27日の早朝にはロンドンに向けて出発するので、あと数日を残して今年を振り返ろうと思う。
去年が「縁」の年であったとしたら、今年は「開」の年であったように思う。
以前友人が大学時代に「それまでの自分がバリンバリンになって壊れて、それをまた再構築したようなそんな感じ」という経験を話してくれた。
私はこの話を聞いたとき、「そんなことも本当にあるものなんだなあ」と思うと同時に、自分は何か大きな転機が訪れたとしても、自分がバリンバリンになるような経験はしないだろう、と思ったことをよく覚えている。
それはいつも俯瞰で見ているもう一人の私が理性をもって露出される私を調整することから逃れられないと思っていたからだ。
別にこれは善し悪しではなくて、自分という人間の性質であると思っていた。
今年私は、それまでの自分が、まさにバリンバリンに割れた、壊れた。
それは割と今年の初めの方で、丸一年をかけてなお、今も私はそれを新しいものとして再構築し続けている。
予兆がなかったわけではない、それはたぶん2、3年前から準備期間として始まっていたのだろうと思う。
人との出会いや関わりの変化もそのようになっていた。
それが今年、いよいよという感じで、見事なまでに音を立ててバリンバリンになった。
ヒビが入ったとしても割れないだろうと思っていたものが、弾けるように割れた。
このブログでは何度か「脱皮期」という言葉を使った。
「ほんとうの自分」という言葉が嫌いだった私が、「ほんとうの自分」に出会ったような気がした。
それまで守っていた殻や皮を脱いで、中にあったものが出てきた。
そのきっかけの一つは間違いなくYouTubeで偶然見つけたブルーハーツの「リンダリンダ」だった。
でも、たぶん一番最初に見て、その時に雷を落とされたような衝撃を受けたのではなかったと、今思い出すに記憶している。
何度目かのYouTubeサーフィンの夜、様々なことが重なって、私はヒロトが歌うその姿にどうしようもなく心が震えてしまって、スマートフォンの画面を見ながらひどく泣いた。
かつてキチガイだと思って遠ざけていた彼らのメッセージが、ヒロトのパフォーマンスを通じて私の中に入ってきた。
彼らに私の考えを変えられた、ということではない、彼らが思っていることと似たような思いが私の心の中にあったということだ。
「魂がおおよろこび」という言葉さえも使えないくらいの、全然笑い事ではない、私にとって真面目なまじめな瞬間だった。
彼らを追い続けて、知れば知るほど、彼らは私の中に入ってきた。
甲本ヒロトと真島昌利という人間が、ロッカーとして現存する今に、私は本当に感謝している。
ただ、どんな言葉を尽くしても、このことを人に適切に伝えることが難しい。
私は嬉しいから伝えようとしてしまうけれど、それが人にとってちんぷんかんぷんな場合があることも知った。
しかし、とても幸いなことに、私には彼らのことが私と同じくらいに好きな友人がいる。
歌詞で会話ができるくらいの私たちは、人から見たらそれこそキチガイなのだろうけれど、共感は爆発だ、ということを一緒に体現してくれる彼女の存在は本当にありがたい。
もちろん、ヒロトとマーシーだけのつながりでもなくて私は彼女の人間性そのものがすごくすごく好きだけれど。
去年からジャズなどで音楽っていいね、と少しずつ幅を広げていたが、今年に関して言えば本当によくロックを漁った。
好きな音楽や、好きなバンドは、自分の体が教えてくれた。
不思議と、音が全て、正とか負とかいう指標を持って聞こえた。
フジロックに行って、座間市まで初めてのクロマニヨンズでヒロトとマーシーを生で見て、ZEPP東京ではあと5mくらいのところにヒロトとマーシーがいた。
他のライブにもたくさん行った。
誰かが一緒に行ってくれるときはラッキーだけれど、一人でもたくさん行った。
色濃い夏を引きずって、しまいにはエレキギターまで手にしてしまった。
総じて言うと、感情のベクトルが格段に広がった、と言ってもいい。
それは、正にも負にも。
子供みたいな嬉しいや楽しいの感情を大っぴらに出すことが苦手で、反対に、怒ったり泣いたりということを大っぴらに人にぶつけることもしてこなかった。
一見クールであることが私を私たらしめていた。
しかし嬉しいや楽しいの感情に関しては、もう制御できない。
怒ったり泣いたりについては、それなりに場所は選べるけれど。
感情の扉がオープンになったら、ものすごく間抜けなことも増えてしまって、信号待ちの横断歩道で転んだり、言い間違いが頻発したり、バッグの中でお茶がこぼれたりと厄介なことがとても増えた。
