◆ 「君が代」不起立教員の処分問題
国際機関の是正勧告後、初の提訴へ (『東京新聞』【こちら特報部】)
東京都内の公立学校の卒業式などで教職員に強制される「君が代」の起立斉唱に不服従を貫き、懲戒処分を受けた現職教員ら十数人が処分取り消しを求め、三月末にも「東京『君が代』裁判」の第五次訴訟を起こす。思想・良心からどうしても立つことができない人たちで、中には十回も処分されたケースもある。
過去の裁判では基本的に強制が容認されてきたが、二〇一九年に国際機関が「教員の権利を侵害している」と勧告。その後、初の提訴となるだけに、くさびを打ち込めるか注目が集まる。(石井紀代美)
◆ 最高裁が「減給」取り消したら
子どもたちが帰った教室で一人、机やロッカーにスプレーを吹き付ける。昨年十二月二十五日、二学期の終業式を終えた都立特別支援学校教諭の田中聡史さん(52)は、コロナ禍で日課となった消毒作業に追われていた。
「子どもたちに事故もなく、無事に終えることができた」。ほっと胸をなで下ろしていた時、突然副校長が現れ「校長室へ来てほしい」と呼び出された。
校長室には、校長のほか、黒っぽい背広を着た見知らぬ男性が二人。名乗りもせずに「田中先生ですね」と確認した後、「ただ今より、処分を発令します」と宣言した。二人は都教委の職員だった。
田中さんは二〇一三年の卒業式と入学式で「君が代」斉唱の際、立って歌うことを求める職務命令に従わなかった。約四十秒間、ただ黙って座っていただけ。
その行為に対し都教委は「命令に背いて公務員の信用を傷つけた」とし、いずれも減給一カ月の懲戒処分を下した。一四年三月、不当と感じた田中さんは集団訴訟「東京『君が代』裁判」四次訴訟の原告に加わり、処分の取り消しを求めて提訴する。
一九年三月の最高裁決定は「減給は重すぎる」として都教委の裁量権逸脱乱用を認め、処分が取り消された。
懲戒処分は、重い順から免職、停職、減給、戒告と並ぷ。最高裁の取り消しから一年九カ月もたったこの日、減給の代わりに戒告の再処分をしに来たのが、黒背広の二人だった。
◆ 「黒いサンタ」が通知書持参
「田中先生はサンタさんにどんなプレゼントをお願いしたの」と数日前、担任する小学二年の児童から尋ねられたばかり。「大人にはサンタが来ないんだ」と答えていたが、「別のサンタが現れた」と思った。
ドイツでは「悪い子」を懲らしめる「黒いサンタ」が来るとの言い伝えがある。
「命令に従わない不信心者には、あくまでも懲戒処分をお見舞いしてやるといわんぼかりの『黒いサンタ』だった」
田中さんが不起立で初めて処分を受けたのは、一一年四月の入学式。そこから一六年三月の卒薬式まで、連続十回不起立で処分された。
「私にとっで『日の丸・君が代』は、かつての軍国主義日本の侵略戦争と植民地支配のシンボル」と感じている。戦時中、日本軍は「日の丸」を掲げてアジアを侵略し、植民地支配先の国民にも「君が代」を歌わせ、「日の丸」に敬意を払わせた。「自分の思想・良心に照らし、起立斉唱をして敬意を表することはできません」
起立斉唱命令に従わない教職員を懲戒処分にする。都教委がその方針を明確に打ち出したのは、〇三年十月二十三日に発出された通称「10・23通達」からだ。
田中さんは父親から「軽率な判断で不起立することは避けなさい」と言われたこともあるが、信念は曲げられなかった。
「自分の思想や歴史観をごまかした偽りの姿を子どもたちに見せられない。教育者として、どうしてもできないんです」
◆ 都教委「戒告」で再処分
田中さんの減給処分が裁判で取り消されたからといって、八年近く前の不起立を戒告することに一体どんな意味があるのか。
都教育庁職員課の石川大輔教職員服務担当課長は「職務命令違反があったことは事実。重すぎて取り消されたのであれば、それより軽い戒告処分を発令し直すという考え方です」と説明する。
