つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

寄る

2015-10-20 15:49:13 | 日記
気まぐれにレッスンの資料をまとめていて、かの有名な「蘭亭序」について調べてまとめていた。
私は中国の古典は書くのこそ好きだけれど、あまり詳しく詩意や歴史について捉えてこなかった。

書道というのは、世間的に言って何やら格調高く思われている節がある。

私が所謂脱サラをして個人事業主になったことは非常に危ういことだと思うし、親や親せきからしたら「あいつは四大まで出て何をやっているのだ」と言われかねないようなことだと思う。

しかも私の場合、ただ単に月曜日から金曜日まで会社勤めをすることが面倒になってしまったということがあるので、まあこれは親類には言ってはいないが、ただのどうしようもない奴、というレッテルを張られても良さそうなものだ。
なのにそうならないのは、おそらくそれが、書道、であるからなんとなく安心しているのだろう。
なんと盲目的なことか。

華道や茶道や香道など、日本文化の系統も大丈夫かもしれない。
小説家とか、絵本作家とか、陶芸家とかではダメかもしれない。

これが、ギターで食っていく、となったらもう当然反感を食らっているところだろう。
職の形態において、全然安心なんかではないし、全く同じことなのにも関わらず。

私の素性を知っている親類からはそうは思われないが、もっと言えば、書道をやっている人は人格的にも優れている、そんな見方さえ存在するようにも思う。
「字がきれいな人はちゃんとしている」なんてそんな見方も少なからず存在する。

それだけ権威に守られてきた世界なのだろうし、そういうふうに社会が成り立っているとも言える。

一方で例えば、書の大家、と呼ばれているような先生が書道的にすごくないということもないだろう。

しかし字は記号として、自分が読めて、他人が読めれば、その機能は過不足なく果たされ、一旦終了である。
それ以上の何かを求めるとき、自分が何を求めているのかをよく考えた方が良い。
そしてそれはきっとどうしようもなくて、愛おしいものだろうと思う。

私は人に教えるとき、なるべく、商売的な面から言っても、自分における権威の話を避ける。
まあ、師範資格は一応持っています、程度は言うけれど、そんなものに意味は特にないですよ、とも言う。

どちらかというと、私の字だったり、私という人間だったり、そんなものでやっていきたいと思っている。
そもそも、権威など私には本当に露もあったものではないけれど、私は権威を売りたいわけでは全然ない。
だから、例えば少し人より字が上手く書けるとしても全然ちゃんとなんかしていない、というように振る舞う。
振る舞う、というかそもそもそうだし、師弟関係であろうと同じ普通の人間です、ということにしたい。

しかしこのやり方が商売的に良いのかは、疑問なところもあるけれども。
このひよっこが、とも自分で思う。

と、このようなことは以前にも書いた気がするのだけれど、かく言う私にも、中国の古典については無意識にそういうような見方をしてしまっていた。
単純に外国語なので読み解くのが難しいという理由も大きいが。

しかし今回「蘭亭序」を読んでいて、王羲之や古代の貴族たちもただの人だったのだということがふと腑に落ちたのだった。
いやまあ当然皆ただの人なのだけれど。

「蘭亭序」は353年に書かれたと言われていて、書において非常に長きにわたりとても崇められている書だけれど、その内容は、詩歌を詠み合う貴族たちの宴で、宴の終わりに詩集をまとめようと王羲之がその序文を綴ったものである。
この宴は、小川から酒が流れてくる間に詩を作り、酒を飲みほして詩を朗詠するというものだったらしい。
また、詩が作れなくても酒を飲みほさなければいけなかったらしい。

どこまで本当なのかは知る由もないが、酒に酔った王羲之が書いたものだと言われている。
この宴の後日、王羲之は100回以上も清書をしようとしたらしいが、一発目に書かれたものを越えることができなかったらしい。

