つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

急ぐ

2015-09-27 10:26:19 | 日記
句会仲間から借りた「あかぼし俳句帖」

俳句には少し慣れた感もあるけれど、当たり前だけれど、全然何にも分かってなかったのだ、ということがよく分かった。
書道でも音楽でもなんでもそうだけれど、やはりそれにどれだけの敬意を払えるかによって、創り方も味わい方も歴然の差が生じてくる。

それは初心者やそれをやらない人には分かりようもない、愉しみ、と言えるもの。
やっている人にしかわからない、突っ込んでいる人にしかわからない、そんな領域が間違いなく存在することを教えてくれた。

もちろん、初心者が何か文化的なことをやってはいけないなんてこともなければ、敷居が高いからそれなりの覚悟で踏み入るべきだなどと言うつもりはない。
そもそも、全員が初心者から始まる。
当然、小難しいことは抜きにして「創りたいように創ればいい」「感じたように味わえばいい」、それも分かるしそれも本当だ。
しかしその道を志す者は、ただ楽しむということに終わらず、道が果てしないことに打ちのめされ、何度も自分はダメだと思い知ることになる。
それでも、飽くなき探求心と愛情をもって進んでいく。
その上で、「創りたいものを創る」「感じたように味わう」。

俳句そのものの成り立ち、歴史、季語の意味、季語があるということ、俳句的技法、語彙の量、言葉の選択と組み合わせ、それらの圧倒的な土台があってこそ格調高い良い句を創れる可能性を高めることができる。
知り過ぎて囚われ狭まる、という領域もあるだろうが、そうなれたらかなり俳句道を行っていることを誇ってもいいように思う。

俳句は、五七五の極めて少ない言葉の世界だから、多くを知っていることは真っ当な読み手になり得るということでもある。
句会に出ていても知らない言葉がたくさんあって、家に帰って意味を調べて読み返すと、なんて良い句だ、なんてこともあるわけであって。
そんなときには俳句に謝りたい気分にもなるものである。

その道にいるとその道にいない大勢に理解は得難い。
その奥に秘められた“良さ”は、大勢の軟弱な土台ゆえに置き去りにされたまま葬られてしまうのである。

しかし一方で、本当に“良いもの”というのは何が何でも伝わるのかもしれない、とも思う。
これはおそらく、そうである、そう信じたい。
となれば、作り手の技量及ばず、ということも言える。

いやしかし、やはりその道にいることというのは尊く、そんな創作物にはいつだって頭が下がると、この漫画を読んで思い知った。

ほとんどの人は、「あの線のかすれが泣かせる」とか「あそこであの音とは何て示唆に富んでいるのだ」などとは思わない。
別に全然思う必要もない。
でも少し、その奥行きのような何かだけでも感じて、作り手本人というよりかは、その文化に少しでも敬意を払う心が芽生えたのならそれでも十分だと思う。

「ニッチな文化の展示会には“チャーハン”を置け」ということをいつかどこかで見たけれど、確かに多くの人に理解を求めたかったり、一緒にそれをする仲間が欲しかったりする場合には“チャーハン”的何かが必要なのだと思う。

これは私がもっと俳句に突っ込みたいという話ではなくて、多くのことに通ずるなという話である。
あと俳句に対して、ごめんなさい、という気分になったという話でもある。
ついでに書道についても、ごめんなさい、という気分でもある。

そして終わりなく、まだまだ、なのである。

天窓にすき間ちょうどの望月かな




銀の太陽

2015-09-24 01:24:37 | 日記
プールに行く。
まともに泳ぐのは何年ぶりだろう。
海水浴というか海が嫌いだし、水泳は着替えが面倒とか髪が傷むとか濡れるとかでそもそも好きではない。
まあでも、溺れない程度に普通には泳げる。

しかし、友人がホテルのプールで泳ぐために旅行に行きたいと言っていた話をきっかけに、何となく久しぶりに水の中に潜りたいという衝動が生まれ、その勢いでフィットネス用の水着とゴーグルを購入。
10年間で1度しか使っていないビキニも持ってはいるものの、Yahoo知恵袋などによるとスポーツジムなどではビキニを禁止しているところもあれば、禁止していなくとも場違いだというふうに書かれていた。

