◎ 繰り返し起立斉唱の約束を迫る再発防止研修は精神的拷問
原告のOです。2013年春の卒業式に卒業生の担任として出席し、「国歌斉唱」時に着席したことで戒告処分とされました。「10・23通達」が出されてから2度目の処分でした。
私は、かつて勤めていた私学での経験から「君が代」を歌えなくなりました。一次訴訟でその経緯を話したとき、都側の代理人の方から「あなたのしていたことは教育ではない」と言われました。思わず、それは私の意志ではなく、その学校ではそうせざるを得なかったのだ、人は状況によっては普段はしないようなことをするものなのだ、というようなことを口走りました。今でも、ときどきあの日のことを思い出しては、なぜ「そうです」と言えなかったのか、と悔まれます。自分の過去と向き合うことは、言葉で言うほどやさしいことではありませんでした。
1度目の処分を受けた2004年4月の入学式の日は、腸から出血し、自分はどうなってしまうのだろうと思いました。その後も、卒業式や入学式が近づくと何かと体調に異変がありました。一次訴訟のときに、意見書を書いてくださった野田正彰さんという精神科医の方から「あんたは危ないから何も考えない方がいい」と言われ、「日の丸」や「君が代」と自分の関係は考えないようにしてきました。それでも今回も、「君が代」が始まったときに激しい背中の痛みを覚え、やはり自分には立てないと観念して着席しました。
処分取り消しを求める東京「君が代」裁判一次訴訟の原告でもありました。約10年をかけた裁判の結果、一昨年の最高裁判決で戒告処分が確定した一方、減給処分は裁量権の逸脱・濫用だとして取り消されました。さらに、この問題の解決に向けてすべての関係者が真摯に努力するよう求める補足意見が付されました。
それを見て、最高裁に言われたのだから、今度は話し合いができるのではないかと期待したものです。私たち原告団は、それまでも毎年、都教委に話し合いの場を持ってくれるよう要請を続けてきましたが、都教委は一向に応じてくれませんでした。私たちが裁判をしなければならないのも、他に手段がないからです。
しかし、未だに都教委は話し合いを拒否し続けています。昨年の二次訴訟の最高裁判決では、さらに都教委に対して謙抑的な姿勢が求められました。ところが都教委は、最高裁判決で減給処分を取り消された原告に改めて戒告処分を発令したのです。
また、最高裁判決後の一昨年春から、重い処分をする代替措置のように、戒告処分の内容を、以前の減給処分より重くしてきました。1度目の処分で戒告を受けたときの経済的な損失は昇給延伸3カ月と勤勉手当のマイナス、服務事故再発防止研修は教職員研修センターに集められて、地方公務員法で上司の職務命令に従うことが決められているという内容の全員一緒に受けさせられる半日の講義でした。
それが今回は、経済的な損失が2倍、服務事故再発防止研修は2度のセンター研修と月1回の都教委の訪問を含む所属校研修が課され、3カ月に亘りました。内容も「日の丸・君が代」に関わるものが加わりました。職務命令に従って起立・斉唱すると誓うよう何度も繰り返し問い詰められ、「はい」と答えなければ帰れないのではないかと不安になりました。
悲しかったのは、研修の中で、最高裁の判決を、ただ「10・23通達」とそれに基づく職務命令は「当該教職員の思想・良心の自由を侵害するものではなく合憲である。」という内容に矮小化して使われたことです。卒業式のときも、ぎりぎりまで処分と良心との葛藤に苦しむ日々でしたが、センターの地下室に一人閉じ込められ、何人もの人に監視されての研修は、精神的な拷問とも言うべきものです。
ある原告がそのような研修に精神的苦痛を訴えたところ、「苦痛と感じるなら先生の考え方を変えていただかないと」と言われたと聞きます。
また、被処分者の出た学校には、全教職員に校内研修が課されます。不起立そのものは良心に従っての行為です。それでも、同僚たちに迷惑をかけているという思いは私を苦しめました。同時に、それが「命令に従わないこと」への見せしめともなっています。
昨年6月、服務事故再発防止研修を終え、やっとの思いで研修センターから帰って来た私と校長を待っていたのは、実教出版の「日本史A」の教科書は採択してはならないという都教委の通知でした。
国旗国歌法の制定にかかわって「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」という注がついていることが、都教委の考えに合わないというのです。
私の勤務校では、使いやすいということで以前からずっとその教科書を使ってきました。社会科の先生たちは「こんなことを許したら社会科の恥だ」と言っていましたが、ほどなく校長権限で別の教科書に差し替えられました。校内でも事の詳細は報告されず、以来この話は職場ではタブーです。
