◆ <関口宏・保阪正康両氏に喝!>BSTBSの番組(3月19日)で、
沖縄は「アメリカの信託統治下に」置かれたとの虚偽を放送!
皆さま 高嶋伸欣です
今回は、残念な話題です。長い説明になりますが、できれば25日(金)までにお読みください
BSTBSの毎週土曜日の番組<関口宏のもう一度!近現代史>は、幕末・明治維新から1952年4月28日の独立回復までということで続けられ、次回3月26日(土)が最終回とのことです(4月からは、新番組「関口宏 新しい古代史」とか)。
その最終回直前の先週19日の、昭和26年7月~12月の歴史を語った同番組で、関口氏と保阪氏が口を揃えて歴史の事実に反する解説を開陳する事態が起きています。
サンフランシスコ講和条約調印(9月8日)に合わせて、同条約の主な内容を説明した場面で、「●米国による信託統治の承認(第3条) 北緯29度以南の南西諸島、沖縄(琉球諸島)、小笠原諸島は、アメリカの信託統治下に置く」としたのです。
講和条約第3条の全文は次の通りです
その限りでは関口・保阪両氏の説明は正しいように見えます。
けれども、米国は1972年5月の「復帰」まで、そのような提案を国連にしたことは一度もありません!
一方で、米国は条文後半の暫定措置に期限がないのをいいことに、条約が発効した1952年4月28日以後も沖縄を半永久的に軍事占領状況に置き続けたのです。これは当時の日本政府も暗黙の了解を与えていた方針でした。
それどころか、そうするように日本側から仕向けていたことも、今では分かっています。提案したのは昭和天皇で、それが『天皇メッセージ』(1947年9月19日)だったことは、「日本史」教科書にも書かれている、周知の事柄です。
それに、日本政府は、条文前半にある国連への提案を実行するように米国政府に公式に求めたことが、「復帰」までの間、一度もありません。
米国が信託領制度による「施政権」委託を嫌った理由は明白です。
信託領制度では国連憲章や「世界人権宣言」などの枠内でしか「施政権」は行使できず、基地拡張のための「銃剣とブルトーザー」による土地収用や数々の人権侵害行為は許されないのです。
それが、条文後半の暫定措置による「施政権」であれば、米国が好き勝手に振舞えるのです。準州扱いどころか、沖縄戦終了後の軍事占領状態下の「施政権」行使であれば、県民は敗戦国の敵国人であり、どこの憲法も適用されないので、人権侵害もやりたい放題なのです。
実際、米軍はその通り、やりたい放題に沖縄を「太平洋の要(かなめ)石」として支配し続けたのです。1946年4月に占領軍幹部が「軍政府はネコで沖縄(住民)は鼠である。猫の許す範囲しか鼠は遊べない」と言ってのけたのと同様に、1963年3月5日に沖縄現地の最高責任者であるキャラウェイ高等弁務官が「自治は神話であって存在しない」と豪語しているのです。
けれども、言行一致のキャラウェイ軍政は県民の怒りを倍増させ、偽りの自治に次々と風穴を開ける成果を獲得します。さらに、軍政の最大の拠点である米軍基地で働く県民が、厳しい切り崩しや弾圧を受けながら労働組合(全軍労)を結成し、団体交渉権を獲得(映画「沖縄」で再現されています)。ついでベトナム反戦運動と呼応した嘉手納基地包囲のゼネストでB52の出撃を阻止するという事実上の争議権の獲得を、「島ぐるみ」の民意が支えたのでした。
この人権獲得、反米軍基地闘争の盛り上がりに直面した日米両政府は、米軍基地以外の沖縄の「施政権」返還しか解決策はないとの判断に追い込まれたます。
その結果が、1972年5月15日の「復帰」です。
詐術的な第3条を悪用した軍政下の無権利「虫けら」状況にあって、素手で権利を次々と認めさせ、それを保障する法体系の大元、日本国憲法を沖縄の人々が手中にした、それが「復帰」の大きな歴史的意味でした。