自然で、自由で、艶っぽい書だとは思っていたけれど、そういうことだったのか。
しかしついでに、こんなにも崇められている書だけれど、王羲之の真跡、つまり現物は残っていないらしい。
現存するのは、その時代の書の名手が敷き写しなどをして書かれたものなのだとか。

それもそうと、書かれている内容に、私は改めて酷く感動したのだった。

いかなる事物も、自分と同じ地平に下ろして考える。
これは岡本太郎の「今日の芸術」を読んで肝に銘じたことだ。
私の場合、まずそこから始めていきたい。


以下、「蘭亭序」前文と現代語訳。

永和九年、歳在癸丑、暮春之初。會干會稽山陰之蘭亭、脩禊事也。
永和九年、歳は癸丑に在り、暮春の初め會稽山陰の蘭亭に會す。禊事を脩するなり。

永和九年癸努丑の年、春(三月)初めに、会稽山のかたわらにある「蘭亭」で禊事(曲水の宴)を開きました。

郡賢畢至、少長威集。此地有崇山峻嶺、茂林脩竹、
郡賢畢(ことごと)く至り、少長威集まる。此地、崇山峻嶺、茂林脩竹有り。

大勢の知識人、年配者から若い人まで集まりました。さて、ここは神秘的な山、峻険な嶺に囲まれているところで、生い茂った林、そして見事に伸びた竹があります。

又有清流激湍、暎帯左右、引以為流觴曲水、列坐其次。
清流激湍ありて、左右に暎帯せり。引きて以って流觴の曲水と為し、其の次(かたはら)に列坐す。

激しい水しぶきをあげている渓川の景観があって、左右に映えています。その水を引いて觴(さかずき)を流すための「曲水」(人口の小川)を作り、一同周りに座りました。

雖無絲竹管絃之盛、一觴一詠、亦足以暢叙幽情。
絲竹管絃の盛無しと雖(いえど)も、一觴一詠。亦、以って幽情を暢叙するに足る是の日なり。

琴や笛などの音楽が奏でるような華やかさこそありませんが、觴が流れてくる間に詩を詠ずるというこの催しです。心の奥を述べあうには十分です。

是日也、天朗気清、恵風和暢、仰観宇宙之大、俯察品類之盛、
天朗に気清(すみ)、恵風和暢せり。仰いでは、宇宙の大を観、俯しては品類の盛なるを察(み)る。

この日、空は晴れわたり空気は澄み、春風がのびやかに流れていました。我々は、宇宙の大きさを仰ぎみるとともに、地上すべてのものの生命のすばらしさを思いやりました。

所以遊目騁懐、足以極視聴之娯、信可楽也。
目を遊ばしめ、懐いを騁する所以にして、以って視聴の娯しみを極むるに足る。信に楽しむ可きなり。

目を楽しませ、思いを十分に馳せる、そして(それを述べ合うのは)見聞の楽しみの究極といえます。本当に楽しいことです。

夫人之相興、俯仰一世、或取諸懐抱、悟言一室之内
夫れ人の相興(あいとも)に一世に俯仰するや、或は諸を懐抱に取りて一室の内に悟言し、

そもそも人間が、同じこの世で生きる上において、ある人は一室にこもり胸に抱く思いを人と語り合おうとし、

或因寄所託、放浪形骸之外。
或いは寄するに、託する所に因りて、形骸之外に放浪せり。

ある人は、言外の意こそすべての因だとして、肉体の外面を重んじ、自由に生きようとします。

雖趣舎萬殊、静躁不同、當其欣於所遇、暫得於己、
趣舎萬殊にして静躁同じからずと雖も、其の遇う所を欣び、暫く己れに得るに當りては、

どれを取りどれを捨てるかもみな違い、静と動の違いもありますが、そのそれぞれが合致すればよろこび合いますし、わずかの間でも、自分自身に納得するところがあると、

怏然自足、不知老之將至。及其所之既倦、情随事遷、
怏然として自ら足り、老いの至らんと將(す)るを知らず。其の之く所、既に倦むに及びては、情事に随ひて遷り、

