つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

さつき

2012-10-30 22:12:48 | 日記
花屋さんに会社の榊を買いに行く度に私は色とりどりの花たちに目を奪われて、榊どころではなくなってしまう。
今は小ぶりなバラと大ぶりなダリアが色それぞれにたくさん並んでいる。
帰宅するまでにあと何時間かかるかわからない。
買ってはいけない、といつも何とか自分を制する。
それに、先週の日曜日に新しい花たちを迎え入れたばかりだ。

前からやりたかったカスミソウだけの花束。
束といっても、1本の茎から幾重にも派生していくので、買ったのは2本。
根元の方から見上げると、1本の大木のようにもくもくと広がっている。

カスミソウは、花束の補足的役割で、主役になっているのを見たことがない。
だから主役にさせてあげたかった、というわけでは全然なくて、私にはカスミソウがとても派手で存在感のある花だと思っている。
広がり方も大胆であり、茎は針金のように細いのに強い。
一つひとつの花は小さいけれど、こんなにたくさんの花が咲くのも珍しい。

肉厚で色の濃い花びらの花が好きな私だけれど、派手さで負けていないカスミソウも結構好きだ。
肉厚さと派手さで言ったら胡蝶蘭もそうだが、なぜか私は胡蝶蘭はあまり好きではない。
花自体か、花全体が放射状に開くものが好きなのだと思う。

ティッシュをほんの少しだけ千切って丸めたみたいな小さなカスミソウの花は、あまりにもたくさんあって、その一つひとつはあまりにもそっと咲くから、動いているかどうかはよくわからない。
でも、まだ咲いていない正露丸の粒ほどの固い蕾は、小さいなりに膨らんで緩んで、花を咲かせる。
一見、全体的に乾いているように見えるカスミソウも、触れてみるとしっかりと水分を湛えていて、生が通っていることにまた少し気圧される。

2本だけ別で買った元気なオレンジ色のガーベラをカスミソウと合わせると、カスミソウの細く屈強な蜘蛛の巣のような茎に捕らわれてガーベラが出られなくなった。

内祝でもらったデザートワインのハーフボトルが終わったからそれに生ける。
バックを黒で撮りたいのだけれど、黒を用意できない。
ベルベットが良いと椎木さんが言っていたから、布を買ってもいいのだけれど、その他の興ざめなものが写ってしまわないほどの空間が私の部屋にはない。

私の撮る写真で、空をバックにして見上げて花を取っている構図が何枚もあるが、それはこの構図でしか他のものを写さない方法がないからだ。
接写が多いのも、アップで撮るのが好きということもあるのだが、被写体で画面を埋めることができるからという理由も大きい。
場所があれば、もっと花と色を撮りたい。

ちなみに今日の花は、先日の結婚式でいただいた、ライトな黄緑の菊と、真紅のモカラ。
菊もモカラも長持ちだ。

植物の曲線は艶めかしい。

いつか世界最大の花畑に行きたい。



ツレヅレ

2012-10-29 14:32:54 | 日記
暗がりで裸眼でコーヒーの瓶にコーヒーを詰替えようと思っていたら、まだ中身の入っているジャスミン茶の瓶にコーヒーを入れてしまった。
どうして私は暗がりでそんなことをしたのだろうか。

大部分取り除けたと思って、ジャスミン茶をれてみる。
少し色の濃いジャスミンティーでコーヒー風味。
不味い。

何かを詰替えるときは眼鏡をかけるか、電気かコンタクトレンズをつけよう。

大事な友人の結婚式だった。
まさに、晴れの日、澄み渡った快晴。
若者たちや外国人でごった返して早歩きもできない竹下通りを脇道に逸れると、静かな神社が現れた。
そこは喧噪と雑多な街の中心部からほんの1、2分で、間違って何か穴に落ちてしまったようだった。

白無垢に身を包んで、真っ赤な紅をさして。
ゆっくりゆっくりと彼女たちは歩を進め、厳かな雰囲気の中、誓いを立てた。

あらゆる一般的で流行りの儀式、例えばファーストバイトなど、は一切なくて、彼と彼女の感謝の意とクリエイティブな友人たちが生み出した素敵な式だった。

私は一人の知り合いもいない式、披露宴、二次会だったが、面白い人がたくさんいて、私は楽しかった。
やりたくてどうしようもないからやっているんです、以外の何物でもない人たち。
もちろん、やりたくてどうしようもない以外の、やらなくてはどうしようもないことだってしている。

彼らのどうしようもなさについて、以前の私はたぶん全力で話を聞くことをしなかったかもしれない。
でも今は、自分自身のどうしようもなさについても聞いてもらいたいくらいで、それぞれに興味深い。
そういう意味で私はきっと、ある面で鋭利になってしまったのと引き換えに、ある面での優しさのようなものを持ったのかもしれない。

ずっと、いつも、やりたいことをやり続けることも、やりたいことをやりたいと思い続けることも難しい。
別にそういう人が誰も、猪突猛進みたいな感じでいるわけではない。
叶わないことなんてない、なんて100%で思っているわけでもない。

それでも、と行動することは、自分であっても他人であっても認めたいと思う。

披露宴会場のテーブルの上にあった私の名前のカードの裏にメッセージがあった。
汚さないようにそっとバッグに入れた。

私にとって大事な人は、ずっと、大事な人。
私にとって大好きな人は、ずっと、大好きな人。

何が変われどやっぱりそうかもしれない。

おめでとう、ありがとう、これからもよろしく。


久しぶりにハイロウズのアルバムをいくつか流しながら掃除をする。
ティーツリーの精油を垂らして床を拭くと、とてもいい香りがしてとてもいい気分になる。

ハイロウズは、時々、切ない。

もう聴かないと思っていたのだけど、怖いもの見たさでRadioheadを聴いてしまう。
すると私は、壊れたように震わされて。
気持ちいいのではない、そうじゃないそんなんじゃないと、悲しくて。
青くて大真面目な私が、溢れてしまう。

しかし、それに震わされるということがどういうことか、なんとなく私は前からわかっている。
でも、本当に見たくないし、蹴散らしたいのだ。

もう一度ハイロウズと、GREENDAYで上塗りする。

できることならば何だってできる
なれるものならば何にでもなれる
説明ならできないけれど
ある日急にわかることがある




溶け出した贈り物

2012-10-25 14:34:33 | 日記
何かが甘締めになっていることをふと見つけるといつも、怖がりな自分について思い出す。

ちなみに“甘締め”とは、何かの蓋やキャップや扉をきちんと締めずに少し開いていることを言う。
“甘締め”の被害というのは、バッグの中でペットボトルのお茶が全部こぼれる、エアコンをつけても空気が抜けるので効率が悪い、といったようなことだ。
“甘噛み”から発想を受けていて、造語である。

今日の“甘締め”は、冷凍保存をしたご飯のジップロックのチャックだった。
密閉できて酸化が防げるというのが最大の利点であるはずなのに、私は気を抜いているとその恩恵に与れない。

「締められない」癖を話したら、それを「怖がりから来てるんだと思うよ」と言った人がいた。
面白いことを言うなあと、私はそのシーン丸ごと映像で思い出す。

人が言った印象的な言葉はいくつかあって、何かをきっかけにその言葉に近いものを耳にすると、反射的にそのシーンを丸ごと思い出す。
私に突き刺さっている言葉とシーンはいくつかあって、良いものもそうでないものもある。
所謂フラッシュバックというもので、幼い頃から最近まで、数は多くはないが様々なシーンが私の脳にこびりついている。

たぶんそれを思い出しているときが私の、上の空、という状態なのだと思う。


上野のTSUTAYAを使うことを覚えてしまってから、毎週5枚ものDVDを借りてきてしまう。
観ずに返すものと思い、平日を含めて必死で5枚を消化する。

カーネーション
贖罪 前篇・後篇
チェルノブイリハート
ヒューゴの不思議な発明

やっと『カーネーション』が終わった。
晩年は夏木マリが演じたわけだが、尾野真千子で最後まで観たかったなあと思う。
老齢の感じを出すために語りもゆっくりになるのは仕方のないことなのだが、やはり幼少期~中年期の方が見ごたえがあった。
私は映画も音楽もアップテンポのものが好きなようだ。

かんすけがおかしくなってしまった理由は私の思ったとおりだった。
そういうことをテーマにした物語は他にもあり、記憶に新しいのは『マイ・ブラザー』だ。

『カーネーション』は総じて、良いドラマだった。
良いドラマを観終わってしまうのは、「あぁ良かった」という満足感とともに「もうないの」と淋しさが残る。
映画よりもドラマ派の私としては、また新たに良いドラマに出会いたいものだ。
とりあえず『ケイゾク』ももう一回。

『贖罪』は湊かなえの小説が原作であり、読んでもいないし、この映画の後篇もまだ観ていないが怖かった。
湊かなえや角田光代は、人間的深層部のどうしようもない“業”みたいなものを描き出すのが巧い。
炙り出されたその“業”は、グロテスクで、少しのキッチュな表現もありながら全然温かみはない。

自分がこういうものが好きなのか、好きでないのか、未だによくわからないのであるが、観終わると身体の芯が冷えている感じがする。
感じられるが、それが感じたいのか感じたくないのか。
私はこういった類の話をエンターテイメントとして観ることはできない。

秋が深まった朝。
布団の中はふんわりと自分の体温で温かい。
東京のど真ん中とは思えない、物音ひとつしない。

8時25分、30分前から携帯の目覚ましが5分間隔で鳴り続けている。
まだ起きたくない、けれど、別に会社に行きたくないわけでもない。

どんな夜も明けてしまうもので、何を願ったところでどんな日も暮れてしまう。
だから「どうか夜が明けませんように」とは願わない。

起きて早々、今日はランシドを。
最近洋楽バンドばかりで、ブルーハーツから離れているのかというと、全然そうでもない。
通勤は行きも帰りも、ブルーハーツかハイロウズ。
彼らのバンド名は「適当に決めた」ということをどこかで読んだ気がするが、クロマニヨンズまでもを描いて付けられたような気がしたりする。

秋の朝は、涼しさが身に染みて、温かさが際立つ。

運命なんて自分で決めてやらあ
悪い日もあれば言い日もあるだろう






明るみにぬかるみ

2012-10-23 22:45:22 | 日記
私はアナログ時計でないと時間認識がうまくできない。
なのに部屋の時計を落として壊してしまった。
どこかで安く買った、しかも時間を刻む音のうるさい大した愛着のあるものではなかったが、ないととても不便だ。
新しく買うには、一応インテリアの一つを担う時計であるから簡単にその辺で買うわけにもいかない。

一日のうち何度も時計の置いてあった場所を見てしまう。
あるはずのものがない、ぽかんとした小さな空間に、都度肩透かしを食らう。

デジタルだと、今何をすべき時間であるのかが、直感的にわかりづらい。
電車の時刻など、分の部分だけを確認するために見るのには適しているが、17:28と見せられても20時までにあとどのくらいの時間があるのかを感覚的につかみづらい。

方向は感覚で全くわからない私が、時計は感覚でないとわからない。

iPhone5を予約した。
ホワイトが良かったけれど、ホワイトの背面がシルバーであることに納得がいかず、結局ブラックにする。
容量も一番大きな64GB。
私のiTunesには未だ20GB程度の容量しかないが、まだまだ増える予定なのでこの選択でよかっただろう。
デジタルデータは物理的な場所を取らなけれど、確実に場所を取っていて何等か影響を及ぼしているから、物を捨て整理するように、データも捨て整理したほうが良い。
聴かない音楽は、着ない服や、食べないレトルト食品のようなものだ。
簡単にダメにはならないし、いつか使えるかもしれないという気が働く。
でも、その「いつか」はたぶん来ないのだ。

