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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

憲法判例百選の執筆者198人にアンケート調査

2015年06月29日 | 平和憲法
 ◎ 憲法学者に聞いた
   ~安保法制に関するアンケート調査の最終結果
(報道ステーション)

憲法学者の95%が違憲または違憲の疑いあり

 憲法判例百選の執筆者198人にアンケート調査を行い、151人の方々から返信をいただきました。
 (調査期間6月6日~12日 他界した人や辞退した人などを除き、アンケート票を送付)
 ≪気になるあの憲法学者のコメント≫
 ■ 千葉大学大学院専門法務研究科教授・巻美矢紀氏
 今回の法案に関する政府の手法は、立憲主義を根底から覆す、きわめて異常で危険なものである。圧倒的大多数の憲法学者の憲法解釈、また昨年の閣議決定前の政府見解からしても、集団的自衛権行使の容認は、憲法解釈の限界を超え、違憲であり、本来、憲法改正を経なければならないものである。
 にもかかわらず、憲法「解釈」の変更の名のもとに集団的自衛権行使を容認することは、政府が正式な憲法改正手続を踏まずに、自らの都合のいいように憲法を作り変え、憲法の拘束から逃れてしまうことに他ならない。このような手法は、立憲主義を根底から覆すものであり、法の支配を掲げる国家としてはおよそ許されない禁じ手である。
 マスメディアには、この立憲主義の危機的状況を萎縮することなく適切に国民に伝え、ジャーナリストとしての職責を全うしていただきたい。
 なお、砂川事件最高裁判決にもとづいて集団的自衛権行使を合憲とする議論は、憲法の専門家だけでなく、そもそも法の解釈を真面目に行おうとする者からすれば、曲解と言わざるをえないことを申し添えておく。
 ■ 東京学芸大学准教授・斎藤一久氏
 9日、安倍首相はG7が開催されているドイツのミュンヘンから、「憲法の基本的な論理は貫かれていると、私は確信をしております」として、安全保障法制を違憲とする憲法学者の見解を否定するようなメッセージを発したようですが、管見の限り、ドイツのテレビ・新聞などではまったく取り上げられていないようです(ドイツのニュースではデモとともに、メルケル首相とオバマ大統領の2ショットがメインでした)。
 もし取り上げられていたら、アカデミズムを重んじるドイツでは、驚きとともに、失笑を買ったと予想されます。
 ドイツではアカデミズムは無視できないのです。それは、メルケル首相だけでなく、その他14名の大臣中、6名が博士号を有していること(日本の首相・大臣では博士号取得者はいません)からもわかると思います。
 周知の通り、天皇機関説事件が起こって、今年80周年ですが、8日に出された文科省の国立大学における人文社会科学の縮小に関する通知と相まって、日本政府のアカデミズムの軽視には、「いつか来た道」を連想させます。
 またドイツにおいて、憲法問題について専門に審査する連邦憲法裁判所では、16名の裁判官がおりますが、8名は憲法学者で、その他4名の裁判官が法学博士号を持っています(日本の最高裁は「憲法の番人」と言われますが、憲法学者はゼロです)。これもアカデミズム重視の証左です。
 もし日本に憲法裁判所があれば、衆院の憲法審査会で違憲と主張された長谷部・小林・笹田各教授のような法解釈能力に長けた憲法学者が、おそらく裁判官に就任しており、同時に今回の安全保障法制についても違憲という判断が下されたと思われます。
 ■ 九州大学法学部教授・南野森氏
 憲法違反の疑いがきわめて高い内容を多く含む法案であるという憲法理論の観点から、そして、仮に立法が実現すればこれまでの自衛隊・これまでの日本という国のあり方を根本的に変容させることにつながるという政策論の観点から、今回の安保法制については、国民的な議論を経ることなく議会の多数派が制定を強行することは許されない。
 一旦廃案にして議論をやり直し、その上で集団的自衛権行使や他国軍隊への非・非戦闘地域での恒久的後方支援が本当に必要だということになれば、憲法9条の改正を正面から国民に問うべきである。
 ■ 上智大学法学部准教授・小島慎司氏
 今般のいわゆる「安保法制」案には、違憲の疑いの度合いがかなり異なる複数の提案が含まれており、別々に論じるべきである。
 そのなかでも、集団的自衛権の限定的な行使を容認する自衛隊法、武力攻撃事態法改正は、端的に、違憲であると思われる。
 日本に対する武力攻撃の有無は、法的には0か1かで判断しうるのに対して、存立危機の有無は、明確な判断基準となりえない。
 日米安保条約については、砂川事件最高裁も1960年の岸信介首相も、個別的自衛権を前提としていると述べてきたにもかかわらず、日米安保体制と集団的自衛権が順接につながるかのような誤解が見られると思われる。
 議会による統制についても、アメリカなどの外国で、議会が軍の活動を統制する定めがあることが紹介されても、大戦後に経験した過去の派兵について実際にその定めが機能せず苦労していることが知られていないように思われる。
 ■ 名古屋大学大学院法学研究科教授・愛敬浩二氏
 安保法制の問題点として、以下の点を挙げておく。
 ○自衛隊が正真正銘の戦場で戦闘行動を行う危険性が飛躍的に高まる。後方支援の「地理的限定」が解除されれば、世界各地で米軍が参加する軍事行動に対する後方支援を担当させられる危険性が高い。従来の「戦闘地域・非戦闘地域」の区別と比べて、1「現に戦闘が行われている現場」と2「行われていない現場」の境界は不明確であり、現場の判断が尊重されることになる。2の状態で自衛隊が後方支援をしていたところ、短時間のうちに1の状態になった場合、自衛隊の離脱が実際上可能であるとは思われない。結果として、自衛隊は正真正銘の戦場で戦闘行動を行う危険性が飛躍的に高まる。