かなり機械的な論理だが、コロナ禍で行われた昨年三月の卒業式で全都立学校二百五十三校(当時)に起立斉唱を実施させた、都教委らしい発想だ。
田中さんは、再処分された戒告や、一四年以降の不起立で受けた計五回の減給に納得がいかない。同じく処分された教員十数人と一緒に、取り消しを求める「五次訴訟」を準備中。
「裁量権の逸脱乱用はやってはいけないことなのに、謝罪すらない。もう少し、人間の顔をした教育行政であってほしい」と憤る。
石川課長は「訴状が届き次第、内容を確認して適切に対応する」と話している。
懲戒処分を受けた教職員関係者でつくる「被処分者の会」によると、「10・23通達」に基づく処分者は延べ四百八十人以上で、これまでいくつもの訴訟が行われてきた。
起立斉唱の職務命令について、憲法で保障される「思想・良心の自由」を侵害するなどと訴えたものの、違憲と認めた最高裁判決はない。懲戒処分についても、「減給以上はやり過ぎ」としつつ、戒告は是認してきた。
都教委はそれをいいことに、同通達に基づく強制を続けている。
◆ 過去には「違憲」判決も 「少数者の自由侵害」「懲戒処分重すぎる」
ただ、過去の裁判を振り返れば、決して「容認一色」ではなかった。真正面から「違憲」を唱えたケースがある。
約四百人の教職員が原告となり、起立斉唱命令に従う義務がないことを確認するために起こした、通称「予防訴訟」の東京地裁判決(〇六年九月)だ。
人間の精神的活動は、外部に表れる行為と密接な関係にあることを確認しつつ、起立斉唱したくない教職員に懲戒処分をしてまでそれを行わせるのは「少数者の思想良心の自由を侵害し、行きすぎた措置」と断じた。違憲で無効だから、従う義務もないという判断だった。
また、懲戒処分そのものにノーを突き付けた判決もあった。「一次訴訟」の高裁判決(一一年三月)だ。
不起立は破廉恥行為でも犯罪行為でもなく、式典を混乱させるわけでもない。生徒に正しい教育を行いたいという真摯(しんし)な動機から来る行為であるとし、「懲戒処分を科すことは重きに失する」と判示。戒告すらしてはいけないと、都教委をたしなめた。
いずれも上級審でひっくり返され、それを追認する判例が積み重なり、多くの人に忘れられた判決ではある。
◆ 今や「国際スタンダード」に
しかし、国際的な常識に照らせば、今やこれらの判決の方がスタンダードと言える。
国際労働機関(ILO)と国連教育科学文化機関(ユネスコ)は一九年、都教委の起立斉唱命令について「教員個人の価値観や意見を侵害している」との見解を示し、強制や懲戒処分を回避するよう勧告を出した。
だが、文部科学省も当の都教委も、この勧告を無視し続けている。
都教委はコロナの飛沫(ひまつ)感染を防ぐため、今年三月の卒業式では「君が代」を声に出して歌わないことにしたが、起立命令は出す方針だ。
「五次訴訟」原告弁護団事務局長の平松真二郎弁護士は「この勧告に従わなければいけないという法的な拘束力はないが、都教委のやり方が、国際標準から外れていることが明確になった。無理やり、教員全員を立たせなくても学校側の目的は果たせているし、懲戒までする必要はない。こんな状況でいいのか、裁判ではきちんと問うていきたい」と話す。
※ デスクメモ
昨年十二月二十五日と…いえば、東京都のコロナ新規感染者は八百人を上回り、医療機関の危機感も高まっていたころ。各地の学校の先生は、一斉休校や感染対策に忙殺された一年をやっと終えようとしていた。「黒いサンタ」は、子どもたちのために他にすべきことはなかったのか。(本)
『東京新聞』(2021年2月22日【こちら特報部】)
国際機関の是正勧告後、初の提訴へ (『東京新聞』【こちら特報部】)