こころよく満ち足りてしまい、年をとるのも忘れてしまうものです。自分の進んでいた道が、もはや飽きてしまったようなときには、感情は何か対象に従って移ろい、

感慨係之矣。向之所欣、俛仰之、以為陳迹、
感慨之に係れり。向(さき)の欣びし所は、俛仰の間に、以に陳迹と為る。

感慨もそれにつれて左右されてしまいます。以前あれほど喜んでいたことでも、しばらくたつともはや過去の事跡となることもあります。

猶不能不以之興懐。况脩短随化、終期於盡。
猶、之を以って、懐いを興(おこ)さざる能はず。况や、脩短、化に随(したが)い、終に盡くるに期するをや。

だからこそおもしろいと、思わないわけにはいかないのです。まして、ものごとの長所・短所は変化するものであって、ついには人の命も終わりが定められていることを思えばなおさらです。

古人云、死生亦大矣。豈不痛哉。毎攬昔人興感之由、
古人も、死生亦大なりと云う。豈、痛ましからずや。毎に昔人感を興ずるの由を攬るに、

昔の人も死生こそ大きな問題だと言っています。これほど痛ましいことはありません。昔の人は、いつも何に感激していたか、そのさまをみていると、

若合一契未嘗不臨文嗟悼、不能喩之於懐。固知一死生為虚誕、
一契を合はすが若し。嘗て、文に臨みて嗟悼せんずばあらず。之を懐(こころ)に喩す能はず。固(まこと)に死生を一にするは、虚誕たり。

割り符を合わせるように私の思いと同じでした。いまだ嘗て、文を作るとき、なげき悲しまないでできたためしはなく、それを心に言いきかせる術はありませんでした。実際に死と生は同一視するなどということはでたらめです。

齊彭殤為妄作、後之視今、亦由今之視昔。
彭殤を齊(ひと)しくするは妄作たるを知る。後の今を視ること、亦由(なお)、今の昔を視るがごとし。

長命も短命も同じなどというのは無知そのものです。後世の人が今日をどうみるか、きっと今の人が昔をみるようなものでしょう。

悲夫故。列叙時人、録其所述。雖世殊事異、所以興懐、其致一也。
悲しいかな。故に時の人を列叙し、其の述ぶる所を録す。世、殊に事、異なると雖も、懐(おも)い興す所以は、其の致(むね)一なり。

悲しいではありませんか。こんなわけで今日参会した方々の名を並記し、それぞれ述べたところを記録することにしました。世の中が変わり、事物が異なったとしても、人々が心に深く感ずる理由は、結局は一つです。

後之攬者、亦將有感於斯文。
後の攬る者も、亦、將に斯の文に感ずる有るらむ。

後にこれを手にとって見てくれる人は、きっとこの文章に何かを感じてくれるにちがいないと信ずる次第です。



電柱に蟻が登りて天高し




経験則に漏れず

2015-10-18 15:07:41 | 日記
2人目の子どもが産まれて、2か月の間けいこのかいがいしい世話も一旦終了して、てんてこまいになっているいもうとを援助に行く。
私の住んでいる場所から小一時間かかるので、遠い。

下の子はおかあさんを独り占めする知恵を心得ている、どうしてもそんなふうに思えてしまうのは、私が上の子の目線で見ているからだろうか。
もちろん自分ではまだ数センチ移動することも、向きを変えることさえもできないので、あらゆるお世話が必要なことはそうなのだけれど、起きているときは「私を抱いててくれないと泣いちゃうもんね」というアピールが、上の子に対して行われているような気がするわけである。
上の子がとても顕著に嫉妬を示しているので、それに対抗しているようにも見える。

下の子にかかる時間に、上の子は仕方なしに私の膝に入ってきたりする。
私はそれを、物理的な意味で、重たいな、温かいな、と思いながら、私じゃだめだよね、でも座る膝がないよりいいよね、と心の中で思う。