ただ事実が書いてあるだけの、その小さな注釈の何がそんなに問題なのか。私には、都教委が生徒に自分たちのしていることが知られるのを恐れているとしか思えません。
「従わなければ処分」という厳罰化の波は、教職員だけでなく、日常の生徒指導にも波及し始めています。例えば今、「生活指導統一基準」なるものが持ち込まれようとしています。これまで、生徒の問題行動は、「子どもは失敗をしながら成長するもの。過ちを反省できたら、経歴に残して進路に不利にならないように。」との配慮から、ほとんどの場合、校内での「謹慎」として指導し、法的な「停学処分」とはせずにきました。
それを、飲酒や喫煙は「停学処分」、暴力行為は「退学処分」など、指導要録に残す処分を考えていると発表されています。これには、担任や生活指導部はもとより、管理職たちでさえ懸念しています。
「10・23通達」は、それまで合議で運営されてきた都立高校に命令と一方的な決定、従わない者には処分という方法を持ち込み、都教委の意に沿わない教員を排除する装置として導入されました。
今度は、言うことをきかない生徒も排除されようとしています。たしかに、都教委にしても、校長にしても、あるいは担任や教科担当にしても、上に立つ人間は楽でしょう。しかしそれは、子どもを育てる場ではなく、管理と選別の機関でしかありません。
今では学校教育に関わるあらゆることの決定のしかたに、上意下達の体制が浸透しています。「10・23通達」に続いて、職員会議での挙手採決を禁ずる通達が出されました。
全教職員が反対であっても、校長の一存で決定され、私たちはただそれを実践するだけの存在になりました。都立高校らしい、自由な学校と言われたK高校も、この数年で大きく変わりました。校長決定で生活指導の方針が大きく変更されたとき、ベテランの教員が「それは職務命令ですか」と質問しました。「反対だけれど、職務命令なら従うしかない。その代わり、俺の責任じゃない。」というのです。
学校は、日本国憲法がめざす、平和で民主的な、この国の主権者となれる人間を育てる役割を担っているのではないでしょうか。そのために、目の前の生徒に何が必要か、どうすればいいのかを考えるのが教員の責務ではないのでしょうか。議論もできず、意見も持てない教員たちに、その役割を担うことができるでしょうか。
都立高校の教育がこの重圧から解放され、本来の教育を取り戻せるよう、勇気ある判断をお願いします。
原告のOです。2013年春の卒業式に卒業生の担任として出席し、「国歌斉唱」時に着席したことで戒告処分とされました。「10・23通達」が出されてから2度目の処分でした。
私は、かつて勤めていた私学での経験から「君が代」を歌えなくなりました。一次訴訟でその経緯を話したとき、都側の代理人の方から「あなたのしていたことは教育ではない」と言われました。思わず、それは私の意志ではなく、その学校ではそうせざるを得なかったのだ、人は状況によっては普段はしないようなことをするものなのだ、というようなことを口走りました。今でも、ときどきあの日のことを思い出しては、なぜ「そうです」と言えなかったのか、と悔まれます。自分の過去と向き合うことは、言葉で言うほどやさしいことではありませんでした。
1度目の処分を受けた2004年4月の入学式の日は、腸から出血し、自分はどうなってしまうのだろうと思いました。その後も、卒業式や入学式が近づくと何かと体調に異変がありました。一次訴訟のときに、意見書を書いてくださった野田正彰さんという精神科医の方から「あんたは危ないから何も考えない方がいい」と言われ、「日の丸」や「君が代」と自分の関係は考えないようにしてきました。それでも今回も、「君が代」が始まったときに激しい背中の痛みを覚え、やはり自分には立てないと観念して着席しました。
処分取り消しを求める東京「君が代」裁判一次訴訟の原告でもありました。約10年をかけた裁判の結果、一昨年の最高裁判決で戒告処分が確定した一方、減給処分は裁量権の逸脱・濫用だとして取り消されました。さらに、この問題の解決に向けてすべての関係者が真摯に努力するよう求める補足意見が付されました。
それを見て、最高裁に言われたのだから、今度は話し合いができるのではないかと期待したものです。私たち原告団は、それまでも毎年、都教委に話し合いの場を持ってくれるよう要請を続けてきましたが、都教委は一向に応じてくれませんでした。私たちが裁判をしなければならないのも、他に手段がないからです。
しかし、未だに都教委は話し合いを拒否し続けています。昨年の二次訴訟の最高裁判決では、さらに都教委に対して謙抑的な姿勢が求められました。ところが都教委は、最高裁判決で減給処分を取り消された原告に改めて戒告処分を発令したのです。
