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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

東京「君が代」裁判第四次訴訟の第1回口頭弁論(6/11)から原告意見陳述(2)

2014年06月21日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ◎ 10.23通達が東京都の教育をどれほど破壊したのか、
   その現実を曇りのない目で見極めて


 原告のKと申します。国語科の教員です。
 私は2004年の4月の入学式での不起立により1回目の処分を受けました。10.23通達が発出された時の目の前が真っ暗になるような絶望感を今でもはっきり覚えています。私が起立できなかったのは、10.23通達が人間の思想信条に係わることを強制するものであり、その強制をほかでもない教育現場で行おうとしているからです。
 私は常々、担当する国語の教員として、或いはHR担任として、人間は一人一人違っており、世の中にはさまざまな意見があるが、自分と違う意見の存在を理解し、互いに認め合うことが大切であるということと、自分の頭で考え自分の言葉で語り、自分が正しいと信じることを勇気を持って言える人になってほしいということを生徒に伝えてきました。
 職務命令に従い、教員全員が「君が代」を斉唱することは、信仰上の理由などで「君が代」を歌えない生徒達にとって強い圧力になります。それは自分の生き方・考え方に反する事であり、自分自身だけでなく生徒をも裏切ることになるのです。
 「君が代」斉唱時に起立してしまったら、私はもう胸を張って生徒の前に立てません。どんなときにも、間違っていることには「間違っている」とはっきり表明する勇気を持たなければならないと、これからもずっと私は生徒に伝えていきたい、一人一人の生徒の気持ちを大切にしていきたいと私は考えていましたから、起立できませんでした。
 また、「歌わない自由」「立たない自由」を奪うことはもっと深刻で重大なことに繋がっていると思います。教員として、人間として「戦争をする道」に繋がる事に荷担してはいけない、未来に責任を持てる行動を取らなければならないと考えた時、私はとうてい起立することはできませんでした。こうした思いは10年たった今も変わっていませんし、むしろ強くなりました。
 10年前に危惧したことが現実のものとなりつつある今、平和憲法が危機に瀕している今、「戦争をする国」に向かおうとするこの大きな流れに繋がる10.23通達に従えないという思いはますます強くなっています。
 2003年の3月に卒業生を出してから2013年に1学年の担任になるまでの10年間私は担任になれませんでした。担任を希望しても、「起立してくれなければ担任にはできない」と校長に言われ続けました。私は定年まで担任にはなれないとほとんどあきらめかけていました。10.23通達による処分を受けた人の中には私と同じようにずっと担任になれないままの人がたくさんいるのです。
 毎年秋に、来年度の人事構想をまとめて都教委に提出するために校長は全教員の面接を行います。2012年の秋の校長面接の際、私は校長から「川村さんには来年度担任をやってもらいたいと思っているが、そのためには卒・入学式の国歌斉唱時に起立することを約束してもらわなければならない。起立できないなら担任にはできない。担任になれないのなら異動してもらうしかない」と言われました。この時私はO高校に異動してまだ3年目でした。強制異動になるまでずっとここで働きたいと思うほど大好きな職場の仲間や生徒達と離れるのが辛くて抑えようとしても涙があふれてとまりませんでした。これまで生活指導部で文化祭の担当をしてきて自分なりに一生懸命仕事をしてきたつもりだったのに、担任になれないというだけで異動させられるなんてあまりにもひどいと思いました。私は「異動したくない」と、校長に訴えました。面接の後、トイレにかけこんでしばらく泣きました。この涙の訴えが功を奏したのか、後日、校長は発言を撤回してくれました。
 2月の校長面接で担任の話がまた出て、入学式での起立について確認されました。「まだどうするのかはわからない。」と私は答えました。きっとまた担任にはなれないと私は思いました。けれど3月の中頃、校長に呼び出され「やはり川村さんに担任になってもらうことにした。」と告げられました。担任団に国語科の教員と女性の教員が必要ということで私以外にはいないのだということでした。苦渋の決断だったと思います。
 それから入学式の日まで私は何度も校長に呼び出され、入学式での起立のことを頼まれました。私は担任にしてもらったことがうれしく、校長を苦しめたくないと思いました。けれど一方で自分の信念を曲げることは自分でなくなることであるとも思いました。入学式の「君が代」斉唱のその時まで私は悩み続けました。
 10年ぶりの式典での「君が代」のメロディーでした。私はやはり立ち続けることは出来ませんでした
 昨年の春に10年ぶりに担任になり、担任の仕事が教員にとっていかに特別なものかを改めて感じました。毎日夜の8時9時まで残って仕事をしなければならないほど忙しいのですが、それでも楽しくて仕方ないのです。こんな充実感ややりがいは、担任以外の仕事ではもてなかったものでした。担任は一番生徒に身近で、生徒の悩みや苦しみ、人間的な成長に間近で立ち会える仕事です。
 私の勤務している学校は、厳しく複雑な家庭環境の生徒、精神的に不安定な生徒が多いのですが、私はそんな生徒達としっかり向き合い、寄り添っていきたいと思っています。これが最後の担任だと思うので、一日一日を大切に自分に出来る精一杯のことをやりたいと思いながら毎日仕事をしています。
 生徒にとっても「担任の先生」は一番身近で特別な存在です。2年生になってクラス替えがありましたが、昨年まで授業で教えていただけの時はいつも不機嫌そうで笑顔一つ見せなかった生徒が、担任になったとたん、まだ何も個人的な接触もしていないにもかかわらず、廊下ですれ違うときに私に「さわちゃん」と声をかけ手を振ってくるようになったのです。その時、私が思っていた以上に、生徒にとって「担任の先生」は特別な存在なんだと感じました。10年間も担任になれなかったことが自分にとっていかに大きな損失だったか思い知らされました。
 10.23通達発出から10年の月日が経ち、東京都の教育現場は別世界になってしまいました。
 民主的で自由闊達な都立高校でなくなったことに耐えられず、早期退職する教員も後を絶ちません。優秀で真摯な教員が担任から外され続けています。こうしたことは東京都の教育にとって、なにより生徒にとって大きな損失です。
 どうか、裁判所におかれては、10.23通達が東京都の教育をどれほど破壊したのか、その現実を曇りのない目で見極めて賢明な判断をして頂きたいとお願いします。
 
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