きょうだいのどのポジションであれ、思い通りにならない、という思いを日々やり込めながら皆複雑に成長していくのだろう。
姉には姉の、妹には妹の、それぞれの“思い通り”のために日々奮闘していくのだろう。

それもそうと、きょうだいというのはさまざまな関係があると思うけれど、きょうだい仲が悪い、という場合はほとんど親の愛情の取り合いに端を発しているものだと思う。
一人っ子の人が、「きょうだいが欲しかった」という切実な発言を私は未だかつて聞いたことがないのだけれど、おそらくそういうことだろう。
一人っ子が自分の“思い通り”になるかは別としても。

私といもうとは双子なので、もう少し特殊な関係性があったわけだけれど、今割と仲が良いのは、親の愛情を取り合うということはさほどなかったからのように思う。
幼い頃は、私よりもいもうとの方が身体が弱く、そのせいで置き去りにされていた私の心は荒れもしたけれど、その後けいこの愛情はほとんど平等に分配されたように思っている。
まあ、というより、けいこの愛情表現は孫に対するものとは全然違って非常に分かりづらいものなので、奪い合うそれは特になかったのだけれども。

それにしても子守というのは、本当に大変である。
上の子は3歳で、所謂「注目行動」で大人にとっての“悪さ”もするし、言葉が達者にもなって「何してるの?それ何?」「それ一個だけ食べたい」と外で煙草を1本吸うことも、コーヒーで小休憩することもままならない。

朝起きて、朝ごはんの支度をして、着替えさせて、食べさせて、片付けして、洗濯して、掃除して、上の子を保育園に送り、お昼を済ませて、買い物に行き、ワイドショーを見たら上の子のお迎えに行って、遊びに付き合い、夜ごはんの支度をして、食べさせ、片付け、洗濯物をたたみ、明日の準備をし、お風呂に入れて、寝かしつける。
その間に、下の子の授乳とおむつ替えを度々行い、泣くのをあやす。
夜は「ふえっ」と下の子が泣けば、むくっと起きて授乳をしておむつを替えたり、あやしたりする。
子どもがひとりなのとふたりなのとでは大違いだ。

おばさんの私は、授乳はもちろん、特にごはんを作ったり、おむつもめったに替えてあげないのだけれど、おむつは私が逆に付けてしまったりするので呆れられる、とりあえず、子どもから文字通りの意味で目が離せないということが問題なので、何を特別にしなくとも子どもを見ている大人が必要なことはよく分かる。
おとうさんもできるだけ早く帰ってきてほしいし、おばあちゃんにもいてもらいたいというのはよく分かる。

子どもの社会性を身に付けるべく、あらゆる時間に定刻が設けられているので、もう12時、もう3時、もう5時半、もう7時半、もう9時!と目まぐるしく一日が過ぎていく。
今の私は、仕事の都合以外は定刻で動くことが少ないので、これに付き合っていると全然私の“思い通り”にならない。
大人の私が何を言うか、だけれど。

私はかわいい姪っ子たちに、なるべく社会性のない生感が伴った意志のある行動、をおばさんに見せてほしい、という願望を密かに持っていもうと宅に出向くのだけれど、そんなものは0歳児であろうと3歳児であろうとそんなにたくさんはないもののように思えてきた。
子どもは子どもなりにかなりの状況把握をしているようだし、既に「役割演技」のような行動で手一杯のようにも見える。
あと、0歳児では行動の幅が狭すぎて、当然ながら何か意志を持って行動するにも表現力がなさすぎる。
というのもあるし、受け手側も0歳児の表現を読み取ること能力に乏しいというのもある。

誰のためでもない、ただそうしたくてそうしたの、そんな瞬間に立ち会えたらおばさんは幸せである。
ただ、私のイメージするそれは、きっと多くの場合男の子がするような行動のようにも思う。

仕事があるので、ひと晩泊まって朝早くいもうと宅を出る。
実家に帰ったときのように、私は早々にイヤホンを耳に突っ込む。
エアロスミスのスティーブンタイラーは、本当に「スティーブンタイラー様!」という感じがして、持っていかれる。


