つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

UFO

2011-11-28 22:43:51 | 日記
濃紺。
寒空。
たぶん、曇り。

星が見たい。
花も好きだけど、星も好き。

いつか見た、視界を全部星空で埋めたサハラ砂漠の夜空。
真夜中に砂漠の真ん中で仰向けのまま心をつかまれて、息をのんだ。


好きな色はなんですか?

空色です。




血豆色

2011-11-27 23:02:27 | 日記
11時に起きて、窓を開け、床を水拭き、シーツを洗濯して、トイレとお風呂を掃除して、ゴミを出す。

部屋着そのままの格好でノーメイク、ノーコンタクトレンズ。
iPodを耳に、ダウンを羽織って自転車に乗る。
流れた音楽はsuperfly.

雑誌を4冊と書道の本1冊とDVD2枚、自転車のかごに入れてものの20分で家に戻る。
休日の過ごし方として、陰気臭さは否めないが、私は帰り道よくする遠回りをしないでわくわくしながら家に舞い戻った。

書道の本とは『書愉道 双雲流自由書入門』武田双雲

書道をやっていると人に話すと武田双雲のことをたまに聞かれる。
「ああいうのは上手いの?」と聞かれることが多いが、上手いのではないか、というくらいしか言えない。
もちろん一般的な楷書についての話ではなくて、書作品として。
完全に私の個人的な好みで言うと、私が今までに見た彼の作品にはきゅんときたことはない。

ただこの本が「書愉道」であるように、筆と文字の世界が好きな人で、それを書道をしない人々にも分かりやすく説明をする言語的な巧さがある人だと思う。
また遊び心をもって文字の意味を想像させる字を書くのも巧い。
「楽」という字を本当に“楽しそう”な感じで書いたり、「太」という字を本当に太く丸っこい字にアレンジしてみたり、紙の中心からずれたところに「幸」と揺れた文字で書いたり、人に何かを連想させたり想起させる。

自由に創る、要はその発想力と表現力のある人なのだと思う。

心を伝えられる人、新しいことを創れる人、というのは、たとえきゅんと来なかったとしても、やはり尊敬する。

私も相当に遅ればせながら書道の創作を始めようかと思う。
活字を自分で作品に起こす。

これまで、そういうことをやったことがないわけではもちろんないが、ほぼお手本の下にやってきた。
お手本だって十分に難しいしそもそもお手本のとおりになんて到底うまくはいかない。

しかし私が怠慢であることと自信がないこと以外に、創作を妨げることなど何もない。

まずは自分に宣言するところから。
やろうとすれば、することなんて先が見えないくらいにある。



そっちの方が向いている

2011-11-26 23:34:24 | 日記
湯島天神で行われていた菊まつり。
とうとう私は花を見にそんなところにまで足を運ぶようになった。
どうやら学問の神様がいらっしゃるようで、中学受験を控えた小学生とその親たちで賑わっていた。

また、この菊まつりは菊を出品できるらしく、その展覧会でもある。
「優秀賞」やら「文部大臣賞」やら立派な賞の名が菊に掲げられているが、私には生憎写真の邪魔になるだけだった。

しかしいかに立派に、いかに堂々と魅せるようにと、たぶん自然のままでは頭が重すぎて折れてしまうほどの菊の花がワイヤーで支えられていた。
大きな作品では花を咲かせる場所へ花を誘導するようにワイヤーや紐で括られている。
そのままでは垂れてしまうほど花びらが柔らかいのか、病気の犬がつけるような、メガホンのようなもので覆われているものもあった。

しかし、自然の状態ではない、見ていて不愉快だ、とは思わない。
確かにどうにも見栄えが悪いものもありそれは宜しくないが、それは私の美意識の問題である。

東さんがいつかに言っていたが、「植物を殺して、生かす(活かす)」

見る者は人間であり、殺すのも人間であり、生かすのも人間である。
人間の表現欲求の一手段として使われるときの花は、決して人間そのものだけでは成し得ない、花そのものの美しさや生感、おどろおどろしさみたいなものが顕著に表れる。
だから自然の姿もそれはそれで良いが、作品としての花も私は好きだ。

人の頭ほどの大きさもある巨大な菊の花は、何枚もの花びらがぎゅっと密集して重なり、黄色や白、黄色に赤の絵具をさっと塗ったようなもの、外が白で中が真紅のものなどさまざま。
同じ白でも様々な白があって、あるものは白以上の白をしている。
白はとても派手な色だ。

コントに出てきそうな外人のカツラに見えるふざけた感じの花や、大胆に秋波を送ってくるかのような妖艶な姿の花。
全体像も表情もそれぞれ違う。

艶つやと水分を湛えていて、齧ったらジューシーな果物みたいに果汁が滴るかもしれない。
小ぶりのガーベラのような菊や花びらが線のように細く放射状に広がっている見たことのない種類のものもあった。
最終日ともあり枯れ朽ちているものもあった。


その足で『ステキな金縛り』を観に行く。
もう私は完全に三谷幸喜の喜劇が観られる。

どたばた進んでいく物語と仕組まれた笑い、最後に心に響くストーリー。
王道なプロットにも関わらず私は映画館で涙を流した。
それは紛れもなく私の中にまだ消化しきれない父への思いがあるからだ。
私が生きているこの父のいない世の中には、父のことを思い出して私を泣かせる引き金となるものがたくさんある。
そしてたぶん、私にはまだ少し時間がかかるだろうと思う。

