◆ 形だけの「やっているふり」
ウクライナ避難民支援の欺瞞 (日刊ゲンダイ)
これまで難民を門前払いし、冷酷の限りを尽くしてきたくせに、ウクライナ難民は違うのかと思ったら、やはりパフォーマンスの胡散臭さ。地名変更も「ウクライナに寄り添う」アピールなのだろう。
◆ 欧州以外の人でも受け入れを支持するのか
「助けて、助けて!」
そう叫ぶ外国人男性を黒ずくめの制服を着た職員たちが7人がかりで冷たそうな床に押さえ込む。男性は上半身裸でパンツ一枚だ。「はい制圧!」「ワッパをかけろ!」と大声を出しながら、職員たちは後ろ手に手錠をかけられた男性を力ずくで押さえ続ける。
1人が男性の首を固め、もう1人は左手で顎をグイッと掴み、右手はゲンコツで顎下にギリギリと押しつける。男性は「空気入らない! あなたたち、殺してるよ! やめて。首痛い、首痛い!」と日本語で必死に叫び続けるのだ。
公開中のドキュメンタリー映画「牛久」の衝撃的なシーンだ。
米国人のトーマス・アッシュ監督が撮影当時、茨城・牛久市の「東日本入国管理センター」に収容されていた9人の証言を集めた作品である。当事者の了解を得た上で“隠し撮り”で、面会室のアクリル板越しに肉声を収めた。
なぜなら、出入国在留管理庁はブラックボックス。録音・録画は禁止だ。被収容者の声は施設外に届かない。証言は切実だ。「まるで刑務所のよう」「体じゅう殴られた」「こんな人生もういらない」──。絞り出すような声で入管の闇を訴える。
職員たちに制圧されたクルド人のデニズさんも証言者の1人。衝撃映像は入管側が撮影し、この件でデニズさんが提訴した裁判の証拠請求で入手したものだ。なるほど、職員の顔には全員、モザイクがかかっている。
1年前には名古屋入管でスリランカ出身のウィシュマさんの死亡事件があった。入管では毎年1人か、2人亡くなっている。
入管には紛争や戦争により自国に帰れず、保護を求めて難民申請をしている人が多くいる。しかし、その認定率はわずか0.4%(2019年)と、1%に満たない。
メディアは世論調査で「難民を受け入れるべきか、受け入れには慎重になるべきか」と問うが、日本も批准した難民条約は難民を「受け入れなくてはいけない」「保護しなくてはいけない」と定めている。
他国では当然、難民と認定されるはずの人々が、不当な扱いや暴力に苦しみ続けているかも知れないのだ。
これらは今も日本国内で実際に起きている理不尽な出来事であり、「おもてなしの国」の現実なのである。
人によって2年、3年と長期にわたって収容されるケースが急増。長期収容の常態化は国連に「国際人権法違反」と指摘されている。
その解消に向け昨年、政府が提出した入管法改正案は「難民申請を3回以上した人は送還してしまってもよい」という“改悪案”だ。世論の反対やウィシュマさん事件も重なり、廃案となったが、まだ政府は諦めていない。
3月29日のNHK「ニュースウオッチ9」の取材に出入国在留管理庁はこう答えていた。
在留資格も通常の旅行者と同じ「短期滞在」(90日)から、就労可能な「特定活動」(1年)への変更を認めた。岸田首相は入国後の受け入れ先との調整、日本語教育、就労・就学、定住の支援を行う考えだ。
◆ 世界がやっているからウチもやる
1日夜には林外相、中谷元・首相補佐官らを政府専用機でポーランドに派遣し、現地の受け入れ状況を視察。帰国時に避難民を移送する計画を検討中だ。
日経新聞の調査によると、世論の9割は政府の受け入れ方針に賛成しているが、さすがに政府専用機で迎えに行くとはパフォーマンスの胡散臭さがプンプン漂う。
入管問題をテーマに扱った小説「やさしい猫」の作者・中島京子氏は日刊ゲンダイのインタビューで〈受け入れ自体がパフォーマンスになりはしないか心配です。世界中でウクライナ避難民を受け入れているから「うちもやりますか」みたいな感じで始めて、避難してきた方々の日本での生活をしっかり支援できるのでしょうか〉と危ぶんでいたが、その懸念は拭えない。
◆ 適性後狩りを踏襲した戦争の政治利用
日本政府が使うウクライナの地名の呼び方変更も突飛な話だ。首都はロシア語に基づく「キエフ」からウクライナ語の発音に基づく「キーウ」に、「チェルノブイリ」は「チョルノービリ」などに変えた。