窓辺にてしぐれてきたよと長女言う




ひねっても

2015-10-15 02:35:28 | 日記
歌詞は書くのに長いので、良さそうな四字熟語を探す。
大きさが半端になっていた紙を片づけるべく他にもいくつか書く。

別に書きたい言葉があるときも、ないときもある。
どんな言葉を書いても良いのだけれど、自分で探すと方向性が偏りがちだ。
だから最近は生徒さんが持ってきた言葉や、目に入ったものをただ書いてみるということをすることもある。

フェイスブックに書の嗜む人の集いがあって、それに参加してみる。
いろんなたくさんの人が書道をやっていて、さまざまな形式の書が投稿されている。
外人さんなんかも結構いたりする。

フェイスブックに投稿するのは、いつもおっかなびっくりである。
そもそも友達の数も少ないし、フェイスブックにおける社交を好んでこなかったので、いまいち温度感や距離感などがよくわからない。
しかし今となってはそんなことを言っている場合でもなく、私が書でどのようにしていきたいか判然としないが、露出は高めておいた方が良いだろう。
そして、単純によろしかったら見てください、という気持ちの下、反応があってもなくても、吊るされる覚悟を持たねばならない。

と、気負い過ぎつつ投稿したわけだが、あるお方が私の師の香りがする、でも個性に昇華している、というようなコメントをくださった。

師と言っても、私はこの師、創始者には直接教わったことはない。
私がそこで書を学び始めたときには既に七回忌の遺墨展が催されていた。

もちろん今いる先生方は創始者の先生のやり方を継いでいるわけだけれど、それでも各々の感じはにじみ出る。
各々の息吹や呼吸を吸い取ろうとすればそれも可能だろうと思う。

しかし最近は特に、やはり源流、創始者のやり方や字そのものをイメージとして取り入れていたことが多い。
結局のところ何を書いたって自分にしかならないので、分厚いゴムのような自分の枠を、うおおお、と押し広げていくことを続けていくしかない。
できたものが、結果、自分らしかったとしても、どうせいずれにせよ自分らしい書になるのだから、自分らしくない書も見たいものだ。
へーこれいいね、と我がことを我がことでないように言えたらいいではないか。

最終的に破壊できない記号としての文字を紙の上でどう扱っていくか、またそれに込めたい気持なんかがあったりする場合にはそれをどう乗せるか。
たくさんの発想と、たくさんの筆遣いを手にしておきながら、時にそれを選んで出し、時にそれを選ばずして出す。

話がいささかとっちらかってしまったが、作品の全体感もさることながら、そんな創作の要素が満載の創始者の書が私は好きなのである。

私の通う書道団体の基本的な書は、割にわかりやすいというか、派手な章法をするので、言い当てられるのは当然と言えば当然なのかもしれないが、不思議な気持ちがした。
あと、単純に嬉しかった。


友人の誕生日に、一筆おめでとうと書いてその画像をLINEで送った。
翌日、私が日付を勘違いしていて、1日早く送ってしまったことに気が付いた。
「ごめんごめん、本当は今日だよね。今日が13日と思ってた」とメッセージを送ったら、「残念。17日です」と返ってきた。

失態重ねで何も言えなくなった。
友人が、一度目に画像を送ったとき、何もかもを受け流して「ありがとぉぉ」と応えてくれたことに陳謝したい。
ちなみに去年はすっかり忘れていて、大幅に遅れてメッセージを送ったのだった。

誕生日どうこうで私が人に抱く親愛度は全くもって変わらないけれども。けれども。


またプールに行けた。
本当に結構好きみたいである。

今日は歩いて行く。
自転車では急すぎる坂道や、自転車では通れないほどの迷路のような細道を縫っていくと、いきなり目的地に出た。

今日は、潜水をしているときに頭を下げるととても進みが良いことを知った。
ひとかきするごとに、水の中をぐんと進める。

潜水は、監視員の目が届かなかったり、上を泳ぐ人との接触が危険ということで、基本的にNGにしているところが多いらしい。
私はそんなことがプールのルールとしてあることさえ知らなかったけれど、結構常識的なことのようである。