嬉しい思いは、27年間で一番たくさんした。
ヒロトとマーシーにまつわることは沢山たくさん嬉しい思いをしたし、人と一緒にいて嬉しい思いもした。
初めてだった、私は、生まれてきてよかった、と心からそう思った。
他にも数え切れないくらい、いろんなものに心を引っ掴まれて、ぎゅうっとなった。
悲しい思いも、27年間で一番たくさんした。
正の反対側のベクトルも伸びてしまっているものだから、すごく悲しかった。
吹く風に、咲いた花に、夜明けの光に、ただそれだけに泣かされたりもした。
自分の中に、どうにもしようがない父への思いがあることもはっきりと知ってしまった。
浮き沈みの激しい、大変な年であったけれど、それでもこんなふうでいいかと思える。
別に悲しい思いをしたいわけではなくて、自分以外のことが思い通りにならないことを深く知りながら、今ある大事なものに敬意と優しさをもって接していきたい。
自分は、思い通りになると思われることはすべて、努力や勇気で思い通りにすればよい。
私が先日から何度も言っている、今年中にやりたいこと、は取り掛かり始めたもののなかなかうまく進まずに全然完成していない。
続きは来年に持ち越すとする。
時間がかかっても私はこれをやり遂げたいと思う。
私は私が感じることをいつも信じてあげたい。
そうして、自分の行動を自分で選んで行きたい。
愛すべき自分を、愛するに値する自分でいられるように。
また、今年の私は私で精一杯だったから、少しでも余裕を持って人に接することができるといい。
私の部屋で、たくさんの花が咲いた。
たくさんの花が枯れた、朽ちた。
動く花たちとともに一年があった。
「開」の翌年、来年はどんな年だろう。
恐れず、媚びず、柔らかく動いていきたい。
開く、咲く、瞬く、煌めく、そんなことがたくさんあることを願う。
笑えるときには、いつも笑って。
このブログを読んで下さっている方々、お知り合いの方もそうでない方も、「つぼみな日々」にお付き合いいただきありがとうございます。
まさに「つぼみな日々」の私ではありますが、来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
去年が「縁」の年であったとしたら、今年は「開」の年であったように思う。
以前友人が大学時代に「それまでの自分がバリンバリンになって壊れて、それをまた再構築したようなそんな感じ」という経験を話してくれた。
私はこの話を聞いたとき、「そんなことも本当にあるものなんだなあ」と思うと同時に、自分は何か大きな転機が訪れたとしても、自分がバリンバリンになるような経験はしないだろう、と思ったことをよく覚えている。
それはいつも俯瞰で見ているもう一人の私が理性をもって露出される私を調整することから逃れられないと思っていたからだ。
別にこれは善し悪しではなくて、自分という人間の性質であると思っていた。
今年私は、それまでの自分が、まさにバリンバリンに割れた、壊れた。
それは割と今年の初めの方で、丸一年をかけてなお、今も私はそれを新しいものとして再構築し続けている。
予兆がなかったわけではない、それはたぶん2、3年前から準備期間として始まっていたのだろうと思う。
人との出会いや関わりの変化もそのようになっていた。
それが今年、いよいよという感じで、見事なまでに音を立ててバリンバリンになった。
ヒビが入ったとしても割れないだろうと思っていたものが、弾けるように割れた。
このブログでは何度か「脱皮期」という言葉を使った。
「ほんとうの自分」という言葉が嫌いだった私が、「ほんとうの自分」に出会ったような気がした。
それまで守っていた殻や皮を脱いで、中にあったものが出てきた。
そのきっかけの一つは間違いなくYouTubeで偶然見つけたブルーハーツの「リンダリンダ」だった。
でも、たぶん一番最初に見て、その時に雷を落とされたような衝撃を受けたのではなかったと、今思い出すに記憶している。
何度目かのYouTubeサーフィンの夜、様々なことが重なって、私はヒロトが歌うその姿にどうしようもなく心が震えてしまって、スマートフォンの画面を見ながらひどく泣いた。
かつてキチガイだと思って遠ざけていた彼らのメッセージが、ヒロトのパフォーマンスを通じて私の中に入ってきた。
彼らに私の考えを変えられた、ということではない、彼らが思っていることと似たような思いが私の心の中にあったということだ。
