始まったばかりで大して納めることのない仕事を納めて、2011年の勤務が終わった。
丈の短い毛皮のジャケットでは身体に堪える寒さだったけれど、私はいつものように自転車に乗ってレディーガガを流してぐるりと大きく回って家まで帰った。
12月30日。
センチメンタルな気分に浸れるほど今の私は落ち着いてはいないが、今年1年を振り返っておく。
今年の私の漢字は間違いなく「縁」であったと思う。
2011年の後半は不思議なほどに私のもとに縁深い出来事が集まってきていた。
人との縁というのは、そうあるべくしてそうある、としか説明がつかないくらい不思議なものだ。
人はそれぞれに曲線を持っていて、大きく小さく揺らぎながら線を描いている。
そのそれぞれの揺らぎの波形や大きさやスピードが、時に限りなくシンクロしたり真逆に離れたりする。
誰かと時を過ごせるというのは、少なくともその時点では波の在り方が似通っているということだ。
7月に携帯を変えて8月に7年ぶりに高校時代の友人に再会。
7月くらいに転職を決めて、9月末で前職を退職、10月に転職した。
7月にブログ「勿忘草」を止めて、9月に「つぼみな日々」を再開。
11月には東さんを追って行ったジャズライブで音楽に酔い、生の音を浴びる気持ちよさを知った。
同じく11月には斉藤和義のライブに行き、ロックに心が震えるようになる。
12月、友人はパワーを得にインドに行き、私のもとにスペシャルなクリスマスプレゼントが舞い込んできた。
かなり簡略化し淡々と文字にするとこんな感じだが、これらは私にとって小さな革命的出来事だった。
これらは私にとってとても心地のよいことで、心荒ぶられながらも、私にしっくりと当てはまりすとんと収まった。
そして、今まで開いてきたつもりだった自分をもう一度開き直した年でもあった。
私の周りにはいつも大好きな人がいてくれて、開いていくその過程が興味深いと、少々破天荒になってしまった私の話に耳を傾けてくれた。
どんな自分が自分で好きなのか、私は改めて問い直したし、自分を好きでいられることが周りへのいい影響も与え、そして良いことを引き寄せるのだということも体感した。
飾らない私は、たぶん飾らない笑顔が増えていたと思う。
そう、感情は伝染する。
大事なことは自分の心のままに、ということだが、心を無視することも邪険に扱うことも、実際に一時的にはそれができてしまう。
しかし心を置き去りにすることは、ヘドロを溜めこむようなもので、下手をすると身体を蝕まれかねない。
誰かを、何かを、「好き」であることと「気持ちがいい」ということを自分の中心に置く。
「好き」や「気持ちがいい」ということはそれ以外を受け付けなくなることに近く、ともすれば幅を狭めてしまうこともある。
しかしラッキーなことに、私は溢れてしまうその自分の「好き」や「気持ちがいい」が叶えられた1年であった。
本年も残り1日。
大晦日は大好きな友人と、今年の気持ちよさを締めくくりにジャズのライブに行く。
2011年お世話になりました皆々さま、本当にどうもありがとうございました。
2012年も引き続き、どうぞよろしくお願い致します。
来年は、今年お世話になった方々を少しでも私が主体的に幸せにできたらいい。
今年考えてきた自分自身の幸せを、誰かのためにも使えるといい。
愉しくありたい、笑っていたい、花を咲かせたい。
「あなたと出会えてよかったよ」って伝えたい。
丈の短い毛皮のジャケットでは身体に堪える寒さだったけれど、私はいつものように自転車に乗ってレディーガガを流してぐるりと大きく回って家まで帰った。
12月30日。
センチメンタルな気分に浸れるほど今の私は落ち着いてはいないが、今年1年を振り返っておく。
今年の私の漢字は間違いなく「縁」であったと思う。
2011年の後半は不思議なほどに私のもとに縁深い出来事が集まってきていた。
人との縁というのは、そうあるべくしてそうある、としか説明がつかないくらい不思議なものだ。
人はそれぞれに曲線を持っていて、大きく小さく揺らぎながら線を描いている。
そのそれぞれの揺らぎの波形や大きさやスピードが、時に限りなくシンクロしたり真逆に離れたりする。
誰かと時を過ごせるというのは、少なくともその時点では波の在り方が似通っているということだ。
7月に携帯を変えて8月に7年ぶりに高校時代の友人に再会。
7月くらいに転職を決めて、9月末で前職を退職、10月に転職した。
7月にブログ「勿忘草」を止めて、9月に「つぼみな日々」を再開。
11月には東さんを追って行ったジャズライブで音楽に酔い、生の音を浴びる気持ちよさを知った。
同じく11月には斉藤和義のライブに行き、ロックに心が震えるようになる。
12月、友人はパワーを得にインドに行き、私のもとにスペシャルなクリスマスプレゼントが舞い込んできた。
かなり簡略化し淡々と文字にするとこんな感じだが、これらは私にとって小さな革命的出来事だった。
これらは私にとってとても心地のよいことで、心荒ぶられながらも、私にしっくりと当てはまりすとんと収まった。
そして、今まで開いてきたつもりだった自分をもう一度開き直した年でもあった。
私の周りにはいつも大好きな人がいてくれて、開いていくその過程が興味深いと、少々破天荒になってしまった私の話に耳を傾けてくれた。
どんな自分が自分で好きなのか、私は改めて問い直したし、自分を好きでいられることが周りへのいい影響も与え、そして良いことを引き寄せるのだということも体感した。
飾らない私は、たぶん飾らない笑顔が増えていたと思う。
そう、感情は伝染する。
大事なことは自分の心のままに、ということだが、心を無視することも邪険に扱うことも、実際に一時的にはそれができてしまう。
しかし心を置き去りにすることは、ヘドロを溜めこむようなもので、下手をすると身体を蝕まれかねない。
誰かを、何かを、「好き」であることと「気持ちがいい」ということを自分の中心に置く。
「好き」や「気持ちがいい」ということはそれ以外を受け付けなくなることに近く、ともすれば幅を狭めてしまうこともある。
しかしラッキーなことに、私は溢れてしまうその自分の「好き」や「気持ちがいい」が叶えられた1年であった。
本年も残り1日。
大晦日は大好きな友人と、今年の気持ちよさを締めくくりにジャズのライブに行く。
2011年お世話になりました皆々さま、本当にどうもありがとうございました。
2012年も引き続き、どうぞよろしくお願い致します。
来年は、今年お世話になった方々を少しでも私が主体的に幸せにできたらいい。
今年考えてきた自分自身の幸せを、誰かのためにも使えるといい。
愉しくありたい、笑っていたい、花を咲かせたい。
「あなたと出会えてよかったよ」って伝えたい。