東京都内の公立学校の卒業式などで教職員に強制される「君が代」の起立斉唱に不服従を貫き、懲戒処分を受けた現職教員ら十数人が処分取り消しを求め、三月末にも「東京『君が代』裁判」の第五次訴訟を起こす。思想・良心からどうしても立つことができない人たちで、中には十回も処分されたケースもある。
過去の裁判では基本的に強制が容認されてきたが、二〇一九年に国際機関が「教員の権利を侵害している」と勧告。その後、初の提訴となるだけに、くさびを打ち込めるか注目が集まる。(石井紀代美)
◆ 最高裁が「減給」取り消したら
子どもたちが帰った教室で一人、机やロッカーにスプレーを吹き付ける。昨年十二月二十五日、二学期の終業式を終えた都立特別支援学校教諭の田中聡史さん(52)は、コロナ禍で日課となった消毒作業に追われていた。
「子どもたちに事故もなく、無事に終えることができた」。ほっと胸をなで下ろしていた時、突然副校長が現れ「校長室へ来てほしい」と呼び出された。
校長室には、校長のほか、黒っぽい背広を着た見知らぬ男性が二人。名乗りもせずに「田中先生ですね」と確認した後、「ただ今より、処分を発令します」と宣言した。二人は都教委の職員だった。
田中さんは二〇一三年の卒業式と入学式で「君が代」斉唱の際、立って歌うことを求める職務命令に従わなかった。約四十秒間、ただ黙って座っていただけ。
その行為に対し都教委は「命令に背いて公務員の信用を傷つけた」とし、いずれも減給一カ月の懲戒処分を下した。一四年三月、不当と感じた田中さんは集団訴訟「東京『君が代』裁判」四次訴訟の原告に加わり、処分の取り消しを求めて提訴する。
一九年三月の最高裁決定は「減給は重すぎる」として都教委の裁量権逸脱乱用を認め、処分が取り消された。
懲戒処分は、重い順から免職、停職、減給、戒告と並ぷ。最高裁の取り消しから一年九カ月もたったこの日、減給の代わりに戒告の再処分をしに来たのが、黒背広の二人だった。
◆ 「黒いサンタ」が通知書持参
「田中先生はサンタさんにどんなプレゼントをお願いしたの」と数日前、担任する小学二年の児童から尋ねられたばかり。「大人にはサンタが来ないんだ」と答えていたが、「別のサンタが現れた」と思った。
ドイツでは「悪い子」を懲らしめる「黒いサンタ」が来るとの言い伝えがある。
「命令に従わない不信心者には、あくまでも懲戒処分をお見舞いしてやるといわんぼかりの『黒いサンタ』だった」
田中さんが不起立で初めて処分を受けたのは、一一年四月の入学式。そこから一六年三月の卒薬式まで、連続十回不起立で処分された。
「私にとっで『日の丸・君が代』は、かつての軍国主義日本の侵略戦争と植民地支配のシンボル」と感じている。戦時中、日本軍は「日の丸」を掲げてアジアを侵略し、植民地支配先の国民にも「君が代」を歌わせ、「日の丸」に敬意を払わせた。「自分の思想・良心に照らし、起立斉唱をして敬意を表することはできません」
起立斉唱命令に従わない教職員を懲戒処分にする。都教委がその方針を明確に打ち出したのは、〇三年十月二十三日に発出された通称「10・23通達」からだ。
田中さんは父親から「軽率な判断で不起立することは避けなさい」と言われたこともあるが、信念は曲げられなかった。
「自分の思想や歴史観をごまかした偽りの姿を子どもたちに見せられない。教育者として、どうしてもできないんです」
◆ 都教委「戒告」で再処分
田中さんの減給処分が裁判で取り消されたからといって、八年近く前の不起立を戒告することに一体どんな意味があるのか。
都教育庁職員課の石川大輔教職員服務担当課長は「職務命令違反があったことは事実。重すぎて取り消されたのであれば、それより軽い戒告処分を発令し直すという考え方です」と説明する。
