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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「日の丸・君が代」強制とたたかう教員の皆様に

2007年02月28日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 「日の丸・君が代」強制とたたかう教員の皆様に
   澤藤統一郎の憲法日記


 本日、ピアノ伴奏拒否事件の最高裁(第3小法廷)判決。
 結論は敗訴である。最高裁での敗訴なのだから、当然に影響も大きい。確かに事態はよくない。しかし、絶望しなければならないほどのことでもない。
 実は裁かれているのは最高裁なのだ。最高裁の権威は、藤田宙靖・少数意見でかろうじて保たれたと言ってよい。
 巻き返し、展望を切り開かなければならない。まずは、みんなでこの判決をよく読むところから始めよう。案外、この判決は脆い。今日の少数意見が、明日の多数意見となりうる。何よりも、多数意見に説得力が乏しい。藤田少数意見の方に、論理的な精緻さや深い思索がある。そのことは、一見して明らか。だいたい、多数意見は何を言っているのか、明晰さを欠くこと甚だしい。
 判決は、下記のURLで読める。論戦の第一歩は、その読み込みからである。また、弁護団声明を、下段に貼り付けた。参考にしていただきたい。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070227173039.pdf
http://wind.ap.teacup.com/people/1467.html

 明日は、全都の都立学校で職員会議とのこと。
 中には、虎の威を借りた「小さなアイヒマン」が、会議の席上で最高裁判決を話題とするかも知れない。その時は、次のような「論戦」が想定される。

校長「昨日、学校儀式での国旗国歌問題に関して、最高裁の判決が出ました。これで、法的な論争には決着が付いたわけです。もう、強制は違憲だ、などと言うことはないように」
教員「とんでもない。校長は裁判の基本をご存じない。判決が拘束力を持つのは当事者限りのこと。予防訴訟も処分取消訴訟も、まったく別の裁判なのですから、今回の判決で決着が付いたなどとは言えないのですよ。しかも、予防訴訟では「強制は違憲違法」という判決が出ているではありませんか。尊重すべきはこちらの判決と認識してください」