このことを聴いた「本土」の高校生や大学生からは「沖縄のイメージが変わった」「自分たちにそこまでやれるか自信がない」「沖縄の人々を尊敬する」などとの感想がいつも出されます。
これほど強い印象を与える「復帰」の歴史的意味の理解が求められている時に、「(講和条約で)沖縄・小笠原のアメリカによる信託統治が決まった」などという事実を歪めた説明(『日本史B』東京書籍、2006年度用)が、「本土」社会では蔓延し続けてきました。
地理学が専門の私には、歴史教科書の関係者向けに、せめて事実歪曲記述は削除して欲しいと要望するしかありませんでした。
このMLでも再々に渡って話題提起を繰り返してきました。
最近の高校「日本史」教科書でも、ようやく、「復帰」にはこうした意味があったと気づかせる記述が散見されるようになってきています。
けれども一方では、この4月からの新科目「歴史総合」に「小笠原諸島と沖縄のアメリカの信託統治を認め」という記述(山川出版『近代から現代へ』167p)が相変わらず登場しています。
こうした説明は、沖縄県民を講和条約以後も「虫けら」同然に扱う軍政下に置くという不当な行為を隠ぺいするために、米国が日本政府の暗黙の了解のもとで3条に仕組んだ詐術的手法の隠蔽に手を貸す行為に他なりません。
そして、「復帰」50年、講和条約による「屈辱の日」70年を目前にした今、良心的と思い込んでいた関口宏、保阪正康の両氏、それにとりわけ沖縄の戦後については思入れのある報道を蓄積してきたTBSに突き付けられた事実歪曲の画面(添付)はショックでした。
数日、悶々としていましたが、気付いていながら沈黙することは責任放棄と考え、このメールを発信することにしました。
*26日(土)の<関口宏のもう一度!近現代史>最終回で、この件の訂正がされることを期待していますが、どうなるでしょうか。
「本土」の歴史研究者、歴史教育者、報道人、沖縄に心を寄せる皆さんが、この件に多少でも関心を持っていただければ幸いです。
*以上 高嶋の私見です。 ご参考までに 転送・拡散は自由です
沖縄は「アメリカの信託統治下に」置かれたとの虚偽を放送!
皆さま 高嶋伸欣です
今回は、残念な話題です。長い説明になりますが、できれば25日(金)までにお読みください
BSTBSの毎週土曜日の番組<関口宏のもう一度!近現代史>は、幕末・明治維新から1952年4月28日の独立回復までということで続けられ、次回3月26日(土)が最終回とのことです(4月からは、新番組「関口宏 新しい古代史」とか)。
その最終回直前の先週19日の、昭和26年7月~12月の歴史を語った同番組で、関口氏と保阪氏が口を揃えて歴史の事実に反する解説を開陳する事態が起きています。
サンフランシスコ講和条約調印(9月8日)に合わせて、同条約の主な内容を説明した場面で、「●米国による信託統治の承認(第3条) 北緯29度以南の南西諸島、沖縄(琉球諸島)、小笠原諸島は、アメリカの信託統治下に置く」としたのです。
講和条約第3条の全文は次の通りです
日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)、孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。たしかに第3条前半の主文では、国際連合からこれら地域の信託統治の「施政権」を得たいと米国が提案することを認めるとしています。
このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。
その限りでは関口・保阪両氏の説明は正しいように見えます。
けれども、米国は1972年5月の「復帰」まで、そのような提案を国連にしたことは一度もありません!