かなり機械的な論理だが、コロナ禍で行われた昨年三月の卒業式で全都立学校二百五十三校(当時)に起立斉唱を実施させた、都教委らしい発想だ。
田中さんは、再処分された戒告や、一四年以降の不起立で受けた計五回の減給に納得がいかない。同じく処分された教員十数人と一緒に、取り消しを求める「五次訴訟」を準備中。
「裁量権の逸脱乱用はやってはいけないことなのに、謝罪すらない。もう少し、人間の顔をした教育行政であってほしい」と憤る。
石川課長は「訴状が届き次第、内容を確認して適切に対応する」と話している。
懲戒処分を受けた教職員関係者でつくる「被処分者の会」によると、「10・23通達」に基づく処分者は延べ四百八十人以上で、これまでいくつもの訴訟が行われてきた。
起立斉唱の職務命令について、憲法で保障される「思想・良心の自由」を侵害するなどと訴えたものの、違憲と認めた最高裁判決はない。懲戒処分についても、「減給以上はやり過ぎ」としつつ、戒告は是認してきた。
都教委はそれをいいことに、同通達に基づく強制を続けている。
◆ 過去には「違憲」判決も 「少数者の自由侵害」「懲戒処分重すぎる」
ただ、過去の裁判を振り返れば、決して「容認一色」ではなかった。真正面から「違憲」を唱えたケースがある。
約四百人の教職員が原告となり、起立斉唱命令に従う義務がないことを確認するために起こした、通称「予防訴訟」の東京地裁判決(〇六年九月)だ。
人間の精神的活動は、外部に表れる行為と密接な関係にあることを確認しつつ、起立斉唱したくない教職員に懲戒処分をしてまでそれを行わせるのは「少数者の思想良心の自由を侵害し、行きすぎた措置」と断じた。違憲で無効だから、従う義務もないという判断だった。
また、懲戒処分そのものにノーを突き付けた判決もあった。「一次訴訟」の高裁判決(一一年三月)だ。
不起立は破廉恥行為でも犯罪行為でもなく、式典を混乱させるわけでもない。生徒に正しい教育を行いたいという真摯(しんし)な動機から来る行為であるとし、「懲戒処分を科すことは重きに失する」と判示。戒告すらしてはいけないと、都教委をたしなめた。
いずれも上級審でひっくり返され、それを追認する判例が積み重なり、多くの人に忘れられた判決ではある。
◆ 今や「国際スタンダード」に
しかし、国際的な常識に照らせば、今やこれらの判決の方がスタンダードと言える。
国際労働機関(ILO)と国連教育科学文化機関(ユネスコ)は一九年、都教委の起立斉唱命令について「教員個人の価値観や意見を侵害している」との見解を示し、強制や懲戒処分を回避するよう勧告を出した。
だが、文部科学省も当の都教委も、この勧告を無視し続けている。
都教委はコロナの飛沫(ひまつ)感染を防ぐため、今年三月の卒業式では「君が代」を声に出して歌わないことにしたが、起立命令は出す方針だ。
「五次訴訟」原告弁護団事務局長の平松真二郎弁護士は「この勧告に従わなければいけないという法的な拘束力はないが、都教委のやり方が、国際標準から外れていることが明確になった。無理やり、教員全員を立たせなくても学校側の目的は果たせているし、懲戒までする必要はない。こんな状況でいいのか、裁判ではきちんと問うていきたい」と話す。
※ デスクメモ
昨年十二月二十五日と…いえば、東京都のコロナ新規感染者は八百人を上回り、医療機関の危機感も高まっていたころ。各地の学校の先生は、一斉休校や感染対策に忙殺された一年をやっと終えようとしていた。「黒いサンタ」は、子どもたちのために他にすべきことはなかったのか。(本)
『東京新聞』(2021年2月22日【こちら特報部】)
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