「魂がおおよろこび」という言葉さえも使えないくらいの、全然笑い事ではない、私にとって真面目なまじめな瞬間だった。
彼らを追い続けて、知れば知るほど、彼らは私の中に入ってきた。
甲本ヒロトと真島昌利という人間が、ロッカーとして現存する今に、私は本当に感謝している。
ただ、どんな言葉を尽くしても、このことを人に適切に伝えることが難しい。
私は嬉しいから伝えようとしてしまうけれど、それが人にとってちんぷんかんぷんな場合があることも知った。
しかし、とても幸いなことに、私には彼らのことが私と同じくらいに好きな友人がいる。
歌詞で会話ができるくらいの私たちは、人から見たらそれこそキチガイなのだろうけれど、共感は爆発だ、ということを一緒に体現してくれる彼女の存在は本当にありがたい。
もちろん、ヒロトとマーシーだけのつながりでもなくて私は彼女の人間性そのものがすごくすごく好きだけれど。
去年からジャズなどで音楽っていいね、と少しずつ幅を広げていたが、今年に関して言えば本当によくロックを漁った。
好きな音楽や、好きなバンドは、自分の体が教えてくれた。
不思議と、音が全て、正とか負とかいう指標を持って聞こえた。
フジロックに行って、座間市まで初めてのクロマニヨンズでヒロトとマーシーを生で見て、ZEPP東京ではあと5mくらいのところにヒロトとマーシーがいた。
他のライブにもたくさん行った。
誰かが一緒に行ってくれるときはラッキーだけれど、一人でもたくさん行った。
色濃い夏を引きずって、しまいにはエレキギターまで手にしてしまった。
総じて言うと、感情のベクトルが格段に広がった、と言ってもいい。
それは、正にも負にも。
子供みたいな嬉しいや楽しいの感情を大っぴらに出すことが苦手で、反対に、怒ったり泣いたりということを大っぴらに人にぶつけることもしてこなかった。
一見クールであることが私を私たらしめていた。
しかし嬉しいや楽しいの感情に関しては、もう制御できない。
怒ったり泣いたりについては、それなりに場所は選べるけれど。
感情の扉がオープンになったら、ものすごく間抜けなことも増えてしまって、信号待ちの横断歩道で転んだり、言い間違いが頻発したり、バッグの中でお茶がこぼれたりと厄介なことがとても増えた。
嬉しい思いは、27年間で一番たくさんした。
ヒロトとマーシーにまつわることは沢山たくさん嬉しい思いをしたし、人と一緒にいて嬉しい思いもした。
初めてだった、私は、生まれてきてよかった、と心からそう思った。
他にも数え切れないくらい、いろんなものに心を引っ掴まれて、ぎゅうっとなった。
悲しい思いも、27年間で一番たくさんした。
正の反対側のベクトルも伸びてしまっているものだから、すごく悲しかった。
吹く風に、咲いた花に、夜明けの光に、ただそれだけに泣かされたりもした。
自分の中に、どうにもしようがない父への思いがあることもはっきりと知ってしまった。
浮き沈みの激しい、大変な年であったけれど、それでもこんなふうでいいかと思える。
別に悲しい思いをしたいわけではなくて、自分以外のことが思い通りにならないことを深く知りながら、今ある大事なものに敬意と優しさをもって接していきたい。
自分は、思い通りになると思われることはすべて、努力や勇気で思い通りにすればよい。
私が先日から何度も言っている、今年中にやりたいこと、は取り掛かり始めたもののなかなかうまく進まずに全然完成していない。
続きは来年に持ち越すとする。
時間がかかっても私はこれをやり遂げたいと思う。
私は私が感じることをいつも信じてあげたい。
そうして、自分の行動を自分で選んで行きたい。
愛すべき自分を、愛するに値する自分でいられるように。
また、今年の私は私で精一杯だったから、少しでも余裕を持って人に接することができるといい。
私の部屋で、たくさんの花が咲いた。
たくさんの花が枯れた、朽ちた。
動く花たちとともに一年があった。
「開」の翌年、来年はどんな年だろう。
恐れず、媚びず、柔らかく動いていきたい。
開く、咲く、瞬く、煌めく、そんなことがたくさんあることを願う。
笑えるときには、いつも笑って。
このブログを読んで下さっている方々、お知り合いの方もそうでない方も、「つぼみな日々」にお付き合いいただきありがとうございます。
まさに「つぼみな日々」の私ではありますが、来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
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