★ 9月4日(水)15:00 最高裁大法廷 婚外子相続裁判判決
《婚外子相続裁判》
◆ 最高裁で違憲勝ち取り 差別撤廃への一歩を
7月10日、最高裁大法廷は、婚外子の相続分を争う二つの裁判で、当事者双方から意見を聞く弁論を開いた。日本の民法は「嫡出(ちゃくしゅつ)でない子の相続分を嫡出子の2分の1」と定めている(民法900条4号但書前段の規定、以下本規定という)。1995年、最高裁大法廷は、これを合憲と判断した。
今回の二つの裁判は、今年2月に、5人の裁判官で審理する小法廷から、最高裁判事15人全員で審理する大法廷に回された。新たに憲法判断がなされる時や過去の最高裁判例を変更する時には、必ず大法廷で審理されることになっており、95年の合憲判例が見直される可能性がある。5月にも別の1件が大法廷に回され、今秋にもまとめて決定が出される見通しだ。
◆ 先進国にはない婚外子差別
本規定は、19世紀末に日本に民法典ができた時に定められ、今でもそのまま残されている。政府は本規定が、日本国憲法にも、また出生による差別を禁止した子どもの権利条約などの国際人権諸条約にも違反していないとしている。
「わが国は法律婚主義で、法律婚夫婦と未成年の子を家族の基礎単位にしている。本規定は、法律婚家族を保護するとともに、嫡出でない子にも2分の1を相続させることで、法律婚の尊重と嫡出でない子の権利の調整を図ったもので、不合理な差別ではない」というのが、今日もなお政府の見解である。
「半分もらえるだけありがたいと思え」とでも言うのだろうか。そもそも前提となる事実認識が違っている。
法律婚主義とは、法律で婚姻要件を定めていることである。日本に限らず国連加盟国すべてがそうであり、婚外子差別を正当化する理由にはならない。
また国際家族年宣言では、家族について、ただ一つのモデルを求めるようなことを禁じている。日本政府の家族に対する見解は、宣言がやってはならないとしていることを、その通りにやっていることになる。
本規定が作られた当時、欧米では婚外子に一切相続を認めないとする国も多かった。しかし20世紀後半になって、人権の観点から、婚外子差別の撤廃は急速に進んだ。今日では、相続を同じにするだけではない。法律上、婚外子と婚内子の区別自体をなくす、というのが国際標準になりつつある。
相続差別などは、国連加盟国全体でもごくわずかである。近い将来、日本は婚外子を差別する唯一の国になりかねない勢いなのだ。
日本の婚外子問題が、国際機関で初めて集中して議論されたのは93年、自由権規約(市民的および政治的権利に関する国際規約)に基づく、第3回日本政府報告書の審査だった。
人権関係の国際条約では、条約に加盟した国は、条約ごとの委員会に定期的に報告書を提出することになる。その報告書に基づいて、人権状況の改善のために、委員会と政府で議論が行われる。
委員は、NGOや国際機関等の出す報告書にも目を通す。92年、日本の審査が近いと聞き、会の前身である『住民票続柄裁判交流会』で報告書を作り、ジュネーブの国連ヨーロッパ本部に出かけて、委員一人ひとりに手渡した。
「こんな差別がまだあったのか。日本は先進国ではなかったのか」とほとんどの委員が驚きを隠せない様子だった。翌年、追加報告書を出し、直前には「日本政府への質問内容の提案」を作って委員に配付した。
審査本番では、婚外子差別の問題に一番多くの時間が割かれた。出席した委員全員がこの問題に触れ、日本政府の見解への批判意見を述べた。自国の審議には加わらないという慣例で、日本の委員だけは発言しなかったが、後日、国内での講演で婚外子差別に触れ、条約違反を指摘している。
審査後に出された委員会の総括所見では、出生届、戸籍、相続に関して、条約違反を指摘した上で、法制度の改正、すべての差別的な法規と慣行の廃止を勧告した。以後、審査のたびに勧告が出されることになる。
子どもの権利条約、女性差別撤廃条約、社会権規約(経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約)でも、審査のたびに勧告が出されるのに、政府はどの条約にも違反していないとの見解を変えない。
◆ なぜこの問題にかかわったか
私とパートナーは共同生活を始める時、婚姻届は出さないことにした。関係が良好なら、届には何の意味もない。そして、届を出そうと出すまいと、関係が破綻する時は破綻する。永い人生の一瞬を捕らえて、二人の関係を国に登録したとしても、国が将来の二人の関係を保証してくれるわけではない。婚姻届とは、関係が破綻した時に、法律上の夫婦であることを強制する以外、何の意味があるだろうか。
ましてや、夫婦同姓が強制され、どちらかの姓を捨てなければならないとなれば、なおさらである。
ところが、皆がそう考えて届を出さないと権力者は困るらしく、法律上の配偶者のように相続権がないとか、税制度とか、いろいろ不利益を設けて婚姻制度に追い込もうとする仕掛けがしてある。
