◆ 難民条約を逸脱する入管行政
東日本入管センター 収容者60余名が11日間のハンスト
東日本入管センターの収容者たち六十数名が今年5月、11日間にわたって一斉にハンストに立ち上がった。ハンガーストライキには女性や未成年者も加わっており、これほど大規模かつ組織的なハンストは過去になかったという。では、なにが彼らをそこまで追い詰めたのか。収容者たちのハンストを通し、我が国の難民条約の対応、収容者に対する管理の実態をレポートする。
◆ 収容者がハンスト抗議
「法務省東日本入国管理センター」とは、略して入国管理センターもしくは入管センターともいわれ、茨城県牛久市にある。周囲は雑木林や農地に囲まれ、人家などはほとんど見当たらない、隔絶された場所だ。
入管センターは定員700名。入国ビザやパスポートを所持しない、あるいは日本での滞在期間を過ぎてもなおまだ滞在していた、許可なく目本の職場に就労していたなどの理由で身柄を拘束された外国人のほか、政治的、思想的、宗教的な理由から国籍地に帰国すれば厳しい処罰が課せられるおそれがあることから、やむなく長期滞在せざるを得ない難民などが国籍地に強制退去するまでの期間を収容される国の施設だ。
難民とは人種、政治的思想的、信仰上などの理由によって受けるであろう迫害や弾圧から避難するため、やむなく故郷を脱出したものを難民といい、難民条約は、そのような人々の保護および人権を保障するというもの。
「現在ここには約370名が収容されてます。このうち女性は約50名ほどです。収容されている人たちはスリランカ人、パキスタン人、ブラジル人、アラブ人などさまざまですが、アジア系の人がもっとも多いですね」清水洋樹・入管センター次長はこのように説明する。
その入管センターで今年5月10日、7つの要望「審査基準を全面的に見直し、難解申請手続きを改善すること」「仮釈放の審査期間短縮」「保釈保証金の減額」「18歳未満は収容しない」……などをかかげてハンストに突入したのだ。
「ハンストは9Aブロックに収容されているトルコ系クルド人、ブラジル人、パキスタン人、スリランカ人、中国人など六十数名ほどが加わり、入国管理センターに対する抗議行動に立ち上がり、5月21日までの11日間、続行されました。参加者には女性や未成年者もいますが、とくに健康を害して医師の手当を受けたということもなかったので安心しています」。
収容者たちを支援する市民グループの『牛久入管収容所問題を考える会』の田中喜美子代表はハンストに参加した収容者たちとの面会をおえたのち、さらに続けてこのように、言う。
◆ ―多発する自殺に危機感
「ハンストに参加しているのは難民申請している人たちがほとんどです。これまでもハンストはたびたびありました。けれどそれは数名単位で期間も数日、ですから六十数名が参加する大規模ハンストというのは今度がはじめてなんです」。
収容者たちが大規模ハンストに立ち上がったのは何が発端なのか。これに触れるには、多発する自殺に収容者たちが危機感を抱き、忍耐も限界に達した状況を述べなければならない。
「つい先日もまたビルマ人男性が自殺未遂をはかったんです。今年4月パスポート偽造で身柄を拘束されたんですが、日本語はまったくわからず、相談相手もいない、本国に送還されれば処罰されるなど、将来を悲観して自殺に追い込まれたんです」。
大滝妙子在日ビルマ難民たすけあいの会会長はこう説明するが、その男性が自殺未遂をはかったのは5月19日、まさにハンストの最中。それだけに収容者たちの危機感はますます増幅された。それというのは長期間の収容から精神的不安定をきたす収容者も少なくない。事実2月と4月に相次いで自殺者が発生している。
しかし、自殺の動機や年齢などについてはプライバシーに係わるとして清水次長は説明を避けた。
◆ 是正迫られる入管行政
ベトナム戦争の終結で祖国を脱出したボートピープルといわれるインドシナ難民が粗末な木造船を仕立てて日本に避難してきたのを契機に1981年10月、閉鎖的で、排他的姿勢をとりつづけてきた日本政府もようやく難民条約締約国となり、難民受け入れに門戸を開いた。