水着が届いて間もなく生理になって、水着は放置されていた。
潜りたい、泳ぎたいことを忘れないように、水着はしまわずに机の上に出しておいた。
ちなみに私は自分の家では年中シャワーのみなので水に潜るということは日常的に体験しづらい。

あとはもうここ何年も、自転車以外の運動、これも運動に入るかわからないが1日合計30分以上乗っていることは多いが、をさっぱりしない慢性的運動不足で、4kgの赤ちゃんを抱っこして筋肉痛だの、遠出して筋肉痛だの、10数分のバランスボールで筋肉痛だの、階段や坂道が辛いだの、身体のなまりが甚だしいことを食い止めたいという思いもある。
もう一つ、肩こりが酷いので、水泳は肩こりに効くと聞いたということもある。
身体は丈夫な方だけれど、健康維持はそろそろしておいた方が良い。

本当はスポーツをするなら単純な運動よりもバレーボールがやりたいけれど、如何せん大人数が必要であることや、爪を切らなくてはいけないことやケガをしてしまいそうなことを考えると続きそうにない。
何年か前、スポーツジムのランニングマシンもやったことはあるけれど、走っている最中に息切れで考え事と体がめちゃくちゃになってしまうし、単純に辛く、性に合わなかった。
ボールを追いかけるなどの目的なく、自分の体重を自分だけで支えて動くのがダメなのだと思う。
重力が辛い。

私の運動への意志が日常に組み込めるくらい、継続できるものが良い。

水は冷たいのか、私は今泳げるのか、足を攣らないか、どのくらい疲れるのか、プールはきれいなのか、人はどのくらいいるのか、どんな人がいるのか、とにかくいろんなことが気になったけれど、とにかく出かけてみる。

近くにあるプールで最も近いのが区民スポーツセンターだった。
このあたりは起伏が激しく、運動せねばという思いと裏腹に自転車で上り坂を上るのは嫌いなのと、またとても道に弱いのであまり出歩くことがなく、界隈の詳細を未だ全然知らない。

小石川植物園の素晴らしさもさることながら、こんなにも近くにこんなにも広く緑いっぱいの立派な施設があるのか。
私は東京が大好きだけれど、特にこのあたりが好きで、何があるとかないとかそういうことでもなくて、街並みや雰囲気やいる人たちが好きなのである。
近所の生徒さんもみな口を揃えてそう言う。

水着は予め着て行ったのでさささと着替えて、表示に従ってシャワーを浴びて腰湯に浸かり、塩素の匂い漂うプールサイドを歩く。
勝手が分からず、監視員に「ここから入ってもいいですか?」と聞くと「今は休憩中です」と言われた。
見渡すも何も、プールには誰も入っていなかった。
こういうとき、私は自分で思う以上に周りが見えていない。

休憩時間が終わり、ゴーグルをはめて、プールのはしごをゆっくりと降りる。
水は冷たくもなく温かくもなく、適温。

思ったよりも深いので、瞬間的に水の中に潜った。

水の中に潜っている音がした。

子どもたちが遊んでいるレーンで泳げることを確認して、25mを1往復、50m止まれない「完泳レーン」で泳ぐ。
クロールは少しやって疲れたので、あとは平泳ぎで。

2時間制500円なのだが、2時間で足りるかなと思っていたことは即打ち砕かれた。
3往復くらいして、ふぅ、結構泳げるな、と思って時計を見ると、プールに入って15分しか立っていなかった。
2時間なんてとても泳いでいられるわけがない。

しかし、浮力を借りていることと、頑張り過ぎないスピードで泳いでいることで、息が上がってもうダメだということもなかった。
泳ぐことは気持ちが良かった。

結局休みやすみ、合計1kmくらい泳いだ。

プールの後の心地よい疲労感は、いつになっても変わらない。
プール上がりの自転車に乗って吹かれる秋風は、遠回りして帰りたいくらいに爽やかだった。

しかし、顔が引きつって、そうも言ってられなかった。
全く頭になかったけれど、化粧水を持っていくべきだった。
顔を動かすとひび割れてしまいそうだったので、顔を微動だにさせずに自転車をこぐ。
帰宅して、乾いた鉢植えに水をやるように、化粧水を浴びる。