しかし、プールサイドに「追い越し禁止」とは書いてあるけれど「潜水禁止」とは書いてないし、HPにもそんな注意事項は載っていない。
監視員に私は周りを見ながら泳いでいます、沈んでもいません、というようなアピールをしつつやっていれば大丈夫だろう。
それに、25m全部を潜水していくこともできない。

帰りも、ぼーっと感を味わいながら細道を適当に歩いて行くと、いきなり家のそばに出た。
また全く同じ道を通ることは難しいだろう。

買っておいた鶏手羽元と大根、えのき、しめじ、生姜を、醤油とみりんで煮る。
やっぱり、肉を入れて美味しくないものを作るのは難しい、と言えるほど、簡単で美味しいものが作りたいなら肉は必須である。


午前二時しじまあふれて天の川




暖簾の対応

2015-10-12 12:14:43 | 日記
面倒なことをするのには他人が必要なんだよね。
とふと人に言われて、あぁなるほど、と思った。

誰かが見ていてくれたり、味わってくれたり、誰かと一緒ならば、魚も焼けるし、ハンバーグも作れるのかもしれない。
その場合、美味しいごはんが食べたい、ということよりも、自分について賞賛してほしかったり、同じ時間を過ごしたいという願望が上回っているように思う。

ひとりの場合になるべく省エネルギー、低コストになってしまう事柄は、好き極まりない、ということはないのだろう。
私にとっての料理や旅行はそういう感じがする。
ただもちろんそれを他人がいてくれてやれるのは結構楽しいし、しかし、長期間それをやり続けることは難しい。

一方で、私にとって書くことは、他人を必要としないこともある。
その事の最中に、最も麗しい時間が訪れる、そんな瞬間がある。
ダメだダメだと思う半面で、あぁなんとなく私の思い通り、なんてこともたまに起こる。

無論、他人からのレスポンスというのは嬉しい。
できれば、というかもう当然、批判よりも賞賛の方が良いだろう。
でも、批判されるというのは存在自体は他人に認識されたということに他ならないから、もしかしたら「私の思い通り」であるものに対する作品への批判は、ないよりも良いのかもしれない。
たぶん、食らったら痛いけれど。

世の片隅で誰からも頼まれることなく、ナチュラルな気分で、うふふ、と書いたもの、あるいは、うふふ、でなくても、うぐぐ、でも何でも良いけれど、何かが消化され昇華したものはきっとその時点で完結を迎えているような、そんな気がする。
そんなものであれば、他人がそれを見るときに、何かそのコンテンツにおける素養や、理解を強要することはなくなるであろう。
見る側はいつだって“全体感”から何かを感じたり感じなかったりすればいいだけのはずだ。

まあその一方で、先日俳句について思った通り、その道についての素養教養を積み上げて興じる、という領域も別としてあるけれど。

今の私が思うに、創作において自分だけの楽しみの他に、人を介して成し得たいと思うものは、まったくの理解の強要なしに理解をしてもらうこと、ということなのかもしれない。
いかにも高慢ちきで欲深く、理解の度合いとして極めて高次だけれど、そんなところだろうと思う。

サンボマスターの山口さんが「言葉にならないから、ギターを弾くわけですよ」と言っているけれど、そもそも私も、自分についての何を分かってもらいたいのかが、きちんと系統だてて説明することができない。
それに、そんな自分なんてものは日々刻々と変化を遂げている。
だからまあ、“全体感”を醸せる何かを、そのときの感じでやるのだろうと思う。

音楽やギターについては、私は人に見てもらいたいなどと思ったことが露ほどもないけれど、表現として音楽をやる人がごまんといることの意味は今までよりも分かるようになったのではないだろうか。

