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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

◆ 東京「君が代」裁判五次訴訟・原告証人尋問の記録(2)

2024年12月13日 | 「日の丸・君が代」強制反対

  《リベルテ(東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース)から》
 ②原告本人尋問・井上佳子(元第五商業高校教員)

【不起立の理由】

 通達直後の卒業式では怖くて起立できなかった。この国がどうなってしまうのか?と頭が混乱する中で、あとで「あの時、何で反対しなかったのか?」と問われたらどうしようかと考えた。命令に従わないことも怖かったが、従うことのほうが怖かった
 入学式の前に「起立は強制ではない」と生徒に説明したところ、疑問があったが中学までは我慢していたという生徒に「ホントに歌わなくてもいいの?」と言われたことがある。このような生徒の立場を守ることは教員の責務だと思う。
 教員として大切にすべきことは多様性、少数者を尊重することだ。同調圧力に抗う者が存在するのに何も批判がないかのように式が進行することを許してはならない。

【処分による不利益について】

 杉並総合高校で不起立を理由に、1・2年と続けてきた担任を3年目で外され、持ち上がるはずの生徒たちから引き離されたときの無念さは言葉では表現できない。
 このような処遇を受ける前に校長から何度も「起立できないのか?」と言われ続けたことも嫌だったが、分掌人事や異動に関して何かと処分の影響に振り回されてきたことも苦しかった。
 そのほか、再発防止研修の日程が部活動合宿の日程と重なり、研修日程の変更を申し出たが許されず、やむなく引率を取りやめたり、主任教諭選考に合格していたが、不起立した直後に任用取消しになったことで、昇任、昇給の機会が失われたこともあった。

【再処分について】

 再処分の前に事情聴取に呼ばれたが、一方的に決められた日程のため、考査前の貴重な授業を自習にして出頭させられた。
 聴取では弁護士同席もメモを取ることも許されない不当な扱いをされた上、7年前の不起立について聞かれたことには呆れた。
 またこの年、公募制の異動に応募したが、書類選考の段階で落とされたことは通常ではあり得ないことだ。再処分の影響であると確信している。
 なお、再処分の発令に関しては、どのような理由によるものか何の説明もなかった。私は、見せしめ、嫌がらせ以外の何物でもないと考える。

【通達による学校の変貌】

 不利益を被ることはあっても、生徒に対する日の丸・君が代の強制には、私一人でも反対を表明し続けなければならないと思って行動してきたが、昨年度いっぱいで辞職した。
 10・23通達後、職員会議は採決が禁止され、ただの連絡会議になって、管理職に意見することもなく、言われるがままに仕事をする。学校で本質的な教育論が交わされることもなくなってしまった。都教委の狙い通り、従順で考えない、都教委に従うだけの教員・学校づくりが着々と進んでいる状況の中で、自分自身の居場所がなくなってしまったのだ。

【裁判官質問】(右陪席裁判官)

 減給処分取消で何が戻ったのか?
    →給与の減額分と遅延損害金だけです。

 再発防止研修は各処分全てでおこなわれているのか?
    →再処分では行われていない。

 処分を受けた時以外は起立を求められなかったのか?
    →会場外の勤務を命じられた。


③原告本人尋問・鈴木毅(八王子拓莫高校教員)

【教師としての経験について】

 初任で全日制の教育指導困難校に勤務したのち、現在まで定時制高校に勤務してきた。定時制は子どもの育ちに濃密に関わることができる現場で、そこにやりがいを感じてきた。
 学校教育は教科教育と特別活動からなるが、特別活動では、生徒会活動、学校行事、また部活動の指導に力と時間を注いできた。
 特別活動は学習指導要領に「自主性、実践的な態度を育てる」などの目標が示されているが、個別具体的な実施内容が設定されているわけではなく、各学校の実情に応じて、各学校の裁量で実践的に取り組むものとなっている。
 特別活動は教育基本法に示された、人格の形成に資する重要な教育活動で、戦後教育改革において民主的で自立した市民を育成することが重視されたところから、自主的、実践的、協働による集団活動を行うことが期待されてきた経過があり、現在に至っている。

