◆ 子どもから大人にまで「国体思想」を刷り込む
~「戦争をするには国民の逆らわない心と丈夫な体が重要」 (週刊新社会)

『新装増補版 慈愛による差別-象徴天皇制・教育勅語・パラリンピック』
北村小夜著(梨の木舎 定価2200円+税)
◆ 「軍国少女」として
明治絶対主義体制を体現した明治天皇が1912年7月死去。側室柳原愛子(公家出身の女官)との間に生れた嘉仁親王(大正天皇)が即位。嘉仁天皇(昭和天皇の父)は生れつき病弱で、かつ時代は、デモクラシーの機運が盛り上がりつつあった。
このため原敬(はらたかし)らは「皇室」を「慈善恩賞の府」と位置付け、「明治絶対王政」から転換させる。
著者北村さんは、1925年生れ。「軍国少女」としての教育を受け、日本陸海軍と一体化した日赤の救護看護婦養成所に入った。
44年植民地下朝鮮の京城(ソウル)の養成所を卒業し、中国東北の鉄嶺陸軍病院に勤務をした。
敗戦後、小学校教員に転じ、教育塔・教育祭問題にぶつかる。
教育祭は、「教育勅語」発布の日である毎年10月30日に開催されていた。
敗戦に伴い、日本教職員組合が引き継ぎ、その教育理念とは相反しつつも、教育祭を主催、長い間内外から批判を浴びた。
もともと教育塔・祭は、「師魂(しこん)」礼賛、「師道」発揚の「教育的総動員」とされていたからである。
戦前の公教育は、明治天皇の和歌「民のため心のやすむ時ぞなき身は九重の内にありても」という「憐れみ深い天皇像」を誇示しつつ、「ほとぼとに心を尽くす国民のちからぞやがてわが力なり」と民の尽忠報国を旨としたのである。
「昭和」の時代に入ると、中国への侵略行為が常態化され、ついに日中全面侵略戦争へと及び、さらに米英蘭とのアジア太平洋戦争へと至る。
『国体の本義』『臣民の道』に表現されているような「国体思想」の刷り込みが子どもから大人に至るまで徹底する。天皇制イデオロギーの水浸しである。
◆ 教育を受ける主体
敗戦後の50年、著者は教員に転じ、65年から退職まで障害児教育の「特殊学級」の担任となる。
「障害児が群れてくるのは困ります」という項で、「ゴミ焼場、精薄養護学校、つぎは火葬場」か、といった看板などが商店街に並ぶ。
ゴミ焼場、火葬場等といった必要な施設(そこに働く人も含んで)とともに、障害者の教育権や生存権を侵す差別が抜きがたく存在する。
時代を超えて安倍政権の施策批判に著者の筆は及ぶ。
2006年教育基本法改悪、教育を受ける主体としての子どもの権利をないがしろにし、愛国心や郷土愛を強調した。
11年大津の中学生虐め・自死事件を理由に、16年「いじめ防止対策推進法」の制定と「道徳の教科化」制定を強引に進める(18年、道徳の教科書検定)。
2020年、コロナ禍で五輪が潰れたが、戦時中の1932年の米ロスアンゼルス五輪で南部忠平が陸上3段跳びで優勝をする。国策国威高揚に利用され、学校現場でも愛国心が競われた。
障害者スポーツ大会やパラリンピックなどは、障がい者を思いやるかのような、今日の皇室の「慈善恩賞の府」たるゆえんを宣伝する格好のパフォーマンスともいえよう。
「戦争するには国民の逆らわない心と丈夫な体が必要」と、2003年の「健康増進法」は健康を「国民の責務」とし、責務を果さない「弱者」は「非国民」であろうと著者は指摘する。
軍事大国化、主権者や市民の声に耳を傾けない安倍政権はファショ化への道を只管驀進(しかんばくしん)しているものと評者も考える。時宜にかなった著書である。
(女性史研究家 鈴木裕子)
『週刊新社会』(2020年8月4日)
