つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

怒りは本物?

2015-05-29 20:27:11 | 日記
携帯を落としてしまった。
おそらく、ポケットに入れたまま自転車に乗って、スルリと出てしまったのだ。
ハッと気づいたときに、来た道を戻ってみたけれど、雨も降っていて見つかるはずもなかった。

ポケットを信用し過ぎてしまった。
物理的に言って、そりゃあ落ちることもあるだろうことは容易に想像できるけれど、このポケットを付けた人はきっと携帯電話などをポケットに入れるだろうという予測と、その予測の上の実験を繰り返していてくれるだろうという、都合の良過ぎる訳の分からない期待を持っていたのだった。
いや、そんなことは別に本気で信じていたわけではない。
きっといつか落ちるだろうとは思っていた。

フリーランスとしては、本当にまずい。
とりあえず友人との約束があったので、自宅に戻り、PCを開いてFacebookで連絡を取る。

動揺はしていたけれど、以前洗濯機で洗ってしまったとき、以外にすんなりさまざまなデータが戻ったので何とかなるだろうとは思った。
しかしながら、データをダウンロードしたり同期したりログインしたり、想像するだけでも骨が折れる。
あと、自分で撮った写真はバックアップがあるものの、いつも眺めているLINE上にしか保存していない姪の写真がなくなってしまうことは何だか衝撃が大きかった。

auショップに出向き、誰も人がいなかったのですぐに対応してくれた。
もう端末代の分割支払いは終わっていたので、新規でiPhone6にする、6Plusは手に大きすぎた。
音楽のデータ量も増えて既に全部を同期できなくなっているので128GB、色はなんとなくゴールド。

購入は程なくして完了、ルノアールに入って充電をしながら、元通りにアプリをダウンロードする。
既に15時半のブランチに、フレンチトーストを食べる。
あぁ甘すぎる、とちょっと泣きそうになった。
ついでに、案じていた通り、各種メールアドレスのパスワードが全然一致せずログインができなくて、また泣きそうになる。

まあそれでも、ほぼ元通りになった。

ポケットはもう信じない。


レディオヘッドをとても久しぶりに聴いてみたら、何だかとても面白い。
かつて無闇に心を乱されてしまってから、すごく意識的に避けてきた。
しかしながら、今私はあまりこれについて動じなくなって、そうしたらきっとこれは音楽的によくできているのだな、なんて思うようになった。

連続して聴いていたヴァン・ヘイレンの切り替わり時点で、ちょっと笑ってしまった。
私が知りたいのが音楽そのものかどうか未だによく分からないけれど、音楽はやっぱり、やっぱり知りたいのである。


枕抱きユーカリの森で眠るぼく




紅花との乖離

2015-05-26 15:39:58 | 日記
初夏から夏にかけての昼下がりの午後。
仰向けに寝そべる。
乾いた匂いがする。

車のエンジンの音やタイヤがアスファルトを旋回している音が、絶え間なく基礎的な音として聞こえる。
時折、自転車のブレーキの音や、車のバック音もする。
隣りの家の電話の声がかすかに届く。
遠くで救急車が移動しているのは、たぶん本当だ。
私が音もなく呼吸をしていることも、たぶん本当だ。

平日でも休日でも、初夏から夏にかけての晴れた昼下がりにはいつもこの感じがする。
静かで穏やかな昼下がり。

冬にこの感じがないのは、窓を閉め切っているからか。


「“愛”って難しいですね」、「良い“愛”になった」と。
そんな話をしながらレッスンを行ったりする。

この仕事をするようになって、いろいろといただきものも増えた。
台湾のお土産です、中国のお土産です、うみぶどうです、りんごです、オーガニックのさつまいもです、有名店のクッキーです、あたり前田のクラッカーです、ドトールのケーキです、好きな作家の本です。
いつでもありがたく頂戴する。

金沢ご出身の方からいただいた「ふやき御汁」をひとつ開けてみる。
最中に詰まった乾燥具材に熱湯を注ぐと、最中の皮が破れて中から花の形をした麩やらわかめやら葱が出てくる。

最中の皮が昆布だしに溶けててろんてろんになる。
それでもちゃんと最中の皮の味がして、とても美味しい。

肉まんの皮とか、餃子の皮とか、クレープの皮とか、そんな皮の類が好きである。
しっとりとかぱりぱりとか、そういうのもいいけれど、皮そのものが持つほのかな甘みそのものが好きなのだ。


願い込め電車過ぎたら五月晴れ




レギパン

2015-05-25 14:36:37 | 日記
今までギターはコードだけ弾ければいいやと思ってきたけれど、Cメジャースケールを覚えることにした。
今や私の中で巨像と化してしまっている「音楽」というものに、半歩までいかなくてもにじり寄ってみたい。

何にも、何にも積み重ねのない私が「音楽」について分かりたいと思ったら、理論を知る必要がある。
小さい頃にピアノをやっていた経験はあれど、私の音楽経験や音楽知識はほとんど皆無と言っていい。
これは誇張ではない。
聴く、という行為さえも自覚を持ってし始めたのはここ3年ほどである。

いやまあこれは本当のところ、小心者の私のある種の武器を身に付けたい、ということでもあるけれど。

Cメジャースケールとは、単なる「ドレミファソラシド」のことで、ピアノでは単に白鍵を弾けば良いが、構造の違うギターではある程度感覚的にポジションを覚えてしまった方が良い。
しかしポジションを覚えたところで、それはピアノの白鍵の位置を把握しました、というただそれだけのことだから何にもならない。