【卒業式について】

 卒業式も文化祭同様に、名称はさまざまだが卒業対策委員会などの生徒組織が教員集団と協働しながら行事を作り上げてきた経過がある。
 都立高校では、卒業式のプログラムの内容、組立てなど、生徒と教員が話し合いながらつくり上げてくるのが一般的だったが、10・23通達以降、生徒が企画立案に関わることは一切なくなり、全てが「校長決定」となり、教職員も命令に従って職務を行うという関わりしかできなくなった。
 生徒は「お客さん」になってしまい、国歌起立斉唱を強制される立場になり、卒業式は事実上「国歌斉唱式」となった。

【日の丸・君が代について】

 子どもの頃から「日の丸・君が代」に格別の愛着を持っていたが、教員になり、都教委がこれらを「無理強い」するようになってから、嫌悪感を持つようになった。都教委は職務命令を出すだけではなく、式場に監視の人員を配置して全員が服従しているかどうかチェックを行っている。
 さらに監視内容をファックスで都教委に報告していたことも情報開示で明らかになった。しかもその文書には生徒や保護者の起立状況も報告するようになっていた。

【君が代強制の意味】

 10・23通達以降都教委のやり方(その後の通知、通達、式進行表への指導、監視など)を見ると、教職員のみならず、全ての参加者を起立斉唱させることを最終目標としていることがわかる。
 都立高校では外国にルーツを持つ生徒は増加傾向にあり、多様性を尊重すべき状況は拡大しているが、都教委はそれに逆行することをしている。教育を国民教化の場にしようとしていることは明白で、今は「君が代」の強制が中心だが、「君が代」ではないものに成り代わっても、それを徹底できるシステムを作りつつあると私は見ている。
 教職員はそのような行政権力の行為に加担してならない。権力の手先という立場にもあることを自覚して、やってはならない行為には歯止めをかけなければならないと考える。
 裁判所にもこの流れに歯止めをかける役割を果たせる立揚にあることから、勇気ある判断を期待したい。


④原告本人尋問・田中聡史(久我山青光学園教員)

【不起立と処分について】

 通達発出(2003年)以降、数年の間は処分が怖くて不本意ながら起立していたが、2006年の予防訴訟東京地裁判決における違憲判断が出てから不起立するようになった
 しかし2007~2011年の間は不起立していたが処分されていない。気づかれなかったようだ。目立たなかったからかもしれない。
 その後、現認されて処分されるようになったが、周囲に偏見の目で見られるような、同調圧力を感じている。

【不起立の理由について】

 京都で生まれ育ったが、そのような中で、部落差別問題、在日朝鮮人差別問題など人権問題を意識するようになった。日本は未だ近代の歴史に対する反省がきちんとできていないことから、「日の丸・君が代」の取り扱いには無批判ではいられない。そのように考えている自分は、偽りの姿を生徒の目の前にさらすわけにはいかない。
 なお、学習指導要領は処罰をしてまでも国歌を強制するようなことは求めていないとも考える。

【処分の不利益について】

 処分は経済的損失をもたらしているが、他にも、卒業式に参加する学年の担任にはなれない業績評価が常に低くなっていることなど多くの不利益がある。
 再発防止研修は処分されるたびに強化され、2018年度の処分の際の再発防止研修は、合計18回も行われ、授業や生徒指導の時間がそれに費やされた
 なお、その内容は地公法や学習指奪要領に関する事項について同じようなものを何度もくり返すだけのものであった。

【再処分について】

 不起立から7年8ヶ月後の処分には納得できない。不起立は目立たない行為で何の混乱も招いていない。
 なお、裁判で減給処分が取り消されたが、名誉回復はなされていない。取消したことが公表されたり、都教委が謝罪することなども一切なかった
 一方で再処分は、新たに公表され、都教委のホームページで長く晒された。

【裁判官質開】(右陪席裁判官)

 減給処分の取り消し判決によって、勤勉手当の減額、昇給延伸による損害は回復されましたか

→勤勉手当の減額分は 支給された。昇給延伸による分は、私には正確な額がわからないが、担当の方が計算された額が支給されたので、それでいいと信じている。

『リベルテ(東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース) 75号』(2024年7月31日)


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