その程度のことは、何とか我慢できないことはない。しかし、婚外子差別によって、子どもを人質にとる悪辣な手段だけは、何としても許せない。
子どもが生まれると、住民票の続柄記載に異議を申し立てて市と交渉し、裁判にまでなった。20年ほど前に本誌に連載させてもらったのは、この頃だろうか。
裁判は敗訴となったが、高裁判決ではプライバシー侵害が指摘された。
直前の95年3月、自治省通達によって、婚内子・婚外子・養子・実子の区別なく、職権ですべて「子」に記載が統一された。
戸籍の続柄も訴え、やはり敗訴となったが、地裁でプライバシー侵害が指摘され、04年11月、法務省は「長男・長女」式の記載に変更した。
従前の戸籍は本人の申し出がなければそのままとなるなど、差別解消にはほど遠い内容だが、続柄表示だけで一目瞭然ということは、避けようとすれば避けられるようにはなった。
◆ 今度こそ違憲決定を勝ち取ろう
その他にも、さまざまな人達の闘いにより、少しずつ是正は進んだ。
婚外子が父に認知されると、児童扶養手当が打ち切られていたが、02年最高裁判決で、認知後も支給対象になった。
父日本国籍・母外国籍の婚外子は、胎児のうちに認知されないと日本国籍が認められなかったが、08年6月、最高裁は国籍法の規定を違憲とした。
本規定についても、高裁段階では複数の違憲判断が出ている。
95年の大法廷合憲決定後も、訴訟が絶えなかったのは、婚外子にとって、本件規定がいかに理不尽で、受け入れ難いものかを物語っている。
裁判の当事者たちも、法廷の陳述や記者会見でその思いを語っていた。「生まれる前の親の行為によって、あなたの取り分は半分です」と言われて、誰が納得するだろうか。
今度こそ、相続差別違憲を勝ち取り、婚外子差別撤廃の大きな一歩を踏み出したい。
憲法改悪に進もうとする極右の安倍政権下で、古い家族観を強制し、自助努力と家族相互扶助よって、福祉が切り捨てられようとしている。
そのためには、人々が法律婚の枠に収まって、行政が家族関係を把握できることは、極めて都合がよい。
自民党が頑強に民法改正に抵抗する大きな理由の一つが、ここにもあるのかもしれない。
だからこそ、本規定の違憲判断を勝ち取り、多様な生き方を認めさせることは、人権の確立のためにも、極めて重要なことである。
『労働情報869・70号』
《婚外子相続裁判》
◆ 最高裁で違憲勝ち取り 差別撤廃への一歩を
福喜多 昇(なくそう戸籍と婚外子差別・交流会)
7月10日、最高裁大法廷は、婚外子の相続分を争う二つの裁判で、当事者双方から意見を聞く弁論を開いた。日本の民法は「嫡出(ちゃくしゅつ)でない子の相続分を嫡出子の2分の1」と定めている(民法900条4号但書前段の規定、以下本規定という)。1995年、最高裁大法廷は、これを合憲と判断した。
今回の二つの裁判は、今年2月に、5人の裁判官で審理する小法廷から、最高裁判事15人全員で審理する大法廷に回された。新たに憲法判断がなされる時や過去の最高裁判例を変更する時には、必ず大法廷で審理されることになっており、95年の合憲判例が見直される可能性がある。5月にも別の1件が大法廷に回され、今秋にもまとめて決定が出される見通しだ。
◆ 先進国にはない婚外子差別
本規定は、19世紀末に日本に民法典ができた時に定められ、今でもそのまま残されている。政府は本規定が、日本国憲法にも、また出生による差別を禁止した子どもの権利条約などの国際人権諸条約にも違反していないとしている。
「わが国は法律婚主義で、法律婚夫婦と未成年の子を家族の基礎単位にしている。本規定は、法律婚家族を保護するとともに、嫡出でない子にも2分の1を相続させることで、法律婚の尊重と嫡出でない子の権利の調整を図ったもので、不合理な差別ではない」というのが、今日もなお政府の見解である。
「半分もらえるだけありがたいと思え」とでも言うのだろうか。そもそも前提となる事実認識が違っている。
法律婚主義とは、法律で婚姻要件を定めていることである。日本に限らず国連加盟国すべてがそうであり、婚外子差別を正当化する理由にはならない。
また国際家族年宣言では、家族について、ただ一つのモデルを求めるようなことを禁じている。日本政府の家族に対する見解は、宣言がやってはならないとしていることを、その通りにやっていることになる。
本規定が作られた当時、欧米では婚外子に一切相続を認めないとする国も多かった。しかし20世紀後半になって、人権の観点から、婚外子差別の撤廃は急速に進んだ。今日では、相続を同じにするだけではない。法律上、婚外子と婚内子の区別自体をなくす、というのが国際標準になりつつある。
相続差別などは、国連加盟国全体でもごくわずかである。近い将来、日本は婚外子を差別する唯一の国になりかねない勢いなのだ。
