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★ 先生と呼ばれるほどの・・・
:T.T.0626(ひょうたん島研究会)
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今は昔、ぼくがまだ子どもだった頃、年の離れた父親に、いくつかの諺を教えてもらった。その中の一つに、「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」というのがあった。この諺を思い出した経緯は、以下のとおりである。
今年2024年の3月14日(木)の朝日「声」欄に、「自分を『先生』と呼ぶのやめよう」という投書が載った。筆者は63歳の元中学校教員の方で、投書の冒頭には、「テレビで教師役の俳優が『先生は・・・』と生徒に語り出した」とある。
たしかにぼくも、テレビドラマや映画の中で、自分のことを「先生はね・・・」と言う教員役の俳優を見たことはある。でもなあ・・・。
ぼくも一応千葉の県立高校で43年間働いたけど、生徒たちに向かって「先生はね」と話しかけた記憶は一度もない。ぼくの自称は「ひらがなのぼく」なので、「ぼくはこう思うけど」みたいな言い方をすることになる。
まあぼくは高校の教員だったので、話す相手は高校生、「子ども」と言うより「青年」なので、まあ、少しでも「対等に近い関係にしたい」という期待の表れだったのかもしれない。
ここまでは「自称」の話であった。以下、「他称」に話をずらす。
この投書でも触れられているが、学校業界には互いを「~先生」と呼び合う習慣があった。ぼくはあれが嫌でね~、教員になって1年も経たないうちに、他の先生を呼ぶ時はほとんど「~さん」で通すことになった。それ以降、気持ち的には、かなり楽になった。
互いに「~先生」と呼び合う業界と言えば、学校イガイでは「政治家業界」と「弁護士業界」が双璧だと思う。この二つの業界も「~先生」と呼び合うのをやめればいいと思うのだが?
自民党や企業側の人間に期待することは何もないけど、民主的党派や人権派弁護士には、けっこう期待しているぼくです。
他称バージョンの諺「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」を、自称バージョンに改竄してみました。
「先生と自称するほど野暮でなし」
・・・「馬鹿」では言葉がキツ過ぎるので、穏やかな「野暮」にしてみました、(24/04/20早朝)
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