ビリージョエルの「ビリー・ザ・ベスト」を聴いて、これぞベストアルバムというような名曲揃いに今さら驚く。
よく耳にする、誰もが聴いたことがある、そんな曲たちなわけだけれど、尚、ビリージョエルがちゃんとそこにいるのである。
心地の良い音楽、に留まらず。
私が拾いたいものは、心地良い、ということだけではなく、心地良くない要素を含むものである。

ポールマッカートニーなどと並んでメロディーメーカーと言われているらしいけど、そうか、メロディがすごいのか、とこれもまた今さら思ってみる。


スーパーで大学生らしくカップルが、「俺これ買って立ち歩きしたいんだけど」とお惣菜の鮭のパン粉焼きを指さして言っていた。
「立ち歩き」という時点でもう私は楽しくなってしまったけれど、鮭のパン粉焼きを「立ち歩き」したいとはもう。
楽しい気分にさせてくれてありがとう、と、飲むつもりはなかったのにワインを買って店をあとにした。

「神の雫」が面白い。


決断が動かぬ列車と秋雨前線




演技的メスアラウンド

2015-10-10 09:41:17 | 日記
またプールに行けた。
結構好きみたいである。
それが嬉しい。

仕事を終えて、21時過ぎに家を出る。
22:15までに退水しなければならないので、プール後のぼーっと感を大切にするために歩いて行く時間はない。
起伏の激しい道を、すさぶ秋風に向かって自転車をこぐ。

3回目だけれど道に迷って、グーグルマップの矢印に頼る。
行き過ぎた二坂を頑張ってこぐ。
ちなみに、2回目も迷っている。

水の中は空気中と圧倒的に音も景色も違う。
身動きが取りづらいのは当然だけれど、水の中を基準として考えるとそんなこともない。

25メートルプールを半分以上潜水して進む。
平泳ぎをしながら自分で作る光の輪を追いかけながら進む。
その光に手が届くことも、追いつくこともない。

ひと呼吸でもっと長い時間水の中を観察したいけれど、息が苦しいので顔を上げる。
そういう意味では、当然ながらやっぱり水の中には適していない身体とも言える。

平日の遅い時間のプールには1レーン1,2人がちらほらと泳いでいたけれど、たとえばこのプールを独り占めできたとしたらとても楽しいだろうと思う。
レーンを分けるコースロープもなしに。

こんなにもいっぱいの水が私のもの。


アジの塩焼き、春菊のおひたし、納豆、ごぼうときのこと豆腐の生姜みそ汁。
なんとまあ立派なご飯を作る。

何となく焼き魚の季節かと思って、安売りしていたアジを買ってみた。
そもそも魚はそんなに好きではないし、サバやサンマなど、さばかなくても良い魚は過去に数回買ったことがあるけれど、1匹丸のままの形の魚を買ったのは初めてである。

そのまま焼けば良いのかと思っていただけれど、軽く調べてみると、アジは内臓を取らないと生臭さがかなり残るので下処理が必要とのことだった。
この時点で買ったことを後悔したけれど、そんなことを言っても後の祭りなので、ざっと、さばき方を読んでやってみる。
読んで、と言っても読むのも面倒だったので「内臓を取る」ということくらいしか頭には入れずに。

アジを洗って、腹に包丁を入れる。
普段何の気なしに美味しく食べている身分で言うことではないが、随分と乱暴なことをしているように思えた。
ちなみに、肉はほとんどそのまま焼くか茹でてからしか切らないので、生肉をそのまま包丁で切ることも滅多にしない。

内臓を引きづり出して、背びれを取る。
包丁を入れていても骨々しくて、本当はピンセットで小骨を抜くなどの過程があるのだろうけれど、当然しない。
再度流水で洗ってペーパータオルで水気を拭いて焼く。

魚臭い。
骨が面倒ながら美味しく食べたけれど、魚臭い。
ゴミ袋も、シンクも、魚臭い。

もう、買わない。


カステラの紙で占う豊の秋