目に見えるものは整理しやすいけれど、やはり目に見えないものは整理しづらい。
でも、目に見えないものの方が、一度デリートしてしまえばたぶん完全に消える。
そもそも触りもしないようなものは、消してしまったら思い出しやしない。

MacやらAppleやら、私は全然良さがわからないというか、まあほとんど音楽デバイス以外は使ったことがないのだが、今のINFOBARがあまりにストレスなため変えることにした。
Appleの製品はよく「直感的」に操作ができる、と言われる。
私のようなデジタル機器が苦手な人が、迷った挙句諦める、みたいなことがなければAppleは優しく易しいということになる。

唯一の不満は、モバイルSuicaが使えないこと。
Suicaを持たなければならないので、持ち物が一つ増える。
財布の中にSuicaを入れて財布で自動改札を通るのもいかがなものかと思うので、おそらくカード入れを持つことになる。
普段あまり電車に乗らない私が、カード入れに気を配っていることができるだろうか。

手に入るのは2,3週間後とのことで、それまでにモバイルSuicaの解約を忘れてはならない。
デジタル機器全般と酷く相性の悪い私が、2台のINFOBARの不具合を経て、iPhone5も壊れないかが非常に心配。

帰りにスーパーによると、小ぶりの柿が安く売っていた。
ひと盛り買って帰る。

すごく美味しい林檎。
すごく美味しい梨。
すごく美味しい柿。
すごく美味しい葡萄。

この中だったら私は林檎を選ぶ。
林檎の次は梨、そして柿、そして、葡萄。

まあそれなりの林檎。
まあそれなりの梨。
まあそれなりの柿。
まあそれなりの葡萄。

この中だったら私は柿を選ぶ。
続いて葡萄、そして梨、そして、林檎。

どれも大好きだという前提で。




不器用な

2012-10-22 01:01:03 | 日記
ニルヴァーナを流しながら墨を磨る。
ロックと書道。
書道であっても花であっても料理であっても、仕事であってもお出掛けであってもロックなのだから、似つかわしくないだのということはない。
入り込まれてぎゅうっとさせられないロックであれば良いBGMだ。

書道に置ける墨を磨るという行為は、雅やかで穏やかで無である、と位置付けられているような気がするが、私は墨を磨るのが好きではない。
単に面倒だし、時間がかかるし、肩が凝る。
墨色は思ったようには出ないことが多いし、磨る最中に飛んでしまった墨を拭くのも手間だ。
それに、大きな作品を書くには墨も大量に必要だから、精神的に気高く磨っている場合ではない。

良い墨色を出すために墨をある程度寝かせて腐らせるやり方がある。
腐った墨は、臭い。
けれど紙に滲ませると、筆の通った跡は黒く、周りに滲んだ部分とはっきりと分かれてきれい。
作品の乾きも早いし、何より見映えもする。

でもこれだけ面倒なら墨汁でいい、と私は思ってしまう。

1,2曲だけ聴いていいなと思った、あるいは人に勧められた、あるいは調べていてとりあえず有名どころの洋楽バンドたちのアルバムを大量に借りてきた。

ニルヴァーナ
ジェット
ザ・ラース
セックス・ピストルズ
ランシド
オフスプリング
アークティック・モンキーズ
ハイヴス
ザ・ミュージック
ザ・ダムド
フォールアウトボーイ

など。
大方、私が好きなパンクロックで、大方、良い。
だが、やはり負の音のものはだめだ。
また、一曲だけ気になるからといってそのアルバム全体がいいとは限らない。
それにそのアルバムが良くなかったとしても、他のアルバムにぎゅうっとさせられるものが入っているのかもしれない。
難しいものだし、ちょっと面倒なのだが、今はぎゅうっとさせられるものを手当たり次第に探っているのが面白く楽しい。