水着を洗濯機に入れて、使ったゴーグルを不意に見ると、「Remove protective film before use」のようなことが書いてあった。
視界が曇っているなと思ってはいたけれど、これを付けたまま泳いでいたからなのか。

また近々泳ぎに行きたい。
そう思えていることは嬉しいことだ。
これから迎える寒い冬にも勝てるくらい、私の泳ぎたい意志が沸き続いてくれるといい。



色もなき風の仕業の白髪かな




目を閉じると

2015-09-22 14:57:35 | 日記
最近あまり音楽を積極的に聴くことがなかったのだけれど、SEKAI NO OWARIやRADIO HEADを借りて、すごく好みというわけではないけれどもとても“本物感”を感じたりする。
言っていることがどうかというよりは、作り手が作り手として立っている感じというか、立とうとしている感じというか、どうにもしようがない“それ”だったり、音楽的な世界観としての“それ”だったり。

ついでに久しぶりにギターを手に取って、かねてより気になっていて、しかし相当の期間放っていたトライアドを再度やってみる。
トライアドは、三音で成り立つ和音。

何だかよくわからないけれど、私は和音の世界が好きだし、コード理論が好きだ。
まあでも、好きだ、というほど私の頭は数学的にできていないので、半歩の理解を進むのに、うううううう、とじりじりしか進めないのだけれど。

ギターにおいて、何ひとつ、弦が6本あることも爪が長いと弾けないことさえも知らずに始めた私が、「同じ手の形でそのままずらしていくことができるのね!」「ここにもこのコードがあってここにもあるのね!」「ルート音ってそういうことなのね!」ということの理解にギターを持って至ったとき、私にとっては革命的な感じがした。
それを知ってキーを自分でずらすことができるようになったし、ベース音だけ鳴らすということもできるようになった。
もうそれで、マーシーのギターソロが弾けなくても、コードを弾いて歌ってしまえば、何とか曲になるので十分だった。
だから長らく、自分がやることにおいては音楽的にもギター的にもストップしてしまっていた。

私は自分が音楽に触ることについて、とても引け目を持っている。
全然分かりません、という大きなコンプレックスの下に始まっている。
それでも気になります、音楽さん、という思いは拭い去れないので、折に触れて熱量が上がったタイミングでまた考えたり触ってみたりするのである。

聴くことと弾くことは別物だし、理論と音の体現も別物である。
多角的にコードをギターにおいて考えていくと、あれとこれとそれが時をずらしてピタリとリンクしたりして、「おぉ!」とか「あぁ!」とかなったりする。
そしてまたそれが音として出るわけであって、それは嬉しいに決まっているではないか。

多角的に、と言ってみるものの、コード理論の全体像からすれば超一側面しか見ていないと思うけれど、コードの組み合わせはメジャースケールとかダイアトニックコードだけを基点として考えても恐ろしくたくさんのことが考え得る。
「音楽は思いなんだよね」とか言う前に、とりあえず、基礎的なスケールと各弦における基礎的なコードのポジションを丸覚えすることはとても重要であることが分かる。

コードの世界はきっとものすごく広くて豊かに広がっていて、でもきちんとした理解さえすればとても汎用性が高く、とても安定した音楽のひとつの土台になり得ることが少しの深度と体感を持って分かって、私はギターに再びポッとした。
その世界の広さや無限さについて、私はまだ正しく認識できないので下手に肝を冷やすこともない。

何事も、物事を体得するのに「思い」だけでできるはずがない。
理解と練習しかない。
いきなりできるようになる魔法なんてない。

そしてまた、スケールを知って、コードを知って、練習して、しかし、当然ながらそれだけで何になるということもない。

ギターという楽器は、面倒くさくて愛おしい。

私は書のレッスンにおいても「汎用性」という言葉を多用するけれど、どんな物事であれ「汎用性」の高いことを知ることは、世界が広がったり、バラバラに見えていたものが統合されるということでもある。
物事を体得するのに、それとは別のことが役に立つことも大いにある。


