◆ 朝鮮学校に見る「愛と信頼」の教育
差別と偏見の呪縛から解放すべき (週刊新社会)
2018年6月26日、東京高等裁判所で開かれた「高校無償化」をめぐる控訴審第二回口頭弁論が結審となり、判決日は10月30日に決まった。
東京朝鮮中高級学校の生徒が原告となって起こした国家賠償請求訴訟は、大きな節目を迎える。
「高校無償化」朝鮮学校即時適用を求めて、日本にある朝鮮高級学校10校の生徒たちは街頭に立ってマイクを握り、暑名活動を行つてきた。学業や部活動に専念すべき貴重な時間を割いて、時には「朝鮮に帰れ!」という心無い罵声を浴びせられながらも、必死で8年間頑張ってきた。
朝鮮学校の先生たちが滞る給料を度外視しても子どもたちのために懸命に頑張ってきた。
朝鮮学校に子どもを通わせているオモニやアボジの想いと苦労を、私は知っている。
政治外交上の理由で子どもたちの教育を受ける権利を侵すことは、断じて許されることではない。
「拉致問題に進展がない。朝鮮総連とのかかわりを否定できない」などという理由で、無償化適用を判断することは、絶対に間違っている。
私は昨年6月20日から12月22日まで、日本にあるすべての朝鮮学校67校を訪問した。
授業を参観し、子どもたちと話し合い、先生方やオモニ、アボジと交流してきた。朝鮮学校で民族教育がどのように行われているかを見てきた。
その経験から自信をもつて言えることは、朝鮮学校には、かつての日本の学校に存在した教育の原点である「愛と信頼」が見事に残っていることだ。
「一人はみんなのために。みんなは一人のために」という教育理念が、どこの朝鮮学校にも根付いている。
朝鮮学校は在日の皆さんの心のふるさとであり、在日社会を結ぶコミュニティの拠点なのだ。
もうこれ以上、差別と偏見の呪縛にとらわれず、朝鮮学校を解放すべきである。
無償化問題は、教育的観点に立って適用を判断しよう。
政権のご意向に司法がゆがめられてはならない。司法の良識を示すのは、今である!
◆ 信用されない安倍の朝鮮政策
朝鮮半島をめぐる情勢は、今年に入って想像を絶する勢いで変わりつつある。
朝鮮民主主義人民共和国の韓国平昌オリンピックへの参加をきっかけに、「戦争から平和へ」「軍事対立から話し合いへ」大きく舵を切った。
4月27日に韓国の文在寅大統領と共和国の金正恩国務委員長が板門店で南北首脳会談を行い、世界各国から大きな称賛を浴びた。
それに引き続いて6月12日には、ドナルド・トランプ米国大統領と共和国の金正恩国務委員長の米朝会談がシンガポールで開催され、朝鮮戦争の停戦状態から平和協定締結に向かつて着実に歩み始めた。
こうした世界の動向に背を向け、「制裁と圧力」しか言ってこなかった安倍政権は醜態をさらしている。
2002年9月17日に発出された平壌宣言以降、安倍晋三という政治家は拉致問題を政治利用して首相にまで上り詰めた。
北朝鮮脅威論を煽り、日本の軍事大国化に利用してきた。
米朝首脳会談まで進んでしまった急展開で、トランプ大統領に「拉致問題を取り上げてほしい」と懇願するしかなかったのだ。
「人の褌で相撲を取る」という言葉があるが、トランプ大統領に「金正恩委員長に話は通してあるので、あとは自分でおやりなさい」と言われて、これまで共和国と向き合うことをしてこなかった安倍首相は、「日本外交の最優先課題は日朝会談」と言わざるを得ないところまで追いつめられている。
つい先日、修学旅行で祖国を訪問して関西空港に降り立った神戸朝鮮高級学校の子どもたちから、お土産を没収する事件が起こった。楽しかった修学旅行の思い出は、一瞬のうちに打ち砕かれた。
税関の職員は、子どもたちの手荷物をあけさせ、お土産品を無慈悲に没収したのである。
制裁強化の名のもとに、朝鮮学校の子どもたちの人権が蹂躙されたのだ。
片方の手で子どもたちをいじめておいて、もう片方の手で握手を求めても絶対に信用されないのは明らかである。
最後に一つのエピソードを紹介したい。
6月15日から18日まで3泊4日の日程で、韓国の市民団体「ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会」の代表団24人が来日した。
初日は金曜日、文部科学省要請を参議院議員会館で行った後、文部科学省前で毎週行われている「金曜行動」にも参加してもらった。
それに先立って、6月15日の文科省要請と6月26日の第二回口頭弁論報告会の案内状をもって、国会議員回りを行った時のことである。
これまで何度か「高校無償化」問題で議員回りをしてきた経験がある。
自民党の議員をアポイントなしに訪問すると、必ずといってよいほど途中で警備員が集団で飛んできて退去させられた経験がある。
今回は情勢が情勢だけに、自民党を含めた日朝議連が再開されたことを聞いたので、自民党の議連役員のところも訪問した。
対応した議員秘書の方々は一様に「ご苦労様。わざわざお知らせくださって、ありがとうございました」という対応だった。
遅ればせだが、少し風向きが変わってきたことを感じるひとコマであった。
『週刊新社会』(2018年7月17日)
差別と偏見の呪縛から解放すべき (週刊新社会)