~「戦争をするには国民の逆らわない心と丈夫な体が重要」 (週刊新社会)

『新装増補版 慈愛による差別-象徴天皇制・教育勅語・パラリンピック』
北村小夜著(梨の木舎 定価2200円+税)
◆ 「軍国少女」として
明治絶対主義体制を体現した明治天皇が1912年7月死去。側室柳原愛子(公家出身の女官)との間に生れた嘉仁親王(大正天皇)が即位。嘉仁天皇(昭和天皇の父)は生れつき病弱で、かつ時代は、デモクラシーの機運が盛り上がりつつあった。
このため原敬(はらたかし)らは「皇室」を「慈善恩賞の府」と位置付け、「明治絶対王政」から転換させる。
著者北村さんは、1925年生れ。「軍国少女」としての教育を受け、日本陸海軍と一体化した日赤の救護看護婦養成所に入った。
44年植民地下朝鮮の京城(ソウル)の養成所を卒業し、中国東北の鉄嶺陸軍病院に勤務をした。
敗戦後、小学校教員に転じ、教育塔・教育祭問題にぶつかる。
教育祭は、「教育勅語」発布の日である毎年10月30日に開催されていた。
敗戦に伴い、日本教職員組合が引き継ぎ、その教育理念とは相反しつつも、教育祭を主催、長い間内外から批判を浴びた。
もともと教育塔・祭は、「師魂(しこん)」礼賛、「師道」発揚の「教育的総動員」とされていたからである。
戦前の公教育は、明治天皇の和歌「民のため心のやすむ時ぞなき身は九重の内にありても」という「憐れみ深い天皇像」を誇示しつつ、「ほとぼとに心を尽くす国民のちからぞやがてわが力なり」と民の尽忠報国を旨としたのである。
「昭和」の時代に入ると、中国への侵略行為が常態化され、ついに日中全面侵略戦争へと及び、さらに米英蘭とのアジア太平洋戦争へと至る。
『国体の本義』『臣民の道』に表現されているような「国体思想」の刷り込みが子どもから大人に至るまで徹底する。天皇制イデオロギーの水浸しである。
◆ 教育を受ける主体
敗戦後の50年、著者は教員に転じ、65年から退職まで障害児教育の「特殊学級」の担任となる。
「障害児が群れてくるのは困ります」という項で、「ゴミ焼場、精薄養護学校、つぎは火葬場」か、といった看板などが商店街に並ぶ。
ゴミ焼場、火葬場等といった必要な施設(そこに働く人も含んで)とともに、障害者の教育権や生存権を侵す差別が抜きがたく存在する。
時代を超えて安倍政権の施策批判に著者の筆は及ぶ。
2006年教育基本法改悪、教育を受ける主体としての子どもの権利をないがしろにし、愛国心や郷土愛を強調した。
11年大津の中学生虐め・自死事件を理由に、16年「いじめ防止対策推進法」の制定と「道徳の教科化」制定を強引に進める(18年、道徳の教科書検定)。
2020年、コロナ禍で五輪が潰れたが、戦時中の1932年の米ロスアンゼルス五輪で南部忠平が陸上3段跳びで優勝をする。国策国威高揚に利用され、学校現場でも愛国心が競われた。
障害者スポーツ大会やパラリンピックなどは、障がい者を思いやるかのような、今日の皇室の「慈善恩賞の府」たるゆえんを宣伝する格好のパフォーマンスともいえよう。
「戦争するには国民の逆らわない心と丈夫な体が必要」と、2003年の「健康増進法」は健康を「国民の責務」とし、責務を果さない「弱者」は「非国民」であろうと著者は指摘する。
軍事大国化、主権者や市民の声に耳を傾けない安倍政権はファショ化への道を只管驀進(しかんばくしん)しているものと評者も考える。時宜にかなった著書である。
(女性史研究家 鈴木裕子)
『週刊新社会』(2020年8月4日)
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