つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

煙草の持ち方

2015-04-29 19:15:42 | 日記
ギターの弦を張り替えた。
正確には、張り替えてもらった。

全然違う。

超フレッシュ。
じゃきーん、という音がする。

何がどうなっちゃってこうなっちゃってるの、というフレッシュ感。
新鮮な弦が出すイキが良く、クリアーな音。
クリア、ではなく、クリアー、という感じ。

アコースティックギターを買ってから1年以上経つけれど、初めて替えた。
人によっては毎日、あるいは曲ごとに替える場合があるという。

ひとりで張り替えられるように、張り替え手順をメモっていたけれど、やはり私にはちょっと難しいように思える。
やってできないことはないにしても、面倒臭すぎる。

毎日替えるなんて信じられない。
フレッシュ感はいつだって味わいたいけれど、携帯電話に貼り付けておいた付箋メモが背景と化してしまうように、毎日弦を張り替えたらフレッシュ感はフレッシュ感を失ってしまうだろう。
つまり、フレッシュ感、が欲しいのである。

ところで、弦が張り替えたてのギターの音って、自分のギターでない場合に聞いて分かるものなのだろうか。
いつも聞いている音との差を自分だけが認識しているのではなくて、フレッシュ感というのは初めて聞く他人の耳にも同様にフレッシュなのだろうか。
とすると私たちは“フレッシュ”であるという音の共通認識があることになる。
“フレッシュ”は厳然と在って、共有し得るものなのだろうか。

毎日替える、曲ごとに替える、ということが現実あるということはおそらく“フレッシュ”は厳然たるものなのだろう。
たぶん奏者が毎日、曲ごとにフレッシュ感だけを追い求めてあの作業をすることは考えにくい。
フレッシュな弦が出す音の品質があるということなのだろう。


1週間ほど前から、手の甲が痒い。
ぶつぶつと軽い湿疹ができている。

何だろうと考えてみるに、おそらく日焼けの症状なのではないかと思い当たる。

日焼け止めは極力塗らない。
歩きのときは日傘や長袖で守っているけれど、自転車に乗っているときは守れない。
陽射しが強くなってきたこの頃、手の甲は焼ける焼けると思いながら、それでも無防備に日に当たりっぱなしで。
腕のあたりは長袖で守られているから、手の甲だけ日に晒されている状況なのである。

他に顔とデコルテ部分も日に当たっているが、顔はファンデーションを塗っているし、デコルテは顔で陰になるときも多いだろうからずっと無防備に日に当たっているのは手の甲だけなのだ。
という思考回路で日焼けが原因かなと思っているので、これから暑くなっていくわけだけれど白い手袋とかしてみたら良いだろうか。

私は夏が好きだけれど、直射日光が酷く苦手である。
日焼けが、というよりかは恐ろしく体力を奪われてしまう。
夏の蒸し風呂のような体育館で部活動はできても、日が当たる場所ではお喋りも嫌である。

ともあれ、手の湿疹について、皮膚科の女医さんが生徒さんにいらっしゃるので、今度聞いてみようかなと思う。


五月だけ日本人でもテラス席




ずらしましょう

2015-04-26 21:38:44 | 日記
1月に友人の結婚式でいただいたゼラニウムを水差しにしておいたら、ピンクのかわいい花が咲いた。
ミントみたいにひげ根をもしゃもしゃと生やさないゼラニウムは、成長の気配は乏しい。
しかし元気は元気そうだったので、家で一番日が当たるトイレに置いて見守ることにした。

成長の具合は、ぬぅっという感じで、でも着実に伸びていることを私は知っていた。
そうしたら、ぬぅっと、ぴょこんと、いつの間にか蕾が出て、パッと花が咲いた。

私は、たぶん、人と比べて花を咲かせるのが上手だと思う。

大輪の花を咲かせる芍薬の季節がもうすぐ。
むむむむむ、という花開く気配から、ぶわっと花が咲く。
そして、開きすぎて反り返って、散るか、朽ちるか。

愛おしい花の季節。


BOSEのスピーカーを買った。
音に疎い私も「スピーカーはBOSE」というイメージだけはあって、「小型だけどパワフル、高性能」というミュージシャンの方もおすすめしていたものを買った。
amazonの評価は200件以上あって4.5に近いくらいのもの。
高すぎる信頼。

ブルートゥースにペアリングして。
良かった、一発でつながった。

なんてラグジュアリーな音だろう。
なんて、ラグジュアリーな音だろう。

わぁ、音楽って楽しい。
やだ、私の部屋、音に満ちている。

そんな気持ちになった。

これがBOSEのスピーカーなのか。
なんだったのか、今までは。
作り手の皆々様、今までごめんなさい。

そんな気持ちにもなった。

説明書は捨ててしまおう。
不具合が生じたら困ろう。

そんな気持ちにもなった。

音が良い、ってよく分からないのだけれど、いや、そういうレベルで言うと、分かるのだ。

あぁ、なんて素敵な。


陽気良くスケッチブックの双葉かな




ゴシックを振り切る

2015-04-23 19:15:11 | 日記
5月感のある陽気の中、早寝早起きをしたので上野に出向く。
新緑がきらきらしていて、風は爽やかで、花壇は花に満ちている。

「大渓洗耳遺墨展」
私が通う書道教室の創始者の13回忌を記念した個展。
私はこれをとても楽しみにしていて、会期が短いけれど良ければもう一度行きたいので最終日は避けようと出かけた。

教室に保管しているもの以外に先生たちが個人で持っているものもあるらしい。
先生たちは皆、この創始者にとても心を打たれているということが端々に感じられ、「あぁもう本当にすごいのよ大渓先生は」とよく口にする。
書道の学校を設立し、「洗耳選」と印刻した筆などあらゆる用具を作り、書の教科書を何冊も作り、月刊誌を発行し、日展を批判する本を書き、生徒に教え、書についてのDVDを作り、そして自分の創作も行う・・・こう考えただけでもとてつもない熱量の持ち主だったことは分かる。

私がここに通い始めたちょうどそのときに7回忌展をやっていた。
そのときには、私はこの良さ、素晴らしさがさっぱり、分からなかった。
それからもしばらく、いや本当のところつい最近まで、とても遠くて、いや遠いことすらも分かっていなかった。
私の心を打った先生は他にいるわけなのだけれど、最近になってようやく、この創始者の素晴らしさが身に沁みるようになった。

癌で割と急に亡くなったらしいのだけれど、生きていたら70歳くらいだろうか。
個展には先生もいて、「生きていたらねぇ、もうちょっと色んなこと教われたんだけど」とつぶやいていた。

個展は、もう、素晴らしかった。

私はこの教室の章法を「ド派手」と思ってきたけれど、そしてそういうものが評価されているような節があるように思ってきたけれど、創始者がやりたかったことは全然そうではないんだなという感じがした。

字について特別に奇を衒う感じがないのである。
もちろん動きは自由で自在であるわけなのだけれど、そこまで動かなくても厳然たる存在感があって、揺るぎない。
「書はデザインではない」ということをよく言われるが、紙面においてデザイン的要素が全くないことなどあり得ない。
しかしながら、“書”をやるのであれば「文字を書いている」「文章を書いている」という認識から出てはいけない。
あくまでさまざま言葉を借りて、我々は字を書いているのである、そう言われているような気がした。

数多くの作品には、時折先生たちの書が見えた。
先生たちでさえ、風合いの違った書を書くのは難しいだろう。
創始者が生み出した章法を、先生たちが一つずつ受け継いでいる、と言ったら創始者のすごさが分かるだろうか。
おそらく先生たちも、やればやるほど創始者の書の懐の大きさを絶望まじりに見ているのではないだろうか。

書の創作をするということは、「誰のものにも似ていない書風、章法を生み出すこと」
しかし、これはおそらくこの世のすべてのものに言えるけれど、源流を辿れば皆が皆すべて借り物なわけであって。
だから古典の臨書というのは重んじられるのであって。
脈々と受け継がれてきた人間の文化を上に、その流れの上に自分だって乗っかれるという意気込みで、文化を受け継いでいく。
元々“在る”ものに敬意を払いながら、その“在る”ものに“私”を乗せていく。

会場で流れていたDVDの中で、「字は続けて書かずに独立させても、連綿させても良い。自由だ。しかし“気持ち”はずっと続いて切らしてはいけない」と創始者は話していた。
今なら、分かる。

今回の個展の作品集を買って、会場を後にする。

私も教わりたかった。


待ちわびて彩らないでよ豆ご飯




ハブリー

2015-04-20 00:22:28 | 日記
いただきものの無農薬のさつまいもを炊飯器で炊く。
いつかにこの方法が美味しかったことから、以来さつまいもをそのまま食べるときは炊飯器で炊いている。

残りの小さなさつまいもはさいの目に切る。
絵に書いた幼い少女のほっぺたのように、薄いオレンジピンクのかわいい色合いをしていた。

ついでに冷蔵庫にあった玉ねぎとチンゲン菜、凍っていたきのこたちと油揚げ、も入れて軽く炒める。
さてはて、私は一体何を作っているのだろう。

私はこういう得体の知れないスープをよく作る。
行先をその場で探っていくような。
大抵、こういうときはお腹が空いてはいない。
そしてなぜか、猛烈に掃除をしたときのように、このことをブログに書きたくなる。

いつもはほとんど買わないさつまいもが入っているので、ベースを何味にしようかと、ぐつぐついっている鍋の灰汁を取りながらしばし考える。

赤味噌でもない。
コンソメでもない。
醤油でもない。
シチューのルウでもカレーのルウでもない。

白味噌とウェイパーを少し。
味を締める意味合いで唐辛子を一本。

お腹が空いていないので最終的な塩味の調整は明日にするとしよう。
2日後くらい、牛乳を入れてもいけそうだ。


ノエルギャラガーズハイフライングバーズの『チェイシングイエスタデイ』をamazonで買った。
iTunesに入っているオアシスのアルバムも再度聴いてみる。

英語はもう全然、分からなくて。
ある異言語を理解するには、文化的背景やその国、その時代の日常まで知る必要がある。
まあそんなことを言う前に、単語の一対一の意味だって全然分からないわけなのだけれど。

もちろん言葉の対訳だけでないニュアンスを含めた意味も知りたいけれど、これについて私は諦めている。
そこには特別な興味は今のところない。

しかしながら、私がかつて斜めから冷やかに見ていた“洋楽”というようなものにはとても興味がある。
というより、あるロックンロールと、音が存在しているただそれだけのことが、私はたまらなく愛おしいので、“洋楽”と括らなくったって、それらは大好きである。

私の音楽コンプレックスは残念ながらおそらく本物だけれども、私はいつも音楽のことが知りたいと願っている。
音楽の正しい聴き方なんてないと言われても、私はその解釈の手法を求めている。
感じることが全て、だとしても。
全部だなんて言わないから、主要なコードが分かったときのような、そんな些細で基礎のことが知りたい。
もしかすると、私が一番知りたがっていることが、音楽ではないかもしれないけれど。

テレビが無事に録画できるようになって、NHKの「ららら♪クラシック」という番組やら、ミュージシャンの対談やらを録っている。
NHKのEテレは、「亀田音楽専門学校」など、音楽を事細かに解説してくれる番組をよくやっている。

字がただ線でできているように、音楽だってただ音からできている。
そこには「まったくもって訳の分からない世俗を超越した音楽家」が存在しているわけではなくて、細かな鍛錬を積み上げた一人の人間がいるのだなと、やっとそういうことが分かってきた現時点である。
音楽というのは、「まったくもって訳の分からない世俗を超越した」人がやるものだと思ってきたので。