ただしそれにしてさえインドシナ難民に限定という、カッコつきのいわば特例措置だった。門戸を開いたとはいえ、それでも難民の認定にはなおまだきびしい姿勢で臨んでいることに変わりはない。
実際、難民申請者に対する審査が厳格との批判を受け、日本政府は2004年2月、『出入国管理および難民認定法』の一部改正を余儀なくされた。
主な改正点は三つある。
まず一つは、従来、難民申請は日本に上陸後60日以内としていた、いわゆる60日ルールを撤廃したこと。
二つめは、難民と認定されなかった申請者から異議を申し立てられたときには、法務大臣は難民審査参考人から意見を聞かなければならないこと。
そして三つめは、従来、難民申請者であっても、残留資格のないものは強制退去処分を受けたが、難民認定の申請中あるいは法務省が難民申請者に対して発布した、国籍国への強制退去命令の取り消しを求める裁判係争中のものについては暫定的に滞在を許可する、というものだ。
これにしても我が国の難民認定は出入国者を取り締まるというのが前提にあるため、裁判においても、入国管理局によってなされた難民不認定の決定措置が覆されるというのはほとんどない。
事実、改正難民認定法が施行されながら、しかもそのうえ難民認定を求めて最高裁に上告中であった、あるいは国連難民高等弁務官事務所が難民として認定した、いわゆる「マンデート難民」であったにもかかわらず、トルコ系クルド人カザンキラン父子が2005年1月、国籍国に強制退去処分を受けたことは、いまなお私たちの記憶に深く残っている(本紙05年2月1日号既報)。
今回の大規模ハンストは我が国の難民行政に対する姿勢を問うものであり、グローバル社会といわれるなかで避けては通れない課題を突き付けるものであった。入管センターの今後の対応、ひいては民主党政権の入管行政の行方に注目したい。
(ルポライター高木和郎)
『週刊新社会』(2010/7/13)
東日本入管センター 収容者60余名が11日間のハンスト
東日本入管センターの収容者たち六十数名が今年5月、11日間にわたって一斉にハンストに立ち上がった。ハンガーストライキには女性や未成年者も加わっており、これほど大規模かつ組織的なハンストは過去になかったという。では、なにが彼らをそこまで追い詰めたのか。収容者たちのハンストを通し、我が国の難民条約の対応、収容者に対する管理の実態をレポートする。
◆ 収容者がハンスト抗議
「法務省東日本入国管理センター」とは、略して入国管理センターもしくは入管センターともいわれ、茨城県牛久市にある。周囲は雑木林や農地に囲まれ、人家などはほとんど見当たらない、隔絶された場所だ。
入管センターは定員700名。入国ビザやパスポートを所持しない、あるいは日本での滞在期間を過ぎてもなおまだ滞在していた、許可なく目本の職場に就労していたなどの理由で身柄を拘束された外国人のほか、政治的、思想的、宗教的な理由から国籍地に帰国すれば厳しい処罰が課せられるおそれがあることから、やむなく長期滞在せざるを得ない難民などが国籍地に強制退去するまでの期間を収容される国の施設だ。
難民とは人種、政治的思想的、信仰上などの理由によって受けるであろう迫害や弾圧から避難するため、やむなく故郷を脱出したものを難民といい、難民条約は、そのような人々の保護および人権を保障するというもの。
「現在ここには約370名が収容されてます。このうち女性は約50名ほどです。収容されている人たちはスリランカ人、パキスタン人、ブラジル人、アラブ人などさまざまですが、アジア系の人がもっとも多いですね」清水洋樹・入管センター次長はこのように説明する。
その入管センターで今年5月10日、7つの要望「審査基準を全面的に見直し、難解申請手続きを改善すること」「仮釈放の審査期間短縮」「保釈保証金の減額」「18歳未満は収容しない」……などをかかげてハンストに突入したのだ。