米国の地名委員会は19年に「キーウ」のみを公式表記に決めたが、それに追随。外務省は「日本政府としてウクライナとの一層の連帯を示すための行動」とし、「寄り添う」アピールを隠そうともしない。
「野球のストライクを『よし』、ボールを『ダメ』と言い換えた戦中の敵性語狩りを彷彿とさせます」と語るのは、法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)だ。こう続ける。
『日刊ゲンダイ』(2022/04/02)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/303382
ウクライナ避難民支援の欺瞞 (日刊ゲンダイ)
これまで難民を門前払いし、冷酷の限りを尽くしてきたくせに、ウクライナ難民は違うのかと思ったら、やはりパフォーマンスの胡散臭さ。地名変更も「ウクライナに寄り添う」アピールなのだろう。
◆ 欧州以外の人でも受け入れを支持するのか
「助けて、助けて!」
そう叫ぶ外国人男性を黒ずくめの制服を着た職員たちが7人がかりで冷たそうな床に押さえ込む。男性は上半身裸でパンツ一枚だ。「はい制圧!」「ワッパをかけろ!」と大声を出しながら、職員たちは後ろ手に手錠をかけられた男性を力ずくで押さえ続ける。
1人が男性の首を固め、もう1人は左手で顎をグイッと掴み、右手はゲンコツで顎下にギリギリと押しつける。男性は「空気入らない! あなたたち、殺してるよ! やめて。首痛い、首痛い!」と日本語で必死に叫び続けるのだ。
公開中のドキュメンタリー映画「牛久」の衝撃的なシーンだ。
米国人のトーマス・アッシュ監督が撮影当時、茨城・牛久市の「東日本入国管理センター」に収容されていた9人の証言を集めた作品である。当事者の了解を得た上で“隠し撮り”で、面会室のアクリル板越しに肉声を収めた。
なぜなら、出入国在留管理庁はブラックボックス。録音・録画は禁止だ。被収容者の声は施設外に届かない。証言は切実だ。「まるで刑務所のよう」「体じゅう殴られた」「こんな人生もういらない」──。絞り出すような声で入管の闇を訴える。
職員たちに制圧されたクルド人のデニズさんも証言者の1人。衝撃映像は入管側が撮影し、この件でデニズさんが提訴した裁判の証拠請求で入手したものだ。なるほど、職員の顔には全員、モザイクがかかっている。
1年前には名古屋入管でスリランカ出身のウィシュマさんの死亡事件があった。入管では毎年1人か、2人亡くなっている。
入管には紛争や戦争により自国に帰れず、保護を求めて難民申請をしている人が多くいる。しかし、その認定率はわずか0.4%(2019年)と、1%に満たない。
メディアは世論調査で「難民を受け入れるべきか、受け入れには慎重になるべきか」と問うが、日本も批准した難民条約は難民を「受け入れなくてはいけない」「保護しなくてはいけない」と定めている。
他国では当然、難民と認定されるはずの人々が、不当な扱いや暴力に苦しみ続けているかも知れないのだ。
これらは今も日本国内で実際に起きている理不尽な出来事であり、「おもてなしの国」の現実なのである。
人によって2年、3年と長期にわたって収容されるケースが急増。長期収容の常態化は国連に「国際人権法違反」と指摘されている。
その解消に向け昨年、政府が提出した入管法改正案は「難民申請を3回以上した人は送還してしまってもよい」という“改悪案”だ。世論の反対やウィシュマさん事件も重なり、廃案となったが、まだ政府は諦めていない。
3月29日のNHK「ニュースウオッチ9」の取材に出入国在留管理庁はこう答えていた。
「現行の入管法では正当な理由がないものであっても難民申請を繰り返すことで送還を逃れることが可能になっている。法改正を行うことが必要不可欠」こんな意識だから、入管が被収容者に「もう耐えられない。帰ります」と言わせるまで痛めつける場になってしまうのだ。高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)はこう指摘する。