校長「さりとて、大事なのは判決が示している理由でしょう。最高裁判決の理由が予防訴訟や取消訴訟に決定的な影響を及ぼすのは当然のことではありませんか」
教員「それも間違いです。予防訴訟は『10・23通達』発令後の事件についての初判決です。日野南平小のピアノ事件は、教育委員会の通達や命令によるものではなく、純粋に校長の判断に基づくものであることを前提としてなされた判断ですから」
校長「しかし、最高裁判決は、憲法19条問題について一般論を述べているではないか。そして、学校儀式での君が代伴奏の職務命令は、音楽科教員の思想・良心の自由の侵害に当たらない、と結論しているではありませんか」
教員「君が代のピアノ伴奏を命じる職務命令は憲法19条違反、そう主張した音楽科教員側の主張を最高裁第3小法廷が斥けたことはおっしゃるとおりです。問題は、「本当にその判断は正しいのか」ということと「今都立校の日の丸・君が代強制にどれほどの影響があるか」ということ。私は、この判決は憲法の理解をまちがっていると思うし、この判決が都立校の現在の強制問題と類似しているとして影響必然とは到底考えられない」
校長「最高裁の判断について、正しいの正しくないのという余地はない。この判決の結論について云々するのは越権ではないかね」
教員「それは、国民主権を標榜する我が国の国民意識としてはあまりに情けない。教育者としてはなおさらのこと。その裁判の当事者が不服でもその判決に服さねばならないことと、裁判批判封じ込めの是非とを混同してはなりません」
校長「いったい、最高裁判決の何が間違いというのかね」
教員「判決書きの多数意見の理由を述べる部分は、わずかに3頁余。ほぼ倍のスペースを割いて、藤田宙晴裁判官(憲法・行政法研究者)の反対意見が述べられています。この両者を読み比べて、どちらが説得力があると思いますか」
校長「説得力は問題ではない。多数意見であることだけが重要なのではないか」
教員「そう言えるのは、この事件、この裁判の当事者についてだけのこと。争点を同じくする同種同様の事件についても、説得力の勝る方が逆転して多数になる可能性が開けているのです」
校長「私には、両者を比較して、多数意見が説得力劣るようには思えないが‥」
教員「だいたい、この多数意見は何を言っているのかすっきりしない。歯切れの悪い文章です。それだけではない。『上告人のピアノ伴奏拒否は、上告人にとっては思想・良心に基づくものであろうが、一般的にはこれ(思想・良心)と結びつくものではない』から、職務命令が直ちに思想・良心それ自体を否定するものではない、と言っています。納得できますか」
校長「納得できる。自分で主観的に思いこんでいるだけのものは、思想良心として保護に値しないと言うことだろう。『一般的に、ピアノ伴奏拒否と結びつく思想や良心』でなくては、19条違反とならないという、もっともなことではないか」
教員「それが大まちがいなのです。基本的人権とは、すべての人に備わっているもの。一般論で律することはできない。この多数意見の論法だと、あらゆる少数意見が思想・良心の保護の対象から外されてしまうことになります。自分の宗教的信念から、必修科目である武道を選択することができない、とした高専の生徒に対して、最高裁は、『武道履修の拒否は、上告人にとっては思想・良心に基づくものであろうが、一般的にはこれ(思想・良心)と結びつくものではない』などとは言わず、宗教的な信念を尊重したではありませんか」
校長「少数意見は、そんなに説得力あるかね」
教員「何よりも、少数意見は多数意見をきちんと批判しています。これに対する再反論は多数意見には見出しがたい。それに、藤田意見は『本件における真の問題は、‥入学式においてピアノ伴奏をすることは、自らの信条に照らし上告人にとって極めて苦痛のことであり、それにもかかわらずこれを強制することが許されるかどうかという点にこそある』と言っています。多数意見にはこの観点が全くない」
校長「なんと言っても、同じ訴訟には同じ結論になるはずではないか」
教員「それがそうではないのですよ。あとの裁判は、前の裁判を乗り越えようとして、新しい主張や新しい証拠を提出する。それによって結論が変わりうるのも、当然でしょう」
校長「いったい、私の職務命令と、今回の最高裁判決中の職務命令とはどこに違いがあるというのだね」
教員「それは、校長ご自身がよくご存じのとおり。今回のピアノ伴奏職務命令は、南平小学校の校長が独自に判断したこととされています。「10・23通達」に基づく、指導という名の強制よるものとなれば話はまったく別。その際は、とりわけ教育委員会の強制が不当な支配とならないかという、教育法的な理論問題が出てきます。憲法26条・23条・そして47年教育基本法10条や地教行法・学校教育法の理解が問題となります。
今回の最高裁判決は、この点が論点になっていません。それにくらべて予防訴訟の9・21判決は、憲法19条の思想・良心の自由だけではなく、教育法理論についても、きちんとした論述をしています」
校長「自分に都合よく、判決を引用しているだけではないか」
教員「校長ご自身で、最高裁判決の多数意見と少数意見、そして9・21判決をぜひお読みください。これまで、私たちが常識としていた、多様な考え方を認め合うことが民主主義の基本、秩序の維持よりは人権が大切、国家は公定の思想を持ってはならない、学校で教育の名の下に国家の意思を押しつけてはならない、人権の制約原理は衝突する人権以外にはない、教育は子どもを主人公としてその発達の権利保障を基本とすべき‥、などの考えが藤田少数意見や9・21判決に貫かれていることがお分かりになるでしょう」
校長「結論として、何を言いたいのかね」
教員「今回の最高裁判決は、弱点を持っています。けっして確固たるものではない。その射程範囲も限られている。「10・23通達」に基づく都立校の事件に関して、けっして同じ結論が出ることにはならない。この春の卒業式・入学式には「日の丸・君が代」の強制は差し控え、処分を重ねるなどの乱暴を避けて、予防訴訟を初めとする関連事件の帰趨を見守っていただきたい。 また、訴訟での法的な決着はともかく、違憲・違法すれすれのことを都教委はやっているわけです。これだけ問題のある「日の丸・君が代」強制を強行する愚行は慎むべきではありませんか」
 この辺で時間切れ。職員会議は終わる。

『澤藤統一郎の憲法日記』
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/sawafuji/

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