やっぱりうるさくて明るいロックが好き。
ただ、フォールアウトボーイのような「エモ」と呼ばれる部類に属するものは、明るくて青いけれど、歌詞が分からないと良さが半減してしまう。
音だけ聴くには少し勢いやうるささが足りないから、それを補完するのが歌詞なのだ。
エルレガーデンやハイエイタスがいいのは、彼らが日本人バンドだからだ。

私が音楽のことを書くときは、あくまで個人的感想のほかにはない。
私は音楽の好き嫌いは、少し突飛な言い方をすれば性癖みたいなものに限りなく近しいと思っている。

だから私が青いと言ったり明るいと言っているものが他人にはそう聞こえないのかもしれない。

借りた中では、ジェットのアルバム「Get born」が一番良かった。
UKでもUSなく、オーストラリア。

そして、オフスプリングのライブへ。
今回は足元だけはとヒールのないブーツを履いていく。
今日の失敗は、前回の反省を鑑みて束ねていった髪の毛だった。
長いポニーテールは後ろの人に挟まれひっぱられ。
しかしおだんごにしていたってって結局は無茶苦茶だし、おろしていたらもうどうなるかわからない。
ライブ用に髪をどうにかするのなら、ショートカットにする以外ない。
まあそれか、モッシュの渦中にいかないことか。

彼らの顔をジャケットでもWikipediaでも見た記憶はなく、初めてお目にかかった。

ひどくかっこいいおじさんたち。
おじさんでもあんな風に力いっぱい音楽をやって、あんな風に髪の毛染めたりなんかして。

新しいアルバムのライブということだと認識していたがそんなこともなく、つい何ヵ月前かに知って1週間くらい前に一曲落ちてきただけの私でも7割知っているセットリストだった。
だけど、そこにいた多くの人には懐メロであろう「プリティフライ」なども、私には新しい。

1週間前に私に降りてきた、「why don't you get a job」もやってくれた。
他のどの曲でもない心を捕まれた曲を生で聴けるなんて、なんてすごいことだろう。

キーも低かった。
ライブで映える曲ではない。
たぶん音も足りてない。

でも、それでも、作り手の生声で聴けたことの興奮はあった。

だってもう、「リンダリンダ」も「日曜日よりの使者」も、ヒロトには会えても、生で聴くことはできないだろうから。

私が今出会うバンドは多くが解散している。
Mando Diao の「Mr moon」「The band」も、GREEN DAYの「minority」も、THE (INTERNATIONAL) NOISE CONSPIRACYの「A Northwest Passage」も現存しているうちに生で聴けたらなあと思う。

でも今日のオフスプリングを見ていて思ったが、全体的に彼らはすでに反骨心などはさほどないように見え、“ロックを楽しむ”の位置にいる。
当たり前だが、精神はそれなりに成熟していて漏れ出てしまうような青さは感じられなかった。
曲を作ったときとほとんど同じ気持ちで歌うなんてたぶんほんの短い一期間だけだと思う。
当時のライブはもちろん、CDやDVDにもそれは乗る。

しかし観客は時が立てど流行った曲を求めるし、やれば盛り上がる。
しかしそこには曲ができた当時の、作り手の抑えきれぬ熱い思いが乗っかった曲ではない。

たぶんそれがないと、私はぎゅうっとさせられることはない。

長く同じバンドをやっていてくれることはありがたいけれど、そういう理由でバンドを解散するということもあるのだろうと思う。
“今”の気持ちと乖離することだって多分にあるだろうから。

だから、ブルーハーツを解散して、ハイロウズを解散して、クロマニヨンズになったのかもしれないと、一つの理由を想像したりする。
ヒロトはかつてみたいに「リンダリンダ」を歌うことを今できないだろう。

ただ、それでもやってくれるなら、何がなんでも、何を投げ打ってでも、絶対に見たいけれど。

ちなみに前座は MAN WITH A MISSIONというバンドだった。
音は好きな感じで、何と言っても生なのに、それほど響かなかった。
なんだろう、そのあとに出てきたオフスプリングでは一瞬で持っていかれたのに。

そういえば、ふと思い出したが、サカナクションをフジロックで見て以来、一度も聴いていない。