「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会 長谷川和男
2018年6月26日、東京高等裁判所で開かれた「高校無償化」をめぐる控訴審第二回口頭弁論が結審となり、判決日は10月30日に決まった。
東京朝鮮中高級学校の生徒が原告となって起こした国家賠償請求訴訟は、大きな節目を迎える。
「高校無償化」朝鮮学校即時適用を求めて、日本にある朝鮮高級学校10校の生徒たちは街頭に立ってマイクを握り、暑名活動を行つてきた。学業や部活動に専念すべき貴重な時間を割いて、時には「朝鮮に帰れ!」という心無い罵声を浴びせられながらも、必死で8年間頑張ってきた。
朝鮮学校の先生たちが滞る給料を度外視しても子どもたちのために懸命に頑張ってきた。
朝鮮学校に子どもを通わせているオモニやアボジの想いと苦労を、私は知っている。
政治外交上の理由で子どもたちの教育を受ける権利を侵すことは、断じて許されることではない。
「拉致問題に進展がない。朝鮮総連とのかかわりを否定できない」などという理由で、無償化適用を判断することは、絶対に間違っている。
私は昨年6月20日から12月22日まで、日本にあるすべての朝鮮学校67校を訪問した。
授業を参観し、子どもたちと話し合い、先生方やオモニ、アボジと交流してきた。朝鮮学校で民族教育がどのように行われているかを見てきた。
その経験から自信をもつて言えることは、朝鮮学校には、かつての日本の学校に存在した教育の原点である「愛と信頼」が見事に残っていることだ。
「一人はみんなのために。みんなは一人のために」という教育理念が、どこの朝鮮学校にも根付いている。
朝鮮学校は在日の皆さんの心のふるさとであり、在日社会を結ぶコミュニティの拠点なのだ。
もうこれ以上、差別と偏見の呪縛にとらわれず、朝鮮学校を解放すべきである。
無償化問題は、教育的観点に立って適用を判断しよう。
政権のご意向に司法がゆがめられてはならない。司法の良識を示すのは、今である!
◆ 信用されない安倍の朝鮮政策
朝鮮半島をめぐる情勢は、今年に入って想像を絶する勢いで変わりつつある。
朝鮮民主主義人民共和国の韓国平昌オリンピックへの参加をきっかけに、「戦争から平和へ」「軍事対立から話し合いへ」大きく舵を切った。
4月27日に韓国の文在寅大統領と共和国の金正恩国務委員長が板門店で南北首脳会談を行い、世界各国から大きな称賛を浴びた。
それに引き続いて6月12日には、ドナルド・トランプ米国大統領と共和国の金正恩国務委員長の米朝会談がシンガポールで開催され、朝鮮戦争の停戦状態から平和協定締結に向かつて着実に歩み始めた。
こうした世界の動向に背を向け、「制裁と圧力」しか言ってこなかった安倍政権は醜態をさらしている。
2002年9月17日に発出された平壌宣言以降、安倍晋三という政治家は拉致問題を政治利用して首相にまで上り詰めた。
北朝鮮脅威論を煽り、日本の軍事大国化に利用してきた。
米朝首脳会談まで進んでしまった急展開で、トランプ大統領に「拉致問題を取り上げてほしい」と懇願するしかなかったのだ。
「人の褌で相撲を取る」という言葉があるが、トランプ大統領に「金正恩委員長に話は通してあるので、あとは自分でおやりなさい」と言われて、これまで共和国と向き合うことをしてこなかった安倍首相は、「日本外交の最優先課題は日朝会談」と言わざるを得ないところまで追いつめられている。
つい先日、修学旅行で祖国を訪問して関西空港に降り立った神戸朝鮮高級学校の子どもたちから、お土産を没収する事件が起こった。楽しかった修学旅行の思い出は、一瞬のうちに打ち砕かれた。
税関の職員は、子どもたちの手荷物をあけさせ、お土産品を無慈悲に没収したのである。
制裁強化の名のもとに、朝鮮学校の子どもたちの人権が蹂躙されたのだ。
片方の手で子どもたちをいじめておいて、もう片方の手で握手を求めても絶対に信用されないのは明らかである。
最後に一つのエピソードを紹介したい。
6月15日から18日まで3泊4日の日程で、韓国の市民団体「ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会」の代表団24人が来日した。
初日は金曜日、文部科学省要請を参議院議員会館で行った後、文部科学省前で毎週行われている「金曜行動」にも参加してもらった。
それに先立って、6月15日の文科省要請と6月26日の第二回口頭弁論報告会の案内状をもって、国会議員回りを行った時のことである。
これまで何度か「高校無償化」問題で議員回りをしてきた経験がある。
自民党の議員をアポイントなしに訪問すると、必ずといってよいほど途中で警備員が集団で飛んできて退去させられた経験がある。
今回は情勢が情勢だけに、自民党を含めた日朝議連が再開されたことを聞いたので、自民党の議連役員のところも訪問した。
対応した議員秘書の方々は一様に「ご苦労様。わざわざお知らせくださって、ありがとうございました」という対応だった。
遅ればせだが、少し風向きが変わってきたことを感じるひとコマであった。
『週刊新社会』(2018年7月17日)
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