結局出品しなかった「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」

花や写真に以前ほどの興味がなくなってきた。
好きは好きだけれど。



床磨き終えて艶増す栗羊羹




春、ある、ヤンキイズム

2015-09-20 09:50:49 | 日記
マーシーがよく出没するというバー。
当然ながらマーシーは人間だから出かけもするしお酒も飲むし歌も歌う。
普通に、ごく普通に、鼓動して毎日を営んでいる。

ライブ会場で、手に届きそうなところにマーシーがいたこともある。
間違いなく私の目の前でギターを弾いて、目の前で歌っていた。

しかしながら、それとは違って、商業でないところにいるマーシー。
どちらもただ“いる”ということには何ら変わりはない。
マーシー自体は幻想でもないし、そのことだけはただ事実なのだ。

「ま」ばっかりに見えるマーシーのサインが書かれたレコードがたくさんあった。
レコードでブルーハーツを聴くのは初めてだったけれど、よく言われるCDとレコードの音の違いが私には分からなかった。
どこでどう聴いたって、私の頭は持っていかれてしまうけれど。


展覧会の作品の出品に行く。
結局、また「リンダリンダ」も書いた。

「リンダリンダ」はもうだって、私の最初のロックンロールであって、どうにもこうにも革命的な出来事をもたらしたものだ。
だからと言って、ヒロトやマーシーを崇め続けるわけにもいかず、ロックンロールとはそういうことではなく、くるりの岸田さんの言うように、ロックンロールにはいつだって「さよなら」の概念がそこにある。
これは日常の細かな現象についてではなく、イメージ、概念、の話として。

限りなく変化していく自分と、限りなく変化していく世界。
言うなれば、「リンダリンダ」が私に起こしたことは、「“自我”と“世界”の分離」ということだと思う。
それまでどこか社会や世界というものに乗っ取られていた“自我”が、“世界”を抜きにしてもただ自分として存在していいのだ、というかそもそも存在しているのだ、ということを体感を持って認識した、そんな現象だったのだと思う。

だから何だと言うこともないのだけれど、恐ろしく大きな、ひとつの納得を得て、それでそんなふうにやっていきたいと体が思うようになった。
どこまでも世界を借り物としている以上、そんなふうに、というところが何だか肝が冷えるくらいによく分からないのだけれども。
私に大事なことはきっと“たったひとかけらの勇気”なんだと思うけれども。

「ひこうき雲」「男の子と女の子」と合わせて3点を出品。

いくつかの書いたものから出品作品を先生と一緒に選ぶのだけれど、私がここで書道を始めるきっかけになった先生がいて、私のを選んでくれているわけではなかったのだけれど、先生は不意に寄ってきて「あら、誰の?あぁ竹内さんのか。いいの書くようになったわねぇ」と言った。
先生はすぐ、また他の人の作品選出に戻っていった。
たったそれだけだったけれど、嬉しかった。

その先生は、誰かを特別に懇意にしたりする姿を見ないし、褒めたり批評したりはするけれど結局のところ書以外のことに我関せずなところがある。
そんなところが私は好きだ。

先生の作品は、運筆は力強く、それでいて紙面に現れた線は煙のように繊細だったりする。
同じ筆を使っているとは思えないし、何がどうなっているのか、私には未だよく分からない。

ある程度続けていると、自分の字やイメージから解き放たれることが難しくなる。
決まりきった方法で体よく収めがちになる。

しかしその先生の作品はいつだって進化している、あるいは進化の姿勢が感じられる。
前回の「風神雷神」の四字作品は特に今も脳に焼き付いている。

私は所属団体においてコミュニケーションを取らない方だけれど、とてもこっそり、私は先生のファンなのである。


カバーを付けているにも関わらず、iPhoneを落として画面にヒビが入ってしまった。
どうしてそんなふうに落下するのか、という感じで、カバーのない側面から垂直落下して、カツン、という音がした。
幸い、画面保護のシールのおかげでタッチ部分にはかろうじて及ばない最小限のヒビで済んだけれども。
これなら直さなくても良いだろう。
がしかし、相変わらずエラーが多い私である。



