結局NUMERO TOKYOの年間購読をこれからの一年分をまた購入した。
東さんの花と、烏賀陽さんのコラムと、田中さんの編集があれば私はもう何年かはリピートし続けるだろうと思う。
今回も、東さんと椎木さんの花のページを目の前にして、私は艶のある紙の匂いしかしない雑誌の前で深く息を吸い込む。
影の中の薔薇。
肉厚でベロアの布みたいな花びら。
私は花がかわいくて仕方がないけれど、時々植物に鳥肌が立つくらいのおどろおどろしさを感じることがある。
日の当たらない部屋の中で芽吹くパキラの新芽だとか、根を断ち切られた切り花の蕾に血色が通い反りくり返るほどに咲く百合の花だったり。
東さんの作品には時々怖いくらいの植物のおどろおどろしさがあったりする。
それは創っている東さんや撮っている椎木さんの目線であるのだと思う。
金属などの異質さを取り入れたり、根をむき出しにさせたり、松の木を燃やしてみたり、花びらを瓶詰めにしたり、奇を衒うことはある種の新しさへの挑戦なのだと思う。
観る者の良し悪しも心地良さもさておき。
あるいは、私には奇を衒ったように見える作品が、まさに彼らの内側にあるものの表出なのかもしれない。
また最近は輪をかけてくぐもっていたり酷く湿っていたり攻撃的であったり深い色合いの作品が多いように思うけれど、私は花や植物がなるべくそのままである状態の作品が好きだ。
もちろん、根を断ち切り茎を断ち切っている時点で、何をそのままというのかという話もあるけれど。
そういう私も、不気味さ自体に魅入っていることだってもちろんあるけれど。
また、私はそもそもとても単純にビビットな「色」にも魅せられる。
だから、赤や黄や紫や白やピンクや青や、色というだけでそれがペンキであってもどきどきするというのに、色とりどりの花の群集だったりすると私は軽い眩暈を起こすほどどきどきする。
まだ寒い初春の芽吹きの季節にはそういう作品も見たいなあと思う。
写真でもそうなのだから、生は言うまでもない。
もう一度、あの立派極まりない花たちに触れにジャルダンデフルールに行こうか。
そういえば、東さんも花や植物のことを話すときはとてもとても饒舌になる。
私は体が弱い方ではないのだけれど、寝不足には本当に弱い。
寝不足は二日酔いよりも良くない。
まだまだよくわからないことがたくさんあって、たぶんそんなことはなくならないとも思うけれど、今を気持ちよく過ごせたらいいなあと思う。
「言う」のではなくて、「やる」
それ以外に、自分のことを負う、なんてことできない。
多彩な人を見ると、最近少し恐縮する。
本当は恐縮する必要なんて全然ないのに。
それを取り払うのは、たぶん、「やる」ことだけなのだと思う。
東さんの花と、烏賀陽さんのコラムと、田中さんの編集があれば私はもう何年かはリピートし続けるだろうと思う。
今回も、東さんと椎木さんの花のページを目の前にして、私は艶のある紙の匂いしかしない雑誌の前で深く息を吸い込む。
影の中の薔薇。
肉厚でベロアの布みたいな花びら。
私は花がかわいくて仕方がないけれど、時々植物に鳥肌が立つくらいのおどろおどろしさを感じることがある。
日の当たらない部屋の中で芽吹くパキラの新芽だとか、根を断ち切られた切り花の蕾に血色が通い反りくり返るほどに咲く百合の花だったり。
東さんの作品には時々怖いくらいの植物のおどろおどろしさがあったりする。
それは創っている東さんや撮っている椎木さんの目線であるのだと思う。
金属などの異質さを取り入れたり、根をむき出しにさせたり、松の木を燃やしてみたり、花びらを瓶詰めにしたり、奇を衒うことはある種の新しさへの挑戦なのだと思う。
観る者の良し悪しも心地良さもさておき。
あるいは、私には奇を衒ったように見える作品が、まさに彼らの内側にあるものの表出なのかもしれない。
また最近は輪をかけてくぐもっていたり酷く湿っていたり攻撃的であったり深い色合いの作品が多いように思うけれど、私は花や植物がなるべくそのままである状態の作品が好きだ。
もちろん、根を断ち切り茎を断ち切っている時点で、何をそのままというのかという話もあるけれど。
そういう私も、不気味さ自体に魅入っていることだってもちろんあるけれど。
また、私はそもそもとても単純にビビットな「色」にも魅せられる。
だから、赤や黄や紫や白やピンクや青や、色というだけでそれがペンキであってもどきどきするというのに、色とりどりの花の群集だったりすると私は軽い眩暈を起こすほどどきどきする。
まだ寒い初春の芽吹きの季節にはそういう作品も見たいなあと思う。
写真でもそうなのだから、生は言うまでもない。
もう一度、あの立派極まりない花たちに触れにジャルダンデフルールに行こうか。
そういえば、東さんも花や植物のことを話すときはとてもとても饒舌になる。
私は体が弱い方ではないのだけれど、寝不足には本当に弱い。
寝不足は二日酔いよりも良くない。
まだまだよくわからないことがたくさんあって、たぶんそんなことはなくならないとも思うけれど、今を気持ちよく過ごせたらいいなあと思う。
「言う」のではなくて、「やる」
それ以外に、自分のことを負う、なんてことできない。
多彩な人を見ると、最近少し恐縮する。
本当は恐縮する必要なんて全然ないのに。
それを取り払うのは、たぶん、「やる」ことだけなのだと思う。