一方で、米国は条文後半の暫定措置に期限がないのをいいことに、条約が発効した1952年4月28日以後も沖縄を半永久的に軍事占領状況に置き続けたのです。これは当時の日本政府も暗黙の了解を与えていた方針でした。
それどころか、そうするように日本側から仕向けていたことも、今では分かっています。提案したのは昭和天皇で、それが『天皇メッセージ』(1947年9月19日)だったことは、「日本史」教科書にも書かれている、周知の事柄です。
それに、日本政府は、条文前半にある国連への提案を実行するように米国政府に公式に求めたことが、「復帰」までの間、一度もありません。
米国が信託領制度による「施政権」委託を嫌った理由は明白です。
信託領制度では国連憲章や「世界人権宣言」などの枠内でしか「施政権」は行使できず、基地拡張のための「銃剣とブルトーザー」による土地収用や数々の人権侵害行為は許されないのです。
それが、条文後半の暫定措置による「施政権」であれば、米国が好き勝手に振舞えるのです。準州扱いどころか、沖縄戦終了後の軍事占領状態下の「施政権」行使であれば、県民は敗戦国の敵国人であり、どこの憲法も適用されないので、人権侵害もやりたい放題なのです。
実際、米軍はその通り、やりたい放題に沖縄を「太平洋の要(かなめ)石」として支配し続けたのです。1946年4月に占領軍幹部が「軍政府はネコで沖縄(住民)は鼠である。猫の許す範囲しか鼠は遊べない」と言ってのけたのと同様に、1963年3月5日に沖縄現地の最高責任者であるキャラウェイ高等弁務官が「自治は神話であって存在しない」と豪語しているのです。
けれども、言行一致のキャラウェイ軍政は県民の怒りを倍増させ、偽りの自治に次々と風穴を開ける成果を獲得します。さらに、軍政の最大の拠点である米軍基地で働く県民が、厳しい切り崩しや弾圧を受けながら労働組合(全軍労)を結成し、団体交渉権を獲得(映画「沖縄」で再現されています)。ついでベトナム反戦運動と呼応した嘉手納基地包囲のゼネストでB52の出撃を阻止するという事実上の争議権の獲得を、「島ぐるみ」の民意が支えたのでした。
この人権獲得、反米軍基地闘争の盛り上がりに直面した日米両政府は、米軍基地以外の沖縄の「施政権」返還しか解決策はないとの判断に追い込まれたます。
その結果が、1972年5月15日の「復帰」です。
詐術的な第3条を悪用した軍政下の無権利「虫けら」状況にあって、素手で権利を次々と認めさせ、それを保障する法体系の大元、日本国憲法を沖縄の人々が手中にした、それが「復帰」の大きな歴史的意味でした。
このことを聴いた「本土」の高校生や大学生からは「沖縄のイメージが変わった」「自分たちにそこまでやれるか自信がない」「沖縄の人々を尊敬する」などとの感想がいつも出されます。
これほど強い印象を与える「復帰」の歴史的意味の理解が求められている時に、「(講和条約で)沖縄・小笠原のアメリカによる信託統治が決まった」などという事実を歪めた説明(『日本史B』東京書籍、2006年度用)が、「本土」社会では蔓延し続けてきました。
地理学が専門の私には、歴史教科書の関係者向けに、せめて事実歪曲記述は削除して欲しいと要望するしかありませんでした。
このMLでも再々に渡って話題提起を繰り返してきました。
最近の高校「日本史」教科書でも、ようやく、「復帰」にはこうした意味があったと気づかせる記述が散見されるようになってきています。
けれども一方では、この4月からの新科目「歴史総合」に「小笠原諸島と沖縄のアメリカの信託統治を認め」という記述(山川出版『近代から現代へ』167p)が相変わらず登場しています。
こうした説明は、沖縄県民を講和条約以後も「虫けら」同然に扱う軍政下に置くという不当な行為を隠ぺいするために、米国が日本政府の暗黙の了解のもとで3条に仕組んだ詐術的手法の隠蔽に手を貸す行為に他なりません。
そして、「復帰」50年、講和条約による「屈辱の日」70年を目前にした今、良心的と思い込んでいた関口宏、保阪正康の両氏、それにとりわけ沖縄の戦後については思入れのある報道を蓄積してきたTBSに突き付けられた事実歪曲の画面(添付)はショックでした。
数日、悶々としていましたが、気付いていながら沈黙することは責任放棄と考え、このメールを発信することにしました。
*26日(土)の<関口宏のもう一度!近現代史>最終回で、この件の訂正がされることを期待していますが、どうなるでしょうか。
「本土」の歴史研究者、歴史教育者、報道人、沖縄に心を寄せる皆さんが、この件に多少でも関心を持っていただければ幸いです。
*以上 高嶋の私見です。 ご参考までに 転送・拡散は自由です
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