◆ 日本政府の「表現の自由」国連調査ドタキャン抗議記者会見の様子
この記者会見の前に、伊藤和子(ヒューマンライツ・ナウ)、川上園子(アムネスティ・インターナショナル日本)、海渡雄一弁護士3名が外務省人権人道課へ要請に行きました。その要請文(リンク)です。
○海渡氏
外務省人権人道課課長(中田さん)が対応された。これは予想していなかった。結論からとして以下の2点が報告された。
(1)"外務省としては特別報告制度には今後も協力していく。拒否したわけではない。"と回答
(2)できるだけ早く実現をとの要請に、言葉を濁す。"10月に彼が来ることが決まり、デイビット・ケイ氏の問題意識に対応する陣容が決まらなかった。"
日本政府には対応できる人がいるであろう。1、2ヶ月延ばすというのではなく来年秋以降になるというのは納得できない。
"政府の政策を説明するとなるとかなりの人員をそろえなくてはならない。国会会期中(1月はじめから始まり参議院選挙前までであろう)は役所の対応は流動的で人員をそろえるのが無理なので来年秋以降となった"
国会対応と言っても全ての方が出るわけではない、予算が明けた時期とか、少し時間ができて対応できる時期があるのではないかとの質問に"ウーン"とうなっていた。
以下の2点は最後まで答が無かった。
*どこの省庁が最後まで抵抗したのかとの質問に"それは勘弁して下さい"
*なぜ来年秋以降なのか、誰かから言われたのかの質問には答がなかった。
○伊藤氏
沖縄からは是非来てほしいとの強い要望があった。また、秘密保護法についてももっと知ってほしいとの要望があった。皆さん非常に失望されてこの要望書に署名した。一日も早く来てほしい。
このような直前の時期に政府がキャンセルするのは、国連の仕事に混乱をきたし、外交上も前代未聞に近い動きである。日本は北朝鮮、ミャンマー、カンボジアなどには特別報告者に協力するようにと言っているにもかかわらず,自分の国でこのようなドタキャンをすることは外交上も説得力を失うことになる。2度としないように伝えた。
○川上氏
NGO側から見ると、ここ数年日本の国連の人権書記官に対する姿勢が後ろ向きで軽視していると取られてもおかしくないようなことがあった。勧告に対して真摯に向き合ってこなかった。今回「表現の自由」という他の人権の礎になる不可欠な問題に対して,キャンセルしてしまい、非常に重要な特別報告者の公式訪問という機会を逸してしまった。日本政府が国連の人権書記官のとりくみに対し真摯に向き合っていないという印象を与えてしまったと思っている。勧告に対してちゃんと向き合い、国内法にてらして変えていく努力が必要。
○会場の記者とのやりとり(抜粋)
Q 国は来年秋以降と回答しているが、それは参議院選前に痛いところをつかれたくないためということを,みなさんは疑っているか?
A 疑っています。来年秋以降ということについて合理的な説明ができていない。誰の口から秋ということが出たのかにも答えなかった。
スケジュールの調整が難しかったというのはあり得るかも知れないが、それならば1,2ヶ月先に延ばせば対応できたはず。そうならなかったのは官邸からの指示があったのではないかと疑っている。確証はないが。
ただ、特別報告者の訪問は実現させたいと人権人道課長ははっきり言っており、マスコミの皆さんはこのことを伝えてもらいたいし、そうすることで訪問は実現することになる。しかし。前倒しで実現させることについて答がなかったことは,先ほどの推測が成り立つ可能性が高いのではないかと思っている。
Q 日本政府が公式に招聘したということか?
A おそらく特別報告者がインフォーマルな要請を日本政府に出したのだと思う。日本政府はどのような特別報告者の訪問も受け入れますというstanding invitationを人権理事会で表明しており、受け入れないことはできないはず。そこでこの10月に招待しますと言った。訪問したいということを受け入れたと理解していただいていい。そして、12月1日から12月8日までの公式訪問が決まった。
そこから日程調節が始まったが、デイビット・ケイ氏が要望を出したのは今年の夏だったときいている。実は今年3月にもケイ氏は非公式に日本を訪問している。日弁連や外務省に行って、公式訪問の可能性について事前折衝のようなことをされていた。そのときから希望を持っておられたことは日本政府に伝わっていた。突然10月に決まって、ドタキャンにということではない。今年の春から訪問のプロセスは始まっていた。
Q 日本政府が過去にこのようなドタキャンをしたことがあったか
A ない。過去に福島の調査にきた特別報告者については、日程の調整があって,準備が整わないということで少し時期をずらしてほしいという要請が日本政府からあり、特別報告者も了承したという経緯はある。その時は2週間とか3週間とかのレベルであって、今回のようなことは異例である。
Q デイビット氏が求める人がダメになったからなのか、招待をしたものの日程をつめる段階になったら人員をそろえられないということになったのか。
A 後者である。デイビット氏から人を特定して訊きたいということはしていない。テーマの設定はしてあり(要請書に書かれている)それに対して、人員をそろえられなかったということ。
納得できないのは,今この時期、予算の編成はあるかも知れないが今年は臨時国会はやっていない。役所は暇な時期。来年になれば今度は国会があるから秋までダメという。役所の忙しさからいったら、この時期が一番いい時期だったはず。なぜそれをやめなければならなかったのか。
A 要請書にもあるとおり、日本政府は延期理由を広く国内において十分説明するとともに、国際社会に対しても十分説明して説明責任を果たすべき
A 日本政府の名誉を守るためにも一刻も早く調査を実現させるべきと言ったのに対して、特別報告者の調査に対しては全面的に協力すると言ったが、できるだけ早くということは”勘弁してくれ”ということだった。
(記者会見に参加したTさんによるまとめ)