「ハンストは9Aブロックに収容されているトルコ系クルド人、ブラジル人、パキスタン人、スリランカ人、中国人など六十数名ほどが加わり、入国管理センターに対する抗議行動に立ち上がり、5月21日までの11日間、続行されました。参加者には女性や未成年者もいますが、とくに健康を害して医師の手当を受けたということもなかったので安心しています」。
収容者たちを支援する市民グループの『牛久入管収容所問題を考える会』の田中喜美子代表はハンストに参加した収容者たちとの面会をおえたのち、さらに続けてこのように、言う。
◆ ―多発する自殺に危機感
「ハンストに参加しているのは難民申請している人たちがほとんどです。これまでもハンストはたびたびありました。けれどそれは数名単位で期間も数日、ですから六十数名が参加する大規模ハンストというのは今度がはじめてなんです」。
収容者たちが大規模ハンストに立ち上がったのは何が発端なのか。これに触れるには、多発する自殺に収容者たちが危機感を抱き、忍耐も限界に達した状況を述べなければならない。
「つい先日もまたビルマ人男性が自殺未遂をはかったんです。今年4月パスポート偽造で身柄を拘束されたんですが、日本語はまったくわからず、相談相手もいない、本国に送還されれば処罰されるなど、将来を悲観して自殺に追い込まれたんです」。
大滝妙子在日ビルマ難民たすけあいの会会長はこう説明するが、その男性が自殺未遂をはかったのは5月19日、まさにハンストの最中。それだけに収容者たちの危機感はますます増幅された。それというのは長期間の収容から精神的不安定をきたす収容者も少なくない。事実2月と4月に相次いで自殺者が発生している。
しかし、自殺の動機や年齢などについてはプライバシーに係わるとして清水次長は説明を避けた。
◆ 是正迫られる入管行政
ベトナム戦争の終結で祖国を脱出したボートピープルといわれるインドシナ難民が粗末な木造船を仕立てて日本に避難してきたのを契機に1981年10月、閉鎖的で、排他的姿勢をとりつづけてきた日本政府もようやく難民条約締約国となり、難民受け入れに門戸を開いた。
ただしそれにしてさえインドシナ難民に限定という、カッコつきのいわば特例措置だった。門戸を開いたとはいえ、それでも難民の認定にはなおまだきびしい姿勢で臨んでいることに変わりはない。
実際、難民申請者に対する審査が厳格との批判を受け、日本政府は2004年2月、『出入国管理および難民認定法』の一部改正を余儀なくされた。
主な改正点は三つある。
まず一つは、従来、難民申請は日本に上陸後60日以内としていた、いわゆる60日ルールを撤廃したこと。
二つめは、難民と認定されなかった申請者から異議を申し立てられたときには、法務大臣は難民審査参考人から意見を聞かなければならないこと。
そして三つめは、従来、難民申請者であっても、残留資格のないものは強制退去処分を受けたが、難民認定の申請中あるいは法務省が難民申請者に対して発布した、国籍国への強制退去命令の取り消しを求める裁判係争中のものについては暫定的に滞在を許可する、というものだ。
これにしても我が国の難民認定は出入国者を取り締まるというのが前提にあるため、裁判においても、入国管理局によってなされた難民不認定の決定措置が覆されるというのはほとんどない。
事実、改正難民認定法が施行されながら、しかもそのうえ難民認定を求めて最高裁に上告中であった、あるいは国連難民高等弁務官事務所が難民として認定した、いわゆる「マンデート難民」であったにもかかわらず、トルコ系クルド人カザンキラン父子が2005年1月、国籍国に強制退去処分を受けたことは、いまなお私たちの記憶に深く残っている(本紙05年2月1日号既報)。
今回の大規模ハンストは我が国の難民行政に対する姿勢を問うものであり、グローバル社会といわれるなかで避けては通れない課題を突き付けるものであった。入管センターの今後の対応、ひいては民主党政権の入管行政の行方に注目したい。
(ルポライター高木和郎)
『週刊新社会』(2010/7/13)
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