 ○集団的自衛権行使の解禁は、在日米軍基地の恒久化を招く。現在の日米安保条約は、日本が個別的自衛権しか認めてこなかったため、米軍駐留の建前は、日本と極東の安全のためとされている(6条)。「沖縄に海兵隊が多数駐留しているのはおかしい」と批判できるのも、そのためである(尖閣諸島国有化以前の情勢下でのマイヤーズ元米統合参謀本部議長の苦しい説明を参照。「沖縄海兵隊は防衛の決意」朝日新聞2010/07/20)。日本が「限定的」にせよ集団的自衛権行使を解禁すれば、「日本と極東」という縛りは完全になくなるので、日本と極東の安全保障環境が改善されても、米軍が日本から出て行く理由はなくなる。
 ○安保法制の正当化根拠として砂川事件最高裁判決を持ち出すことの問題性。砂川事件最高裁判決については、米国による政治的圧力と、最高裁長官を含めた日本政府側の「迎合」が明らかにされている。今回の安保法制も、国会審議の前に新ガイドラインを策定し、安倍首相が米議会で期限を示して法整備を約束するなど、対米従属の姿勢が顕著である。安保法制が整備されれば、米国の要請に対して、これまでの政府のように「憲法上、協力できない」とはいえず、「政策上、協力したくない」と言わなければならない政府が、独立国の憲法裁判として恥ずべき経緯と内容の砂川事件最高裁判決を持ち上げるのは、憂慮すべき事態である。
 ■ 早稲田大学法学学術院教授・水島朝穂氏
 この法案は、これ以上はないというほどの、徹頭徹尾憲法違反である。そもそも昨年7月1日の閣議決定が重大な違憲行為だった。今回の法案はその具体化にほかならないから、どこかに修正を加えて違憲性を治癒するという可能性はまったくない。直ちに廃案にすべきものである。
 ※参考:拙著『ライブ講義 徹底分析!集団的自衛権』(岩波書店、2015年)
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2015/0601.html
 ○ 閣議決定が、集団的自衛権と個別的自衛権が「重なり合っている」部分について限定的に集団的自衛権を認めたものという見解が憲法研究者の一部にある。このアンケートでもそのような意見が見られると思う。「新3要件」に限定した集団的自衛権行使を正当化する議論であるが、これは間違いである。
 両者は「自国に対し発生した武力攻撃に対処するものであるかどうかという一点において、明確に区別されるものであ」り、ある武力行使が個別的自衛権にあたるのか、それとも集団的自衛権にあたるのかは二者択一の関係にあり、両者が同時に成立することはない。これは確立した政府解釈だった(2003年7月15日政府答弁書より)。
 ※参考:http://www.asaho.com/jpn/bkno/2015/0602.html
   http://www.okinawatimes.co.jp/cross/?id=253
 ○ そもそも私は日本国憲法9条のもとで個別的自衛権も放棄していると解しており、「必要最小限度の実力の保持は憲法9条に違反しない」という自衛力合憲論を否定する立場である。したがって、今回の法案に対しては根本的に違憲とする立場だが、昨年の『世界』5月号の論文以降、ホームページや拙著を通じて、60年にわたる政府解釈(自衛力合憲論)を閣議決定で覆した、立憲主義に反する安倍政権の狼藉を批判することに重点を置いている。
   http://www.asaho.com/jpn/bkno/2014/0428.html
   http://www.asaho.com/jpn/bkno/2014/0707.html
 ■ 早稲田大学社会科総合学術院教授・西原博史氏
 憲法もですが、法律も「将来万が一、愚かな首相が権力を握っても国民の生命をオモチャにしたりできないように、首相が自衛官を危険にさらしてよい場面を限定しておく」ためにあるのです。そのことに対する自覚を欠いた政権には、安全保障法制を提案する資格がありません。
 ということで、「存立危機事態」等をきちんと定義する姿勢を示せるかどうかは、これからも日本が法治国家であり続けられるのかに関わります(憲法で国家権力を縛るのが立憲主義であり、その立憲主義の枠内でも、行政権は常に法律によって縛られていなければならないとするのが法治国家・法治主義ですから)。
 実際に人類は、「権力は暴走する危険がある」という認識を踏まえてフェール・セーフの国政運営システムを作ろうとしてきました。立憲主義、法治国家、法の支配、呼び方はいろいろありますが、要するにそういうこと。
 政治家は国民の人気取りに走って合理性のない決断をする危険がある、軍隊は敵を目の前にすれば殲滅したくなって暴走する危険がある、情報が足りない国民は判断を誤ることがある。こういうポイントでヒューマン・エラーが戦争を引き起こしたりしないように、自衛隊法のような、実力部隊の投入に壁を作る法律があるわけです。その壁を作り替える必要が生じる場合、というのは当然に存在し得ます。しかし、その壁を作り替えるに際して、その時々の権力者がうまく運用するから壁の材質はどうでもよい、と考えるのは、あまりに無責任です。
『報道ステーション』
http://www.tv-asahi.co.jp/hst/info/enquete/
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