この記者会見の前に、伊藤和子(ヒューマンライツ・ナウ)、川上園子(アムネスティ・インターナショナル日本)、海渡雄一弁護士3名が外務省人権人道課へ要請に行きました。その要請文(リンク)です。
○海渡氏
外務省人権人道課課長(中田さん)が対応された。これは予想していなかった。結論からとして以下の2点が報告された。
(1)"外務省としては特別報告制度には今後も協力していく。拒否したわけではない。"と回答
(2)できるだけ早く実現をとの要請に、言葉を濁す。"10月に彼が来ることが決まり、デイビット・ケイ氏の問題意識に対応する陣容が決まらなかった。"
日本政府には対応できる人がいるであろう。1、2ヶ月延ばすというのではなく来年秋以降になるというのは納得できない。
"政府の政策を説明するとなるとかなりの人員をそろえなくてはならない。国会会期中(1月はじめから始まり参議院選挙前までであろう)は役所の対応は流動的で人員をそろえるのが無理なので来年秋以降となった"
国会対応と言っても全ての方が出るわけではない、予算が明けた時期とか、少し時間ができて対応できる時期があるのではないかとの質問に"ウーン"とうなっていた。
以下の2点は最後まで答が無かった。
*どこの省庁が最後まで抵抗したのかとの質問に"それは勘弁して下さい"
*なぜ来年秋以降なのか、誰かから言われたのかの質問には答がなかった。
○伊藤氏
沖縄からは是非来てほしいとの強い要望があった。また、秘密保護法についてももっと知ってほしいとの要望があった。皆さん非常に失望されてこの要望書に署名した。一日も早く来てほしい。
このような直前の時期に政府がキャンセルするのは、国連の仕事に混乱をきたし、外交上も前代未聞に近い動きである。日本は北朝鮮、ミャンマー、カンボジアなどには特別報告者に協力するようにと言っているにもかかわらず,自分の国でこのようなドタキャンをすることは外交上も説得力を失うことになる。2度としないように伝えた。
○川上氏
NGO側から見ると、ここ数年日本の国連の人権書記官に対する姿勢が後ろ向きで軽視していると取られてもおかしくないようなことがあった。勧告に対して真摯に向き合ってこなかった。今回「表現の自由」という他の人権の礎になる不可欠な問題に対して,キャンセルしてしまい、非常に重要な特別報告者の公式訪問という機会を逸してしまった。日本政府が国連の人権書記官のとりくみに対し真摯に向き合っていないという印象を与えてしまったと思っている。勧告に対してちゃんと向き合い、国内法にてらして変えていく努力が必要。
○会場の記者とのやりとり(抜粋)
Q 国は来年秋以降と回答しているが、それは参議院選前に痛いところをつかれたくないためということを,みなさんは疑っているか?
A 疑っています。来年秋以降ということについて合理的な説明ができていない。誰の口から秋ということが出たのかにも答えなかった。
スケジュールの調整が難しかったというのはあり得るかも知れないが、それならば1,2ヶ月先に延ばせば対応できたはず。そうならなかったのは官邸からの指示があったのではないかと疑っている。確証はないが。
ただ、特別報告者の訪問は実現させたいと人権人道課長ははっきり言っており、マスコミの皆さんはこのことを伝えてもらいたいし、そうすることで訪問は実現することになる。しかし。前倒しで実現させることについて答がなかったことは,先ほどの推測が成り立つ可能性が高いのではないかと思っている。
Q 日本政府が公式に招聘したということか?
A おそらく特別報告者がインフォーマルな要請を日本政府に出したのだと思う。日本政府はどのような特別報告者の訪問も受け入れますというstanding invitationを人権理事会で表明しており、受け入れないことはできないはず。そこでこの10月に招待しますと言った。訪問したいということを受け入れたと理解していただいていい。そして、12月1日から12月8日までの公式訪問が決まった。
そこから日程調節が始まったが、デイビット・ケイ氏が要望を出したのは今年の夏だったときいている。実は今年3月にもケイ氏は非公式に日本を訪問している。日弁連や外務省に行って、公式訪問の可能性について事前折衝のようなことをされていた。そのときから希望を持っておられたことは日本政府に伝わっていた。突然10月に決まって、ドタキャンにということではない。今年の春から訪問のプロセスは始まっていた。
Q 日本政府が過去にこのようなドタキャンをしたことがあったか
A ない。過去に福島の調査にきた特別報告者については、日程の調整があって,準備が整わないということで少し時期をずらしてほしいという要請が日本政府からあり、特別報告者も了承したという経緯はある。その時は2週間とか3週間とかのレベルであって、今回のようなことは異例である。
Q デイビット氏が求める人がダメになったからなのか、招待をしたものの日程をつめる段階になったら人員をそろえられないということになったのか。
A 後者である。デイビット氏から人を特定して訊きたいということはしていない。テーマの設定はしてあり(要請書に書かれている)それに対して、人員をそろえられなかったということ。
納得できないのは,今この時期、予算の編成はあるかも知れないが今年は臨時国会はやっていない。役所は暇な時期。来年になれば今度は国会があるから秋までダメという。役所の忙しさからいったら、この時期が一番いい時期だったはず。なぜそれをやめなければならなかったのか。
A 要請書にもあるとおり、日本政府は延期理由を広く国内において十分説明するとともに、国際社会に対しても十分説明して説明責任を果たすべき
A 日本政府の名誉を守るためにも一刻も早く調査を実現させるべきと言ったのに対して、特別報告者の調査に対しては全面的に協力すると言ったが、できるだけ早くということは”勘弁してくれ”ということだった。
(記者会見に参加したTさんによるまとめ)
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