また、最高裁判決後の一昨年春から、重い処分をする代替措置のように、戒告処分の内容を、以前の減給処分より重くしてきました。1度目の処分で戒告を受けたときの経済的な損失は昇給延伸3カ月と勤勉手当のマイナス、服務事故再発防止研修は教職員研修センターに集められて、地方公務員法で上司の職務命令に従うことが決められているという内容の全員一緒に受けさせられる半日の講義でした。
それが今回は、経済的な損失が2倍、服務事故再発防止研修は2度のセンター研修と月1回の都教委の訪問を含む所属校研修が課され、3カ月に亘りました。内容も「日の丸・君が代」に関わるものが加わりました。職務命令に従って起立・斉唱すると誓うよう何度も繰り返し問い詰められ、「はい」と答えなければ帰れないのではないかと不安になりました。
悲しかったのは、研修の中で、最高裁の判決を、ただ「10・23通達」とそれに基づく職務命令は「当該教職員の思想・良心の自由を侵害するものではなく合憲である。」という内容に矮小化して使われたことです。卒業式のときも、ぎりぎりまで処分と良心との葛藤に苦しむ日々でしたが、センターの地下室に一人閉じ込められ、何人もの人に監視されての研修は、精神的な拷問とも言うべきものです。
ある原告がそのような研修に精神的苦痛を訴えたところ、「苦痛と感じるなら先生の考え方を変えていただかないと」と言われたと聞きます。
また、被処分者の出た学校には、全教職員に校内研修が課されます。不起立そのものは良心に従っての行為です。それでも、同僚たちに迷惑をかけているという思いは私を苦しめました。同時に、それが「命令に従わないこと」への見せしめともなっています。
昨年6月、服務事故再発防止研修を終え、やっとの思いで研修センターから帰って来た私と校長を待っていたのは、実教出版の「日本史A」の教科書は採択してはならないという都教委の通知でした。
国旗国歌法の制定にかかわって「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」という注がついていることが、都教委の考えに合わないというのです。
私の勤務校では、使いやすいということで以前からずっとその教科書を使ってきました。社会科の先生たちは「こんなことを許したら社会科の恥だ」と言っていましたが、ほどなく校長権限で別の教科書に差し替えられました。校内でも事の詳細は報告されず、以来この話は職場ではタブーです。
ただ事実が書いてあるだけの、その小さな注釈の何がそんなに問題なのか。私には、都教委が生徒に自分たちのしていることが知られるのを恐れているとしか思えません。
「従わなければ処分」という厳罰化の波は、教職員だけでなく、日常の生徒指導にも波及し始めています。例えば今、「生活指導統一基準」なるものが持ち込まれようとしています。これまで、生徒の問題行動は、「子どもは失敗をしながら成長するもの。過ちを反省できたら、経歴に残して進路に不利にならないように。」との配慮から、ほとんどの場合、校内での「謹慎」として指導し、法的な「停学処分」とはせずにきました。
それを、飲酒や喫煙は「停学処分」、暴力行為は「退学処分」など、指導要録に残す処分を考えていると発表されています。これには、担任や生活指導部はもとより、管理職たちでさえ懸念しています。
「10・23通達」は、それまで合議で運営されてきた都立高校に命令と一方的な決定、従わない者には処分という方法を持ち込み、都教委の意に沿わない教員を排除する装置として導入されました。
今度は、言うことをきかない生徒も排除されようとしています。たしかに、都教委にしても、校長にしても、あるいは担任や教科担当にしても、上に立つ人間は楽でしょう。しかしそれは、子どもを育てる場ではなく、管理と選別の機関でしかありません。
今では学校教育に関わるあらゆることの決定のしかたに、上意下達の体制が浸透しています。「10・23通達」に続いて、職員会議での挙手採決を禁ずる通達が出されました。
全教職員が反対であっても、校長の一存で決定され、私たちはただそれを実践するだけの存在になりました。都立高校らしい、自由な学校と言われたK高校も、この数年で大きく変わりました。校長決定で生活指導の方針が大きく変更されたとき、ベテランの教員が「それは職務命令ですか」と質問しました。「反対だけれど、職務命令なら従うしかない。その代わり、俺の責任じゃない。」というのです。
学校は、日本国憲法がめざす、平和で民主的な、この国の主権者となれる人間を育てる役割を担っているのではないでしょうか。そのために、目の前の生徒に何が必要か、どうすればいいのかを考えるのが教員の責務ではないのでしょうか。議論もできず、意見も持てない教員たちに、その役割を担うことができるでしょうか。
都立高校の教育がこの重圧から解放され、本来の教育を取り戻せるよう、勇気ある判断をお願いします。
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