まあでもいい。
にじり寄ってみたいのだ。
何があってもなくても。

いやしかし、音楽の全容とは、なんとまあ、計り知れないものなのだろう。
漠然とした巨像を、正しい巨像に認識するのさえも時間がかかりそうである。


たった今、結構大きな地震があった。
地面に突き上げられているような揺れだった。

子どもの頃、地震が泣くほど怖かった。
でも誰に泣きつくこともできずに、いつ起きるか分からない地震にひとり眠れない夜を過ごしたこともあった。
私の子ども時代というのは、その恐怖や不安を解消したり理解したりする手だてが圧倒的に不足していて、それを恐怖や不安だと表現することが全くできずに、思えば大きなストレスを感じていたように思う。

何も危害が及ばなければだけれども、今は地震は、ほとんど怖くない。


香水がすれ違う踊り場の恋




枕疑惑

2015-05-20 00:01:52 | 日記
普段病院に行くことがほぼないため、どこにどんな病院、いやもっというと風邪のときに病院の何科にかかればいいのかも分からない。
しかし個人の体が資本がダイレクトに収入に反映される仕事をしている以上、悪化はまずいと病院をネットで探してみる。

もう熱もほぼ下がっていたので、診察はものの2分くらいで終わった。
まあただの風邪だろうということなのかと思うが、診断があったのかどうなのかもよく分からなかった。

とりあえず出された抗生物質や咳止めなどの4種類の薬を家に帰って飲む。
毎食後にこれをしていたら、なんとまあ薬漬けなんだろうと思った。

予定していた仕事がキャンセルになって、なんてありがたい、と思いながら『闇金ウシジマくん』を読む。
地を這うように、読むのも辛い漫画であるが、ウシジマくんの風体はちょっとカッコイイ。

暖かくなってくるとあまりお味噌汁は作らないけれど、優しいお汁が飲みたくて出汁をとる。
風邪には生姜、と風邪対応に乏しい私の一般知識を闇雲にひっぱり出し、生姜も一片すりおろして入れる。

あぁ、美味しい。
生姜のおかげで体がじんわりとする。

弦を張り替えてもらったおかげでエレキギターをまた弾くようになった。
エレキギターは押さえるのが楽なので「To be with you」のソロがとても楽に弾ける。

私が何をイメージしているのかさえよく分からないし、それはギターの問題ではなくアンプやエフェクターの問題が多分大きいのだろうけれど、なんとなくコレコレ!といった感じの音がならない。
ということで、やっぱりエレキギターが欲しいなあと再燃してみたりもするけれど、やっぱりPCもイカれ気味なのでそっちが先だろうかとも思ったりする。


五月晴れ仰け反り仰ぐビルディング




ハードモード1

2015-05-18 02:22:56 | 日記
5年ぶりくらいに発熱した。
発熱というより、熱発、という感じ。

なんだか節々が痛く、体がおかしいと感じて、食欲もあまりないと思いつつ栄養をつけておかなければとヨーグルトやプリンやマシュマロを買って帰った土曜日。
もう食べているうちに悪寒がして、それでも一生懸命食べて、歯を磨いて顔を洗って布団に入った。

すでに夏の肌掛け布団に変えてしまっているので、寒気に勝てない。
「寒いときはダウンのまま寝るといいよ」と誰かが冬の時期に言っていたのを思い出し、冬着のもこもこのフリースを着た。

確認のために熱を測ると、すでに38.5度だった。
しかしもっと上がるだろうなという感覚もあった。

私の熱の出し方は、人に比べて回数がとても少ないけれども、とてもインパクトのある発熱をする。
なので今回も、あぁあれか、という感じがあった。

今までで最も体温が上がったのは、新卒で勤めた会社の研修が終わった時だった。
寒い寒いとシャワーを浴びて布団にもぐると急激に熱が上がり始め、なんだかまずいと思って体温を測るとなんと「40.9」と出た。
実はこのとき、まだ体温計は検温終了の音を鳴らしていなかった。
40何度で細胞とか酵素が壊れて脳に障害が出る、というようなおぼろげな知識があったものだから恐ろしくなって体温計を脇から引き抜いたのだった。

具合が悪いとどの体勢をとっていても居心地が悪くて収まりがつかず、本当に健康って素晴らしいと考えたりする。
一方で、体がちんちんになっているのを感じながら、私の体は機能しているのだなと観察したりもする。
“ちんちん”というのは方言で、何かが熱い状態を指す擬態語で、とてもこの感じをよく表す擬態語だなと思ったり。
発熱するといつも目が乾いて、涙が出るうちに泣きたくなったりするけれど、今回はそれがないなと気付いてみたり。
口の中にも違和感があって、親知らずのところが痛むので、抜いた方がいいのかと思ってみたり。

3時間ほどで体温は39.6度まで上がって、ようやく寒くなくなったので、峠は越えた感じがした。

発熱すると水分を失いやすく、抗ストレスホルモンが分泌されて血糖値が上がってますます抵抗力が落ちてしまうなどと、仕事で得た知識で心配も増やした。
とにかく水分補給はしなければと痛い喉でたくさん水を飲んだ。
イブやロキソニンSといった痛み止め兼解熱剤のようなものはあるけれど、むやみに熱を下げてはいけない、と聞いたことがあるので渦中には飲むのをやめておく。
その代わり、ストレスはビタミンCも消費してしまう、という知識の下、ビタミンCを薬のように飲んだ。

汗がうまくかけないので熱のせいで汗びっしょりなんてことも全然ないのだけれど、邪気を吸い込ませてしまったような気がして、ふらふらの体で着ていた服や枕カバーやシーツを洗濯をする。
ついでに私もシャワーを浴びる。

この発熱で、入っていた仕事を謝ってキャンセルさせていただき、楽しみにしていた句会にも出られなかった。
そんなこともあるさと思うけれども、やっぱりピカピカの健康って素晴らしい。


須く滑らかを食ふ水羊羹