筋肉痛の理由はきっと笑い茸




いつかの意欲と張りぼて

2015-09-13 10:45:55 | 日記
ピーマンをくたっとするまで酒と醤油とみりんとおかかで炒め煮にすると美味しいと、ネットで見たのでピーマン一袋5個でそれを作ったら、2,3日のおかずにしようと思っていたのに一度に全部食べてしまった。

缶詰のミックスビーンズに軽く塩胡椒して、クミンを振ったらおしゃれな豆サラダになった。
これまたフィット感のある味で、2,3日のおかずにしようと思っていたのに全部食べてしまった。

だからまた、夜の煮物をする。

じゃがいもとしめじ、切り干し大根、しらたき、シーチキン、ししとう、唐辛子。

皮を剥いたり、
石づきを切ってほぐしたり、
さっと洗ったり、
下茹でしたり、
缶を開けたり、
ヘタを切り落としたりして、
ざっと炒める。

酒をじゅわっと入れて、
かつお粉とざざっと入れて、
ぐつぐつして灰汁をすくって、
醤油をちゅうっと入れて、
みりんをだだっと入れて、
唐辛子をまるのまま一本入れて、
ひと混ぜ、ふた混ぜしながらぐつぐつして、
じゃがいもに爪楊枝がスッと通って、
火を止める。

最近、料理をするとき、「きょうの料理ビギナーズ」のハツ江さんの甲高く独特な間を持ったナレーションが私の頭の中で勝手に再生される。
随分と雑に私はそれを再現したりしなかったりする。

私からよく作り出されるこの類の料理は一体何者なのだろう。
ごった煮、なのだけれども、具材は度々入れ替わる。
まあ味付けは基本的にいつもさほど変わらない。
ししとうを入れなければ、「白い煮物」とでも名付けたかったけれど、料理に彩りが必要でそれは栄養バランスにも関わる、という私に植わっている考えでついししとうを入れてしまった。

なぜ私はちゃんと名のある料理を作らないのだろう。
敢えて避けているわけでもなければ、肉じゃがとか春巻きとかココナッツカレーとか、食べたくないわけではないしむしろ食べたい。
工程が面倒だということが第一にあるけれど、おそらくそれらよりもこのようなごった煮を食べたいと思うことが多い。

午前2時の煮物の味見はまだで、きっと食べるときに塩味の調整は必要だろう。
冷めていく過程で、具材がぎゅうっとそれぞれのうま味を抱きかかえる想像をしながら眠った。

よく仕事をして帰ったときに、こういうごった煮があるのは嬉しい。
けいこに作ってもらいたいわけではない。
けいこに作ってもらったごった煮は、そのときに食べたいかどうか分からないし、私はそれを自分の血肉にしたり感想を持ったりする責任を持てない。


街のそこら中でお祭りの太鼓と笛と御神輿をかつぐ声がする。
私にとってお祭りと言えば、海中渡御といって山車が海を渡る非常に派手な地元の祭りを思い出す。
日本酒の一升瓶を回し飲みして、サラシの男たちはアスファルトの上で泥酔して倒れている姿を、私はよく露骨に遠ざけていたように思う。
今思うに、あの祭りで過去に何人も死んでいるのではないだろうか。

幼い頃には、着物を着て足袋を履いて踊りをやったりもした。
祭りが近くなると小学校の体育館で毎晩踊りの練習があった。

お祭り当日、早朝から白塗りの化粧をして、真っ赤な口紅が落ちないよう口をつぐんでいた記憶がある。
雨が降って、衣装が濡れてしまうからと簡易なカッパを着て踊った。
このとき、けいこは飲み物を買ってきてくれたり、比較的献身的だった気がする。

決して楽しい思い出ではないのだけれど、特段嫌だった思い出もこれに関してはない。
特別な日であっただろうに、私は何を思っていたのか、全然思い出せない。
私はそのときの私の思いを知りたいのだけれど、全然思い出せない。


更紙(ざらがみ)に淡墨が落つ秋の雷(らい)