音楽は、時間に乗っていて止めることができない。
音楽は、空気の振動が終われば消えてしまう。
音楽は、見えない。

これが書との違いで、私は自分の呼吸で止められない時間軸に乗った運動がどうにも苦手だ。


何の花なのかわからないけれど、六本木ヒルズの花壇に咲いていた。
左の白い花が、先日生まれた友人のあかちゃんの口をすぼめた顔を想像して止まない。


大きいぞ外野手あくびで春うらら




オレンジ色の窓際に吹く春の冷たい夜風

2015-04-17 20:01:39 | 日記
家の前の銀杏の木が緑を芽吹いてきた。
「芽吹く」という言葉が私は好きである。

花粉の季節を乗り越えて、久しぶりに窓を開けた。
すっかり根を生やしたミントがぐんぐんと茎を伸ばし、透明な力強い光を受けてキラキラと輝いている。
外の空気で深呼吸できる季節がやってきたのだ。
私は春の花粉以降のこの部屋が好きだったなと、極寒の季節忘れていたことを思い出した。

といっても大通りに面しているので、おおっぴらに開けることができる窓は一つしかない。
あと、ベランダがないので、洗濯物は天気に関わらず部屋干しで、冬の間、掃除のほんの少しの間以外窓を開けることがほぼなかった。
あと、網戸もないので、招かれざる客を招かないように目の届く範囲でしか開けないことにしている。

ないとは思うけれど、私の大嫌いなアレが万に一でも侵入したら夜も眠れないので、私が把握できる侵入経路は塞いでおきたい。
まあ、目の届く範囲で窓を開けていて、もしアレが侵入してくるようなことがあっても、私は悲鳴をあげて逃げてしまうので侵入は防げないとは思うけれども。

そうなったら本気で引っ越すだろうなと思う。


ノエルギャラガーのライブ。
私は初めて日本武道館に行った。

東京ドームのライブも、武道館のライブも自転車で行く。
私がよく使う自慢話である。

日が落ちて間もない時刻、あたりは人がたくさんいたけれど、九段下のどこか厳粛な雰囲気と相俟って、懐かしいような、自分のものではないような心持ちがした。
私自身が特別に興奮していたということは全然なく、一緒に見に行く人を待ちながら、私は夕暮れ時の菜の花と、9分葉っぱとなった桜の木を撮影していた。
武道館の入り口の巨大な石壁と門は不自然なくらいに大きくて、普通の会話をしているにも関わらず、私は体のバランスを崩しそうで、刻一刻と進む夜と一緒に飲みこまれそうだった。

オアシスを聴いたのも、ノエルギャラガーを少し追ってみたのも、当然ながら3年ほど前からで。
「whatever」を、当時勤務中に自分の席で、和訳付きの動画を見たとき、私は「リンダリンダ」を聴いたときのような衝撃があった。
あわわわわわ、となって気持ちが耐え切れなくなって、胸のあたりを抑えながら席を離れて外の空気を吸いに行った。

ノエルギャラガーとリアムギャラガーが兄弟で、仲違いしていまやオアシスが存在しないことも、フジロックでノエルギャラガーを実は既に見ていたことも、そのときは知らなかった。

ただ、よくわからないけれど、私はこのとき、他人における愛の意味を知った気がしたのだった。

それから「whatever」を私は何度聴いたかわからない。

私を打ちのめしてくれたノエルギャラガーも、あのとき打ちのめされた私も、今はもういない。
ノエルギャラガーズハイフライングバーズのアルバム名が『チェイシング・イエスタデイ』であるとライブ後に知ったとき、未だに私は自分が何か外に対して求めていることを思い知った。
後で見た「The Masterplan」の詞も、切なくも情けなくもあった、もちろん私自身に対して。

私は私をただ観測することしかできない。


本物と必死で尋ねる桜貝