「入管には戦前の特高警察出身者を多く受け入れた歴史がある。特高が担った役割のひとつは外国人や朝鮮など植民地の人たちの入国管理。特高には外国人を見れば不満分子、あるいは犯罪者と思えという思想があり、今の入管にもその感覚が残っている。排外主義で人権意識は低く、難民への理解が全くありません」こうして難民を門前払いし、冷酷の限りを尽くしてきた政府が、ウクライナの人々だけは特別扱い。ビザ審査・発給の迅速化、新型コロナウイルス陰性証明の免除、パスポートを持っていなくても、海外の日本大使館で代わりとなる渡航証明書を短時間で発行、渡航費支援も検討している。
在留資格も通常の旅行者と同じ「短期滞在」(90日)から、就労可能な「特定活動」(1年)への変更を認めた。岸田首相は入国後の受け入れ先との調整、日本語教育、就労・就学、定住の支援を行う考えだ。
◆ 世界がやっているからウチもやる
1日夜には林外相、中谷元・首相補佐官らを政府専用機でポーランドに派遣し、現地の受け入れ状況を視察。帰国時に避難民を移送する計画を検討中だ。
日経新聞の調査によると、世論の9割は政府の受け入れ方針に賛成しているが、さすがに政府専用機で迎えに行くとはパフォーマンスの胡散臭さがプンプン漂う。
入管問題をテーマに扱った小説「やさしい猫」の作者・中島京子氏は日刊ゲンダイのインタビューで〈受け入れ自体がパフォーマンスになりはしないか心配です。世界中でウクライナ避難民を受け入れているから「うちもやりますか」みたいな感じで始めて、避難してきた方々の日本での生活をしっかり支援できるのでしょうか〉と危ぶんでいたが、その懸念は拭えない。
「『ウクライナ限定』のダブルスタンダードです。そもそも『避難民』という言葉がおかしい。彼らは『難民』とどう違うのか。わざわざ『避難民』という言葉を使って『難民』の定義をさらに狭くし、今後も日本は難民を受け入れるつもりがないとの姿勢が透けて見えます。政府が手本にする欧州にもダブルスタンダードがある。15年にシリア内戦などの影響で中東・アフリカ諸国から100万人以上の難民らが押し寄せましたが、ハンガリーやポーランドなどの東欧諸国は受け入れを拒否。その国々が一転、ウクライナ人を受け入れているのは、同じ欧州人への同胞意識に他ならない。岸田政権の受け入れ方針に賛成する人は、ヨーロッパ以外の人々でも支持するのか。心の奥に潜む人種差別を考えるべきです」(五野井郁夫氏=前出)
◆ 適性後狩りを踏襲した戦争の政治利用
日本政府が使うウクライナの地名の呼び方変更も突飛な話だ。首都はロシア語に基づく「キエフ」からウクライナ語の発音に基づく「キーウ」に、「チェルノブイリ」は「チョルノービリ」などに変えた。
米国の地名委員会は19年に「キーウ」のみを公式表記に決めたが、それに追随。外務省は「日本政府としてウクライナとの一層の連帯を示すための行動」とし、「寄り添う」アピールを隠そうともしない。
「野球のストライクを『よし』、ボールを『ダメ』と言い換えた戦中の敵性語狩りを彷彿とさせます」と語るのは、法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)だ。こう続ける。
「岸田政権は戦争動員のやり方を踏襲し、お金もかけずに『ウクライナ頑張れ』の世論をあおり、参院選前の支持率上昇をもくろむ。要は戦争の政治利用です。しかも、ウクライナ支援とロシア制裁は常に米国追随。バイデン政権にも戦争長期化で軍需産業を儲けさせ、キックバックで政治献金を受け取り、国内のウクライナ支援の気分を盛り上げ、今年の中間選挙を乗り切る狙いがある。そんな思惑など岸田政権はお構いなし。ひたすら米国に同調し、議論なく武器輸出の原則を緩めて防弾チョッキまでウクライナに送ってしまう。憲法の平和主義に基づき、米国とは違った立場で停戦に向けた独自外交に乗り出す姿勢はみじんもなく、米国の“正義”に従うだけ。その価値観で判断される国際貢献の薄っぺらさは、完全に思考停止に陥っています」そんな欺瞞に満ちたウクライナ支援を大メディアは美談のように垂れ流すのみ。この国を包み込む「気分はもう戦争」ムードは不気味だ。
『日刊ゲンダイ』(2022/04/02)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/303382
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