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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

戦後労働組合は「あだ花」だったのか、世界の労働運動の歴史の中で

2021年04月06日 | 格差社会
 ◆ 『労働組合とは何か』を読んで
   ~沸き肉躍る「歴史」、賛成し難しい「結論」
(レイバーネット日本)
ジャーナリスト 北 健一


 昭和女子大名誉教授・木下武男さんの近著『労働組合とは何か』(岩波新書)を読みました。私は講演を何度も聴いてリスペクトし、研究会にお呼びいただいたこともあったのですぐに買って読み進めました。
 中世ギルドにさかのぼってルーツを探りつつ、職業別組合、一般労働組合、米国の展開という歴史を骨太にたどる記述は、象徴的場面の活写がすばらしく、敗北と勝利、無念と高揚がよみがえるようです。
 「働き方(労使関係)の変容→新しい課題の浮上→古い形態の組合の無力→労働組合の形態転換」という基本的視点も説得的ではあります。
 他方、日本の現状への評価には、労働組合ないし労使関係の一端にいる身として首を傾げざるを得ません。
 戦後労働組合、とくに企業別組合は「あだ花」(p278)であり、その歴史と「完全に決別すること」(p205)が提唱されているからです。
 著者があげる東京電力の労務管理などは指弾されるべきものですがかなり特殊なケースであり、それをもって企業別組合の典型とするのは行き過ぎでしょう。
 年功賃金が賃下げを生み出している(p212~)というのも論拠が?不十分ではありますが「賃上げの復活」こそ近年の労使関係の特徴ですし、本書で年功賃金の弊害とされるものは、むしろ査定、恣意的人事評価の弊害と見るべきでしょう。
 関西生コンや音楽ユニオンの評価は私も賛成ですが、著者の描く全体の構図はいささか一面的な感じがします。
 前半は魅力的で、個々の指摘も鋭いのに、なぜこうした「結論」に至るのか。
 一つの理由は、労働運動ないし労使関係の最新の分析が踏まえられていないこと(米国ではニューディール期まで、英国では第二次大戦頃まで)であり、もう一つは、日本の実際の労働組合、労使関係への目配り、実証が限定的で、企業別組合批判が決めつけになっている点にあるように私には思えます。
 著者が「あだ花」と呼ぶ、企業別組合が単組の多数をしめる日本の労働運動や産別組織、ナショナルセンターは、さまざまな課題を抱えつつも全体としてみれば大切な社会的資源です。
 労働組合の再生は、歴史との決別ではなく、真摯な振り返りをふくむ継承の先にあるはず。その際、本書が扱っていない海外の近年の努力はもちろん、著者には「あだ花」と映っているらしい日本の労働組合の先人たちの歩みも参考になるものが多々あると感じます。
 どんな制度にせよ、その国に根付いたものには、根付くだけの理由と事情があります。ヨーロッパの産別組合こそ素晴らしいというのはほぼ同感なのですが、企業別組合を全否定すれば解決するほど日本の労働者が直面する課題は単純ではないと思います。労働組合について真摯に書かれた著書について感じたことを真摯に書かないのは不誠実だと思い、書いてみました。
 もっとも、本書の個々的論点には深い示唆が含まれています。
 著者は、「労働問題は……国家の権力的統制のまえに、当事者の自主的組織化と統制によるべき」であり、「権力万能」論は退けるべしとする氏家正次郎の論を引き、「日本では道のりは遠いが、『権力万能』論を排し、労働社会における産業別の労使対抗基軸論をとり、力を蓄えていくべきだろう」(p152~3)という指摘など、強く共感しました。
 本書が広く読まれ、労働組合運動のこれからについての真摯な議論につながることを念じています。
『レイバーネット日本』(2021-03-25)
http://www.labornetjp.org/news/2021/1616677863800staff01
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