き込まないから掃除が楽であろうと思ったからだ。

私は電化製品を買うとき、興味がないのと理解ができないのとで、ネットで熱心に調べたり説明を読んだりしない。
昔、扇風機と勘違いしてサーキュレーターを買ったところ、風が循環するだけできちんと吹かなかったので、サーキュレーターでないものにしようとそれだけは気をつけいていた。
買ってみると、異様にうるさい。
その上、リモコンがついているのにタイマーがついていない。
そしてこれは最初のうちだけかもしれないが、新しい電化製品の匂いなのかモーターの匂いなのか、少し気になる。
このあたりは、口コミでもなんでも調べるべきだった。

リモコンはボタン電池で、電池を入れるところが10分格闘しても開かないし最初の電池も入っていなかったので、捨ててしまった。
狭い部屋で、リモコンなどなくてもいい。

ふとDVDプレーヤーをリモコン操作していたら、ついていなかったはずの扇風機が動き始めた。
会社の電話機が勝手にボタン音を発したり保留ができなかったりと不可解な動作を起こしていたばかりだったので、必要以上にびっくりしてしまった。
が、DVDプレーヤーのリモコンがこの扇風機に反応していた。
「再生/静止」で「ON/OFF」、「スキップ」で「首ふり」
あらゆる電化製品のリモコンの信号というのは、何パターンかしかないのだろうか。
それにしても、扇風機の方のリモコン反応がとても良いので、意図しないときに電源がついたり消えたり、首ふりしたり止めたりするのは考え物である。

花が増えすぎて、生き物だからそれはすぐに移ろいゆくのだけど、部屋の中がうるさくなりすぎていた。
飾ってあったピカソやらマティスやらシャガールやらのポストカードを外した。
ドライフラワーと小物の位置を少しだけ移動させる。
褪せてしまったラベンダーのドライフラワーは処分して、代わりに生花から自分で乾燥させた紅花を置く。
サボテンみたいにごつごつしていて、イガグリみたいにとげとげした紅花は、かわいくはないけどでもやっぱりかわいい。

羽毛布団を少し圧縮してしまい、夏用の肌掛け布団を出す。
使わない冬のフリース素材の部屋着も圧縮してしまい込んだ。

しかし今日は寒い。
私は冬以外で、外の空気よりも中の空気の方が温かい、という状態が好きではないので、寒いのに窓を少し空けておいてしまうことが多い。
前にも書いたことがあるが、いろんなものを閉め切ることが苦手だ。
以前、私のそれを「怖がり」だと言っていた人がいた。



龍庵

2012-06-24 20:02:03 | 日記
朝に雨が降っていたある日、歩きで会社に向かった。
帰りには雨は上がっていて、駐輪場までいくと自転車がないことに気付き、そうだ今日は歩いて行ったのだと思い出す。
オレンジ色のフィルムでも目の前に翳しているかように、オレンジ色の街灯の光が街全体を染めている。
ぼわんとしたオレンジの坂を、いつもと違う道で下って帰る。

いつも会社からの帰途、自転車で私は20分くらい遠回りして散歩ならぬ散輪する。
と言っても運動しているわけでも、新しいことを発見したいためでもなく、音楽を聴きたいのと気持ちがいいからそうしている。
平坦で静かな方向へ、もうルートはほぼ決まっている。

最近よく母校の大学まで行く。
見るのは本キャンパスだけだけれど、遅い時間にも学生はたくさんいて、屯していたりダンスしていたりする。
本キャンパスは特段懐かしくはなくて、本当に大きな大学だなあと毎度思う。

うさぎやのどら焼きはやっぱりおいしい。
でもやっぱり話に夢中になっているとあまり特筆できるような記憶が残らない。

大変そうで幸せそうな人たちに会えて私は嬉しかった。
19歳の私は、もしかすると今より大人びていて統合されていたかもしれない。

『カーネーション』が話が進んで戦時中の話に入ってきた。
話の展開に本当に滅入る。
人生はしたくもない戦争のためにあってはならない。
「お国のために命を捧げることはこの上なく名誉なこと」であるはずがない。
個々人のやりたいことや好きなことを誰が奪えようか。
本当に名誉と心から思って戦死できるのであればそれはそれでもいいかもしれない。
だが実際はほとんどそんなものではないだろう。
ところでかんすけは殺さなくてもいい女の人でも殺してしまったのだろうか。

人は満ち潮のときに産まれて、引き潮のときに死ぬ。
明日の満ち潮の時刻を調べたりはしないけど、とても感じ入ってしまうのは他でもない私であるような気はもう全然否めない。

ジャルダンデフルールのフラワーレッスンに行く。
大袈裟に言うと、これをせずして死ねるか、と思うことの一つがこれだった。
ヒロトに会うことも、これをせずして死ねるか、と思っていた一つだ。

花が好きなのはもっと前からだけど、東さんの作品を見たときの興奮は、ヒロトに出会ったときの興奮よりも一回り小さい、かなり大きなものだった。
雑誌NUMEROの連載フォトも大好きで年間購読するようになったのもこのフラワーアートが見たいという理由も大きかった。
個展にも行ったし、友人の誕生日にもここの花を贈った。

東さんを追いかけていたら菊地さんにつながって、ライブっていいねと思って、ジャズライブに頻繁に行くようになって、斉藤和義のライブに行ってバンドっていいねロックっていいねと思って、YouTubeを見ていたらヒロトに出会った。
一人や二人で好きなものを追っていたら、私は本当に生まれてきてよかったと何のためらいもなしに言えるような出来事も起こった。
去年はなんて、当たり年だったんだろうと感心する。

今、それからいろいろと状況は変わり、私はまた陰にも陽にも幅を広げている。
私の中で、私が生み出せる幸せというのはずっと失われることがない。

東さんはお店にはあまりいないと聞いていたけれど、今日はいらっしゃってちらりとお目にかかれた。
今日の先生は椎木さんというドレッドヘアの方で、聞いてみれば東さんと同級生で一緒に地元から出てきている方なのだそうだ。
なぜ東さんの名前ばかりが前に出ているのかは聞けなかったが、また椎木さんは写真とレッスンをメインとされているようで私はこの椎木さんにも大いに魅せられていたことになる。

偉大な人に触れられて、私は東京に暮らしていて本当によかった。

黒蝶ダリア
エリンジューム
紫のトルコキキョウ
アンスリウム
ベロニカ
エアプランツ

理科の実験室のようなアトリエで、見覚えのある、やっぱり実験の化学式のような不可解な何かが書かれている黒板。
奥には色とりどりの美しい花たちがあって作業場では見たことのあるジャルダンデフルールの作品たちがあった。

オアシスに短く切った花をぎゅうぎゅうに刺していく。
紫を中心にした妖艶な、夜の活け花ができた。
たぶん艶かしく朽ちていくんだろう、と思わせる今からの様相。

使える花材は限られているけど、今度は爛漫なハッピー感しか抱けないようなピンクや黄色や白の作品を作りたい。
たぶん明るさや可愛さ、清楚さだけの作品は朽ちるのが見るに耐えないだろう。
でもその一時のハッピー感というのはやはり何者にも変えがたい。

「ロックのことを話すときは饒舌に語れるんだ」
といつかのインタビューでヒロトは言っていた。
東さんも何かのインタビューで、たぶん普段はそんなに喋る方の人ではないと思うが、植物の話をしているときはとても饒舌になっていた。