これまで臨場感のある映画しか映画館で観る価値はないと思っていたのだが、喜劇も映画館で観るべきだと思った。
笑いのシーンで会場がどっと沸いたり、ほろりとするシーンで観客が釘付けになったり、シーンごとにシアター自体が動くような観客の反応を想像して作っているのだろうとさえ思う。

ついでに『阪急電車 片道15分の奇跡』を借りる。
最後には本当に「悪くないよね、この世界も」と思わせてくれるきれいな映画だった。
奇跡的な出来事と奇跡的な会話、奇跡的な関わり合い。

息を吹きかけられている氷のような心持ち。



利かない視覚の代わり

2011-11-21 23:34:10 | 日記
スマートフォンの動きが思い通りにいかな過ぎて、動作が重すぎて、嫌気がさしていた。
ロック解除の指リストすらもうまく反応してくれない。
「指リストが違います。もう一度やり直してください」
私の携帯で私が知っている指リストで開かないなんて、もうこの先ずっと仲良くなれないのかと何度も思った。
風に揺れる花がふっと止まった瞬間をとらえたくても、シャッターが切れるタイミングがずれてまた風に揺れ始めて手ブレじゃなくて花ブレを起こす。
スマートフォンなんて嫌いだ、とぼやいていた。

スマートフォンはミニPCだから1日1回くらいリブートしてあげなきゃだめだよ。

リブートの意味を帰路にスマートフォンで調べる。
早速、リブートしてみる。

随分長い間、息を止めたみたいにじっと「iida」の文字が黒い画面に光っていた。
そのあと「infobar」の文字がまたじっと光り続けていた。

その日から1週間、毎日リブート。
身軽になって機敏になった。
指リストも画面を軽く撫でるだけで反応するし、写真フォルダを開くのもずいぶんと軽くなった。
まだフリップ入力は慣れないけど、少しお近づきになれた。

知らないってどうしようもない。

ランチタイムに花屋に寄る。
サカキを一対。
生きていて緑の葉っぱがびっしり生えているけれど、色か、堅さか、なぜだか心動くものではない。

お店をあとにして無意識に歩き始める。
5歩くらい行って反対だと気づいて引き返す。

最近の私の感覚優先は、明らかに方向感覚を更に悪化させている。
でもまだ感覚優先でいい。
たぶんどんなにやり過ぎても周りの音が完全に聞こえなくなるくらい、そうはならない。

間違えたら間違えちゃった、って笑ってまた戻ればいい。

手が冷蔵庫の冷気をまとったみたいに冷たい。
去年の冬はどう乗り切ったんだろう。




ど真ん中

2011-11-19 23:37:09 | 日記
あまりに雨が降っているものだから、書道へ行こうと思って起きたのに断念した。
今日が提出締め切りのものがあったのだが、仕方がない。
行くまでに紙も濡れてしまうし取り置いているものがあるから大丈夫だろう。

しかもちょうど注文していた「45stones」が届いた。
玄関から部屋までの短い道で私は少し跳ねた。
今聞きたい。仕方ない。
書道をさぼることへの精一杯のエクスキューズを集めた。

しかし、CDなんて何年ぶりに買っただろう。
元々音楽にそれほどこだわりがないし、TUTAYAで借りるか人に借りるか、最近はもっぱらyoutubeから落としていた。
今回はライブに行って熱が上がっているのと、youtubeに私がどうしてもほしい曲がなかったから買った。
あと、基本CDを買わない奴や言うのもなんだが、アーティストのファンであるなら、CDを買うことは大事な貢献の仕方である。

ライブで聴いた曲も会場だと声が響いてよく聴き取れなかった歌詞を見て、彼の社会に対する憤りを改めて感じる。
下ネタを言いながら、自分の気持ちいいことをしながら、それでも許せない想いがあってそれを伝えたくて、バッシングに晒されることも痛いほどに承知しながら風刺をするのだと思う。
原発や、政治、教育、ネット社会、彼がどう感じているのかがよくわかる。

やっぱり声がセクシーだ。
100%まで声を張り上げないで少しだるそうに歌う歌い方も。

『ドレミの歌』の「ファ」はちゃんと「ファイトもって」だった。

なんとなく外に用事を作りたくて、取れかかったまつげパーマをかけにいく。
家から300m程の距離なのに強風強雨で足はびしょ濡れになってしまった。
「湿気が多いのでちょっと長めに時間おきました」
こういうプロらしいこと言ってくれるの好きである。

GEOBOXに行こうと思っていたが、駅まで行くのも憚られた強風強雨。


大事な前提を、最近ふっと忘れてしまっていて、はっとすることがある。
しかも人から指摘されて。
私も悪気があったわけではないけど、だからこそ、失礼をしてしまう。
本当に、ごめんなさい、と思う。
謙虚でいたいと思いつつ、謙虚でない自分を知ると自己嫌悪に陥る。


先日、少しの時間つぶしにマクドナルドに入った。
ホットティーを頼んで会計を済ませ商品を持って2階へ上がる。
ティーの蓋を取ると、透明だった。
トレイにティーバッグを探したが、ない。
20分くらいしか滞在時間がないし、レジは1階だし混んでいる。
あり得ないと思いつつも、白湯でもないあっつあつのお湯を3cmくらい飲んで店を後にした。