直島。
俗にアートの島と呼ばれているだろうか。
いつか行ってみたいね、で留まれない私たちはまた弾丸の旅の企画をして、岡山駅で落ち合った。
5月、休日、青空、新緑。
季節と天気が、その良さをとっても盛り上げてくれたけれど、それを差し引いてもとても気持ちの良い場所だった。
今は京都に住んでいる彼女と旅行に行くときは、旅先で会うことが多い。
いつも早朝、始発の電車に乗って、飛行機やら新幹線やらでひとりで目的地に向かう。
もちろん帰りの道中も同じようにひとりだ。
ときに、ひとりは都合で帰り、ひとりはもう1泊そこに残る、なんてこともある。
東京と京都で離れてしまって以来、私たちは会うや否やものすごいスピードで喋り出す。
高速フル回転のマシンガントークである。
まあ彼女が東京にいるときからそれはさして変わりはないか。
夜、お酒を飲んで、しばらくして眠くなるまでそれはずっと続く。
彼女は生粋の京都弁なので、私も若干ながらそれに引きずられて、口調をおかしなことにさせながら喋り続ける。
たわいもないことを喋っていることもあるのだけど、私たちは割と重要そうなことを延々とマシンガンで喋り続ける。
その相手の高速な喋りを聞き流しているということもなくて、また、笑い転げているというようなこともない。
そのレスポンスはあまりにも的確で、結局のところ自分の考えをお互いでまとめ上げているような作業に近い。
最近の話、家族の話、仕事の話、アートの話、趣味の話、友達の話。
全部を知ってもらいたい、と強く願ったわけではないけれど、結果的にお互いの結構な範囲の話を話しているし知っている。
彼女は私のことを会って一目見れば、たぶん私の精神状態がどのようであるかある程度の深さまでおよそわかるのではと思う。
ちなみに彼女はとても合理的な人なので、彼女といるときに私はあまり頓珍漢なことは起こさない。
足を滑らせるくらいのことはするけれど。
直島はとても便の悪い場所だった。
島内を走っているバスは1時間に1本程度、島と島を行き来している船は2時間に1本程度、一日の最後の船は15:55、タクシーは各島に1台、そんな具合である。
観光協会の人も、4月に変わったらしいタイムテーブルを把握しておらず、タクシー会社も今日は日曜日だから休みかもしれんねえ、と呑気に言う。
レンタサイクルもレンタカーも、繁忙期の観光客数には全然追いつかず、移動手段を逃してしまった人には本当に身動きが取れなくなる。
実際に私たちも、豊島からのアクセスをきちんと確認しなかったために、バスを逃しレンタサイクルもタクシーもレンタカーもだめとなり、豊島まで来たはいいものの、まるまる2時間何もすることがない状況に陥った。
豊島美術館はそれを見ずして、豊島に来たとは言えない、というくらいの目玉の観光地だから私たちは途方に暮れた。
他に見るものが特別にはない、ということもある。
仕方がないので、のどか過ぎる島の風景を見ながら散歩をしていると、レンタカー屋のおじさんから折り返しの電話がかかってきて、12時までなら大丈夫と言う。
しかし、一緒に行った彼女は前日に財布をすられていて免許証を持っていなかった。
私は免許証は持っているけど、運転ができない。
大急ぎで準備してくれた書類を記入しながら、私はおじさんを見上げて、「できれば、美術館まで送っていただいて、12時にまた美術館まで迎えに来ていただくことはできませんか・・?お金、お支払いしますので・・・」と申し出た。
だって私は、何の誇張もなく、車を発進させることすら危ういのだ。
免許を持っている私が、レンタカー屋からおじさんたちが見えなくなるところまで運転しなければならないだろうから、それは本当に無理なのだ。
おじさんは、「そうか、その手があったわ」と言って快諾してくれて、軽自動車で細く曲がりくねった丘道を疾走して私たちを美術館まで届けてくれた。
ついでにと言って、おじさんは島の名所をいくつか疾走中に通って説明してくれたけれど、それが何だったのかが方言がきつくてよく覚えていない。
あのあたりには島がいくつか点在していて、直島、豊島、犬島の各場所にベネッセが建てた美術館がある。
安藤忠雄が設計した近代的な打ちっぱなしコンクリートの美しい建物である。
私は中にあった美術作品については、さほど好きではなかったのだけど、その建物と周りの環境は素晴らしかった。
まさに「異空間」という感じの建物の中は、「どこだろう、ここは」と単純に感嘆の声をあげてしまうような、これぞ「非日常」という空間だった。
新しいことはとりあえず何でも、貴いものだなあと思う。
遠いところは疲れるけれど、新しいことに触れに遠くに行くのは、何か自分を知ることができるかもしれないことだ。
以前私は、所謂絵画などのアート作品を観ても、好き嫌いをはっきり言うことはなかった。
よくわからなかったからだ。
でも最近は顕著にそういうことが自分でわかることが多い。
