◆ ある事故死 (東京新聞【本音のコラム】)
石井紀子さんが亡くなった。六十七歳。交通事故だった。
千葉県成田市の作業場で明朝配送のための人参(にんじん)を選別し終え、軽トラックで自宅へ向かった。
考えごとをしていたのだろうか、自宅への曲がり角を通り過ぎた。U夕ーンして、疾走してきた軽自動車と正面衝突。ほぼ即死だった。相手の若者はエアバッグで無事だったと聞いた。
一九七二年、学生の時、「三里塚闘争」と言われた、成田空港建設反対運動に参加した。
突然の一方的な用地の閣議決定だったから、ほとんどが自民党支持だった農民たちを憤激させていた。
学生運動の昂揚(こうよう)の後で全国から学生や労働者が駆けつけ、常駐した。
援農に支えられ、小学生もふくめた家族ぐるみの抵抗闘争は、数多くの逮捕者、負傷者ばかりか自殺者、死者をだした。
計画から五十四年たったが未完成。計画変更後も混乱を極めている。
石井紀子さんは農家の若者と結婚した十数人の女子学生のひとり。ミミズにも恐怖する、東京の教員の娘だった。
「義母たちのように土に生き、土に死ぬ百姓にならねば」。それが決意だった。
十七年前に他界した義父、八年前に離婚した夫とわたしは懇意だった。
「土と闘争に根を張って生きた。それで得た人生です。この在り方を続けていきます」ど彼女は爽やかに語っていた。
初心を全うした一生だった。合掌。
『東京新聞』(2020年3月17日【本音のコラム】)
鎌田 慧(かまたさとし・ルポライター)
石井紀子さんが亡くなった。六十七歳。交通事故だった。
千葉県成田市の作業場で明朝配送のための人参(にんじん)を選別し終え、軽トラックで自宅へ向かった。
考えごとをしていたのだろうか、自宅への曲がり角を通り過ぎた。U夕ーンして、疾走してきた軽自動車と正面衝突。ほぼ即死だった。相手の若者はエアバッグで無事だったと聞いた。
一九七二年、学生の時、「三里塚闘争」と言われた、成田空港建設反対運動に参加した。
突然の一方的な用地の閣議決定だったから、ほとんどが自民党支持だった農民たちを憤激させていた。
学生運動の昂揚(こうよう)の後で全国から学生や労働者が駆けつけ、常駐した。
援農に支えられ、小学生もふくめた家族ぐるみの抵抗闘争は、数多くの逮捕者、負傷者ばかりか自殺者、死者をだした。
計画から五十四年たったが未完成。計画変更後も混乱を極めている。
石井紀子さんは農家の若者と結婚した十数人の女子学生のひとり。ミミズにも恐怖する、東京の教員の娘だった。
「義母たちのように土に生き、土に死ぬ百姓にならねば」。それが決意だった。
十七年前に他界した義父、八年前に離婚した夫とわたしは懇意だった。
「土と闘争に根を張って生きた。それで得た人生です。この在り方を続けていきます」ど彼女は爽やかに語っていた。
初心を全うした一生だった。合掌。
『東京新聞』(2020年3月17日【本音のコラム】)
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