日本の婚外子問題が、国際機関で初めて集中して議論されたのは93年、自由権規約(市民的および政治的権利に関する国際規約)に基づく、第3回日本政府報告書の審査だった。
人権関係の国際条約では、条約に加盟した国は、条約ごとの委員会に定期的に報告書を提出することになる。その報告書に基づいて、人権状況の改善のために、委員会と政府で議論が行われる。
委員は、NGOや国際機関等の出す報告書にも目を通す。92年、日本の審査が近いと聞き、会の前身である『住民票続柄裁判交流会』で報告書を作り、ジュネーブの国連ヨーロッパ本部に出かけて、委員一人ひとりに手渡した。
「こんな差別がまだあったのか。日本は先進国ではなかったのか」とほとんどの委員が驚きを隠せない様子だった。翌年、追加報告書を出し、直前には「日本政府への質問内容の提案」を作って委員に配付した。
審査本番では、婚外子差別の問題に一番多くの時間が割かれた。出席した委員全員がこの問題に触れ、日本政府の見解への批判意見を述べた。自国の審議には加わらないという慣例で、日本の委員だけは発言しなかったが、後日、国内での講演で婚外子差別に触れ、条約違反を指摘している。
審査後に出された委員会の総括所見では、出生届、戸籍、相続に関して、条約違反を指摘した上で、法制度の改正、すべての差別的な法規と慣行の廃止を勧告した。以後、審査のたびに勧告が出されることになる。
子どもの権利条約、女性差別撤廃条約、社会権規約(経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約)でも、審査のたびに勧告が出されるのに、政府はどの条約にも違反していないとの見解を変えない。
◆ なぜこの問題にかかわったか
私とパートナーは共同生活を始める時、婚姻届は出さないことにした。関係が良好なら、届には何の意味もない。そして、届を出そうと出すまいと、関係が破綻する時は破綻する。永い人生の一瞬を捕らえて、二人の関係を国に登録したとしても、国が将来の二人の関係を保証してくれるわけではない。婚姻届とは、関係が破綻した時に、法律上の夫婦であることを強制する以外、何の意味があるだろうか。
ましてや、夫婦同姓が強制され、どちらかの姓を捨てなければならないとなれば、なおさらである。
ところが、皆がそう考えて届を出さないと権力者は困るらしく、法律上の配偶者のように相続権がないとか、税制度とか、いろいろ不利益を設けて婚姻制度に追い込もうとする仕掛けがしてある。
その程度のことは、何とか我慢できないことはない。しかし、婚外子差別によって、子どもを人質にとる悪辣な手段だけは、何としても許せない。
子どもが生まれると、住民票の続柄記載に異議を申し立てて市と交渉し、裁判にまでなった。20年ほど前に本誌に連載させてもらったのは、この頃だろうか。
裁判は敗訴となったが、高裁判決ではプライバシー侵害が指摘された。
直前の95年3月、自治省通達によって、婚内子・婚外子・養子・実子の区別なく、職権ですべて「子」に記載が統一された。
戸籍の続柄も訴え、やはり敗訴となったが、地裁でプライバシー侵害が指摘され、04年11月、法務省は「長男・長女」式の記載に変更した。
従前の戸籍は本人の申し出がなければそのままとなるなど、差別解消にはほど遠い内容だが、続柄表示だけで一目瞭然ということは、避けようとすれば避けられるようにはなった。
◆ 今度こそ違憲決定を勝ち取ろう
その他にも、さまざまな人達の闘いにより、少しずつ是正は進んだ。
婚外子が父に認知されると、児童扶養手当が打ち切られていたが、02年最高裁判決で、認知後も支給対象になった。
父日本国籍・母外国籍の婚外子は、胎児のうちに認知されないと日本国籍が認められなかったが、08年6月、最高裁は国籍法の規定を違憲とした。
本規定についても、高裁段階では複数の違憲判断が出ている。
95年の大法廷合憲決定後も、訴訟が絶えなかったのは、婚外子にとって、本件規定がいかに理不尽で、受け入れ難いものかを物語っている。
裁判の当事者たちも、法廷の陳述や記者会見でその思いを語っていた。「生まれる前の親の行為によって、あなたの取り分は半分です」と言われて、誰が納得するだろうか。
今度こそ、相続差別違憲を勝ち取り、婚外子差別撤廃の大きな一歩を踏み出したい。
憲法改悪に進もうとする極右の安倍政権下で、古い家族観を強制し、自助努力と家族相互扶助よって、福祉が切り捨てられようとしている。
そのためには、人々が法律婚の枠に収まって、行政が家族関係を把握できることは、極めて都合がよい。
自民党が頑強に民法改正に抵抗する大きな理由の一つが、ここにもあるのかもしれない。
だからこそ、本規定の違憲判断を勝ち取り、多様な生き方を認めさせることは、人権の確立のためにも、極めて重要なことである。
『労働情報869・70号』
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます