☆★☆ 「君が代」強制反対に刑事罰!? ☆★☆
◇ 結審 3月13日(木)13:30~東京高裁102号法廷
最終弁論(弁護側、検察側とも60分)があり、結審します。

「花と旭岳」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
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2007/12/13(木) 点滴
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釧路の幣舞橋には人影がない。 ロータリーを回っている車の光があるだけだ。 生涯学習センターの9階のレストランの窓際の席にいていつまでも幣舞橋を見続けていた。 原田康子の「挽歌」の時代の方がはるかに賑わっていた。 川岸のレストランも昔のとは違うという。 釧路もまた侘しくなってしまった。
ハローワークくしろの発表によると就職を希望する地元の新規高校卒業者の就職率は60.4%。 ひどい数字だと思ったが、これがなんと近年久しぶりの高率とある。 前年は、53.6%である。 0.6で高率とは。
白糠高校定時制で最初の担任をしたクラスのO君は釧路でタクシーの運転手をしていた。 電話して彼の車に乗る。 前は長距離トラックに乗っていた。 眠くて眠くて頬っぺたを強く引っ叩きながら凍結した日勝街道の坂道を運転していたと言う。 よく大事故を起こさなかったものだ。
そういえば思い出した。 もう30年も前、彼は本州にいて不思議なことに私の住んでいた埼玉の幸手の国道4号線で追突され入院した。 どういうわけか覚えていないが確かにウイスキーを持って見舞いに行った。 O君曰く、「ウイスキーを裸のまま持ってきてよー、こっちは点滴打ってるのに・・・」 「点滴打ちながらこっそり飲んだよ・・・」 ウイスキーの名が「ティーチャー」であって冗談半分持っていったのがいけなかった
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2007/12/14(金) 黒豆
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白糠町の左股で作物が昔のようには育たないという。 沢の水も枯れたようだ。 樹を伐ったせいである。 生活のため致し方ないとは言え、森を破壊したら田畑も川も海も駄目になってしまう。 森はすべての恵の源泉なのだ。
北海道の素晴らしい大地、空気、水をもとに黒豆納豆を作っているH氏に会った。 500円もする納豆を頂いた。 風味、絶品である。
H氏は一方で小学校のPTA会長もしている。 総合学習の時間、稲の栽培が良いとなれば全町小学校、稲の栽培をする。 鋳物が良いとなればみんな鋳物造りとなる。 おお、それなら来年は黒豆納豆だ。 卒業式で何を話したら良いか悩んでいた。 これまた、納豆造りの話をしたらいいと提案しといた。 どうなるやら。
壇上に上がるとき、国旗に礼をしろと言われて困っていた。 国旗・国歌法の審議の際、政府は国民に強制するものではないと答弁したが、こんな形で日本の隅々まで強制される雰囲気が覆ってきている。 時代の雰囲気というのは恐ろしい。 自然の素晴らしい食品の製造家が、一方で時代の国家主義先導の一翼を担わされるというのも奇妙なものである。
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2007/12/15(土) 駅前
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夜、8時ごろ、札幌の南北線の地下鉄のホームには人が溢れていた。 荷物も重く、これじゃ座れないから参ったなあと思いつつ最後尾から乗り込んだ。 車内、満員である。 だが何と優先席はポッカリと空いている。 皆、座らない。 札幌では、優先席と言わずに専用席と表示されている。 当方、66歳、微妙な年齢なりや。 構わず占拠、まことに札幌の住民のマナーの善さに感激した。
何度も乗ったがいつも専用席は空いていた。 空いている理由のあることに暫しして気付く。 5分か10分乗ると降りていく人が多いのである。 東京のように何十分も1時間も乗っている人はいない。 第一、終点の真駒内でも20分ぐらいで着く。 真駒内近くとなると車内はガラガラ。 一杯人がいたのは札幌駅周辺だけであったのだ。
真駒内駅前には何もない。 あるのはタクシー乗り場とそれを目指すタクシーの長い行列のみである。 乗る人もいない。
幣舞橋の近くでの会合を終え戻った釧路駅でもそうだった。 夜、9時に着いた。 駅前、何十台もの空車のタクシーの縦列、駅構内、コンビニ一店のみ明かりがあって他の店は皆閉まっている。 閑散として人がいない。 喫茶店の場所を聞いたら歩いて15分程のところならあるかもと言う。 寒いしいるとこがない。
白糠に行く列車は8時半の次が10時であった。 列車と言ってもたった一両、ワンマンカーである。 寂しい限りである。 50年前、夜8時ごろ鹿児島駅に着いた時、駅前が皆閉まっていたのを思い出した。
『藤田の日記』
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=fujita63&P=0
◇ 結審 3月13日(木)13:30~東京高裁102号法廷
最終弁論(弁護側、検察側とも60分)があり、結審します。

「花と旭岳」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
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2007/12/13(木) 点滴
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釧路の幣舞橋には人影がない。 ロータリーを回っている車の光があるだけだ。 生涯学習センターの9階のレストランの窓際の席にいていつまでも幣舞橋を見続けていた。 原田康子の「挽歌」の時代の方がはるかに賑わっていた。 川岸のレストランも昔のとは違うという。 釧路もまた侘しくなってしまった。
ハローワークくしろの発表によると就職を希望する地元の新規高校卒業者の就職率は60.4%。 ひどい数字だと思ったが、これがなんと近年久しぶりの高率とある。 前年は、53.6%である。 0.6で高率とは。
白糠高校定時制で最初の担任をしたクラスのO君は釧路でタクシーの運転手をしていた。 電話して彼の車に乗る。 前は長距離トラックに乗っていた。 眠くて眠くて頬っぺたを強く引っ叩きながら凍結した日勝街道の坂道を運転していたと言う。 よく大事故を起こさなかったものだ。
そういえば思い出した。 もう30年も前、彼は本州にいて不思議なことに私の住んでいた埼玉の幸手の国道4号線で追突され入院した。 どういうわけか覚えていないが確かにウイスキーを持って見舞いに行った。 O君曰く、「ウイスキーを裸のまま持ってきてよー、こっちは点滴打ってるのに・・・」 「点滴打ちながらこっそり飲んだよ・・・」 ウイスキーの名が「ティーチャー」であって冗談半分持っていったのがいけなかった
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2007/12/14(金) 黒豆
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白糠町の左股で作物が昔のようには育たないという。 沢の水も枯れたようだ。 樹を伐ったせいである。 生活のため致し方ないとは言え、森を破壊したら田畑も川も海も駄目になってしまう。 森はすべての恵の源泉なのだ。
北海道の素晴らしい大地、空気、水をもとに黒豆納豆を作っているH氏に会った。 500円もする納豆を頂いた。 風味、絶品である。
H氏は一方で小学校のPTA会長もしている。 総合学習の時間、稲の栽培が良いとなれば全町小学校、稲の栽培をする。 鋳物が良いとなればみんな鋳物造りとなる。 おお、それなら来年は黒豆納豆だ。 卒業式で何を話したら良いか悩んでいた。 これまた、納豆造りの話をしたらいいと提案しといた。 どうなるやら。
壇上に上がるとき、国旗に礼をしろと言われて困っていた。 国旗・国歌法の審議の際、政府は国民に強制するものではないと答弁したが、こんな形で日本の隅々まで強制される雰囲気が覆ってきている。 時代の雰囲気というのは恐ろしい。 自然の素晴らしい食品の製造家が、一方で時代の国家主義先導の一翼を担わされるというのも奇妙なものである。
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2007/12/15(土) 駅前
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夜、8時ごろ、札幌の南北線の地下鉄のホームには人が溢れていた。 荷物も重く、これじゃ座れないから参ったなあと思いつつ最後尾から乗り込んだ。 車内、満員である。 だが何と優先席はポッカリと空いている。 皆、座らない。 札幌では、優先席と言わずに専用席と表示されている。 当方、66歳、微妙な年齢なりや。 構わず占拠、まことに札幌の住民のマナーの善さに感激した。
何度も乗ったがいつも専用席は空いていた。 空いている理由のあることに暫しして気付く。 5分か10分乗ると降りていく人が多いのである。 東京のように何十分も1時間も乗っている人はいない。 第一、終点の真駒内でも20分ぐらいで着く。 真駒内近くとなると車内はガラガラ。 一杯人がいたのは札幌駅周辺だけであったのだ。
真駒内駅前には何もない。 あるのはタクシー乗り場とそれを目指すタクシーの長い行列のみである。 乗る人もいない。
幣舞橋の近くでの会合を終え戻った釧路駅でもそうだった。 夜、9時に着いた。 駅前、何十台もの空車のタクシーの縦列、駅構内、コンビニ一店のみ明かりがあって他の店は皆閉まっている。 閑散として人がいない。 喫茶店の場所を聞いたら歩いて15分程のところならあるかもと言う。 寒いしいるとこがない。
白糠に行く列車は8時半の次が10時であった。 列車と言ってもたった一両、ワンマンカーである。 寂しい限りである。 50年前、夜8時ごろ鹿児島駅に着いた時、駅前が皆閉まっていたのを思い出した。
『藤田の日記』
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