作者が自分自信を露わにした作品が、作者がそれを本当に言いたくてやりたくてそうしている作品が好きなのだ。
小手先だけの理解でもなくて、センスや技術だけでもなくて、とてつもない壮大なことをやり抜いたということだけでもなくて、自分という人間が、それがそれでしかあり得ない様相で溢れ出てきてしまう、そんな作品。
そういったことは、ここの美術館には私は感じられなかった。
ただ、国吉康雄さんの説明で、本人の話した言葉として、「アーティストは制作にあたり多くの壁にぶつかる。私は暗いものの中の暗いものを描くことに興味があった。それが自分にとってなんであるかが分かるまでに数年を要した。それが分かることは一時の満足が得られた。しかしそれは私の人生の重要な一点であったに過ぎない」というようなことが書かれていて、これには感銘を受けた。
この島々は、少し前にベネッセが大規模な資本を投下して、大がかりな建造物を建てなければ過疎化が激しい閑散とした島なのだと思う。
アートの島としていきなり名前を付けられたこの島は、文化に染められた人たちがたくさん訪れるようになって異色な雰囲気を漂わせている。
それでも、沖縄のように本州の人が移住してきて、民宿をやっているようなこともほとんどなさそうで、夜の人けのなさやフェリー乗り場にどこからともなく集まってくるおじいちゃんたちは昔のままのような感じがした。
浸食されているというふうに感じないものかと思ったりもしたが、それほどの開発もおもてなしも進んでいないようで、観光産業は島の内部を脅かしているようなものではなさそうだった。
便が悪いから良いところ、そう言えなくもなさそうだった。
たくさん深呼吸をして、たくさん喋った。
島に1件の深夜営業のバーが満席で入れなくて、12時間くらい寝た。
彼女を島に残して、一足先に私は岡山空港へと向かった。
私が家に着く頃、「今いるお店で、さんたらーらー、が流れてるよ」とLINEをくれた。
「さんたらーらー」とは「日曜日よりの使者」のことだったらしい。
そういえば彼女はまた、自然の気が強いところで、「気の動きが見えへん?」と私に言っていた。
「見えない。でもね、見えると言っているのは信じてるよ」
誰と一緒に過ごすかは、あるいは過ごさないかは、人生を決めると言ってもいい、と言ったのは誰だっただろうか。
南国特有の強い色の花がところどころに咲いていた。
青空が背景だったら、何だってきれいに撮れる。
青空が背景だったら、何だって絵になる。
俗にアートの島と呼ばれているだろうか。
いつか行ってみたいね、で留まれない私たちはまた弾丸の旅の企画をして、岡山駅で落ち合った。
5月、休日、青空、新緑。
季節と天気が、その良さをとっても盛り上げてくれたけれど、それを差し引いてもとても気持ちの良い場所だった。
今は京都に住んでいる彼女と旅行に行くときは、旅先で会うことが多い。
いつも早朝、始発の電車に乗って、飛行機やら新幹線やらでひとりで目的地に向かう。
もちろん帰りの道中も同じようにひとりだ。
ときに、ひとりは都合で帰り、ひとりはもう1泊そこに残る、なんてこともある。
東京と京都で離れてしまって以来、私たちは会うや否やものすごいスピードで喋り出す。
高速フル回転のマシンガントークである。
まあ彼女が東京にいるときからそれはさして変わりはないか。
夜、お酒を飲んで、しばらくして眠くなるまでそれはずっと続く。
彼女は生粋の京都弁なので、私も若干ながらそれに引きずられて、口調をおかしなことにさせながら喋り続ける。
たわいもないことを喋っていることもあるのだけど、私たちは割と重要そうなことを延々とマシンガンで喋り続ける。
その相手の高速な喋りを聞き流しているということもなくて、また、笑い転げているというようなこともない。
そのレスポンスはあまりにも的確で、結局のところ自分の考えをお互いでまとめ上げているような作業に近い。
最近の話、家族の話、仕事の話、アートの話、趣味の話、友達の話。
全部を知ってもらいたい、と強く願ったわけではないけれど、結果的にお互いの結構な範囲の話を話しているし知っている。
彼女は私のことを会って一目見れば、たぶん私の精神状態がどのようであるかある程度の深さまでおよそわかるのではと思う。
ちなみに彼女はとても合理的な人なので、彼女といるときに私はあまり頓珍漢なことは起こさない。
足を滑らせるくらいのことはするけれど。
直島はとても便の悪い場所だった。
島内を走っているバスは1時間に1本程度、島と島を行き来している船は2時間に1本程度、一日の最後の船は15:55、タクシーは各島に1台、そんな具合である。
観光協会の人も、4月に変わったらしいタイムテーブルを把握しておらず、タクシー会社も今日は日曜日だから休みかもしれんねえ、と呑気に言う。
レンタサイクルもレンタカーも、繁忙期の観光客数には全然追いつかず、移動手段を逃してしまった人には本当に身動きが取れなくなる。
実際に私たちも、豊島からのアクセスをきちんと確認しなかったために、バスを逃しレンタサイクルもタクシーもレンタカーもだめとなり、豊島まで来たはいいものの、まるまる2時間何もすることがない状況に陥った。
豊島美術館はそれを見ずして、豊島に来たとは言えない、というくらいの目玉の観光地だから私たちは途方に暮れた。
他に見るものが特別にはない、ということもある。
仕方がないので、のどか過ぎる島の風景を見ながら散歩をしていると、レンタカー屋のおじさんから折り返しの電話がかかってきて、12時までなら大丈夫と言う。
しかし、一緒に行った彼女は前日に財布をすられていて免許証を持っていなかった。
私は免許証は持っているけど、運転ができない。
大急ぎで準備してくれた書類を記入しながら、私はおじさんを見上げて、「できれば、美術館まで送っていただいて、12時にまた美術館まで迎えに来ていただくことはできませんか・・?お金、お支払いしますので・・・」と申し出た。
だって私は、何の誇張もなく、車を発進させることすら危ういのだ。
免許を持っている私が、レンタカー屋からおじさんたちが見えなくなるところまで運転しなければならないだろうから、それは本当に無理なのだ。
おじさんは、「そうか、その手があったわ」と言って快諾してくれて、軽自動車で細く曲がりくねった丘道を疾走して私たちを美術館まで届けてくれた。
ついでにと言って、おじさんは島の名所をいくつか疾走中に通って説明してくれたけれど、それが何だったのかが方言がきつくてよく覚えていない。
あのあたりには島がいくつか点在していて、直島、豊島、犬島の各場所にベネッセが建てた美術館がある。
安藤忠雄が設計した近代的な打ちっぱなしコンクリートの美しい建物である。
私は中にあった美術作品については、さほど好きではなかったのだけど、その建物と周りの環境は素晴らしかった。
まさに「異空間」という感じの建物の中は、「どこだろう、ここは」と単純に感嘆の声をあげてしまうような、これぞ「非日常」という空間だった。
新しいことはとりあえず何でも、貴いものだなあと思う。
遠いところは疲れるけれど、新しいことに触れに遠くに行くのは、何か自分を知ることができるかもしれないことだ。
以前私は、所謂絵画などのアート作品を観ても、好き嫌いをはっきり言うことはなかった。
よくわからなかったからだ。
でも最近は顕著にそういうことが自分でわかることが多い。
作者が自分自信を露わにした作品が、作者がそれを本当に言いたくてやりたくてそうしている作品が好きなのだ。
小手先だけの理解でもなくて、センスや技術だけでもなくて、とてつもない壮大なことをやり抜いたということだけでもなくて、自分という人間が、それがそれでしかあり得ない様相で溢れ出てきてしまう、そんな作品。
そういったことは、ここの美術館には私は感じられなかった。
ただ、国吉康雄さんの説明で、本人の話した言葉として、「アーティストは制作にあたり多くの壁にぶつかる。私は暗いものの中の暗いものを描くことに興味があった。それが自分にとってなんであるかが分かるまでに数年を要した。それが分かることは一時の満足が得られた。しかしそれは私の人生の重要な一点であったに過ぎない」というようなことが書かれていて、これには感銘を受けた。
この島々は、少し前にベネッセが大規模な資本を投下して、大がかりな建造物を建てなければ過疎化が激しい閑散とした島なのだと思う。
アートの島としていきなり名前を付けられたこの島は、文化に染められた人たちがたくさん訪れるようになって異色な雰囲気を漂わせている。
それでも、沖縄のように本州の人が移住してきて、民宿をやっているようなこともほとんどなさそうで、夜の人けのなさやフェリー乗り場にどこからともなく集まってくるおじいちゃんたちは昔のままのような感じがした。
浸食されているというふうに感じないものかと思ったりもしたが、それほどの開発もおもてなしも進んでいないようで、観光産業は島の内部を脅かしているようなものではなさそうだった。
便が悪いから良いところ、そう言えなくもなさそうだった。
たくさん深呼吸をして、たくさん喋った。
島に1件の深夜営業のバーが満席で入れなくて、12時間くらい寝た。
彼女を島に残して、一足先に私は岡山空港へと向かった。
私が家に着く頃、「今いるお店で、さんたらーらー、が流れてるよ」とLINEをくれた。
「さんたらーらー」とは「日曜日よりの使者」のことだったらしい。
そういえば彼女はまた、自然の気が強いところで、「気の動きが見えへん?」と私に言っていた。
「見えない。でもね、見えると言っているのは信じてるよ」
誰と一緒に過ごすかは、あるいは過ごさないかは、人生を決めると言ってもいい、と言ったのは誰だっただろうか。
南国特有の強い色の花がところどころに咲いていた。
青空が背景だったら、何だってきれいに撮れる。
青空が背景だったら、何だって絵になる。