オンラインイベントで映し出された授賞式会場の様子 (「核兵器をなくす日本キャンペーン」提供)
☆ ノーベル平和賞を次に繋ごう! 来年2月に核兵器をなくす国際市民フォーラムを開催 (レイバーネット日本)
竪場勝司
「オスロはアツかった! ノーベル平和賞を次に繋ごう! 核兵器をなくす国際市民フォーラム キックオフSP」と銘打ったオンラインイベントが12月22日、開かれた。
オスロで行なわれた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に対するノーベル平和賞の授賞式の模様の報告や、2025年2月に東京で開かれる「被爆80年 核兵器をなくす国際市民フォーラム」の内容や見どころの紹介などがあった。
主催は一般社団法人「核兵器をなくす日本キャンペーン」。
キャンペーンは、核兵器廃絶の運動に取り組んでいる日本被団協やピースボートなどのNGOが協力して今年4月に立ちあげた団体で、すべての世代が連携した運動を展開し、2030年までの核兵器禁止条約への日本の参加を目指している。
☆ オスロで被爆者やNGOがさまざまな取り組み、街に熱気
イベントの前半では、オスロに渡航したキャンペーン事務局の浅野英男さんと、キャンペーン長崎コーディネーターの林田光弘さんが、授賞式など現地であったさまざまな取り組みの様子を語った。司会進行は広島コーディネーターの田中美穂さんが務めた。
この機会にオスロに行って、日本からのメッセージを世界に発信しようと、ピースボートや原水爆禁止日本協議会(日本原水協)を中心にツアーが企画され、浅野さんは50人を超えるツアーの一員だった。
一行は授賞式前の12月9日、ノルウェーの国会前で集会を開き、被爆者らが国会議員に折り鶴を手渡した。
同日、オスロ大学の植物園で、広島の被爆樹木の種を植樹するセレモニーもあった。
10日の授賞式の時間帯は、オスロの公立図書館のホールで開かれたパブリックビューイングに、オスロ市民と一緒に参加。浅野さんは
「田中煕巳さんが話される言葉一つ一つを、そうだそうだとうなずきながら会場の人たちが話している様子が、とても印象的だった。煕巳さんのスピーチが終わった後は、会場の全員が立ち上がって、スタンディングオベーションで拍手だった。授賞式の会場には入れなかったが、そこと一緒にいるような気持ちでパブリックビューイングをしていた」
と語った。
現地での全体の様子について、浅野さん
「オスロは本当に寒くて、日中でもマイナス1度とか2度、夜や早朝だとマイナス7とか8という世界だった。その寒い世界を上回るほどの、たくさんの感動、熱気、いろいろなイベント、取り組みがあった」
と振り返った。
☆ 被爆者が積み上げてきたものが伝わってきた授賞式
林田さんは、日本被団協が呼びかけた被爆者国際署名のキャンペーンリーダーを務めた縁で、日本被団協の代表団の一員として授賞式に参加した。授賞式会場の様子について、
「映像では伝わらないような空気がこの場にはあった。前から4列目ぐらいまでのところに、被爆者やそのご家族のみなさんが座っていたが、横からすすり泣く声が聞こえ、ずっと小刻みに体が震えている方もいた。これまで積み上げてきたものが、感情として、しぐさとして出ていた時間だったのではないか」
と語った。
オスロでの活動について、林田さんは
「一言で言うなら、仲間がたくさんいた、という感じだった。オスロ市民もそうだし、世界中から集まったNGOのみなさんもそう。日本の中で活動していて、『届いているのかな』と不安になる時もあるが、被爆者のメッセージや広島・長崎のメッセージ、私たちの声が世界に届いていて、それに応えて動いている仲間たちがたくさんいるということを、実感することができた。すごくエンパワーされる時間だった」
と振り返った。
また、今後の運動の取り組みについては
「今回、これがゴールではなくて、始まりだと思うので、授賞によって注目度が高まっている今だからこそ、伝えなくてはいけないことがたくさんある。私たちが当たり前のことだと思っていることが、私たちの想像以上に、世界の人たちには伝わっていない、というのが現実だと思う。いわゆる『被爆の実相』と一言で片づけてしまうことが、いったい何なのかということを、細かく伝えていくことが大事だ」
と強調していた。
☆ 「核兵器のない世界」へ、自分は何ができるのか
イベントの後半は、浅野さん、キャンペーン専務理事の川崎哲さん、事務局の松村真澄さんの3人が登壇し、2月8日、9日の2日間、東京の聖心女子大を会場に開かれる「核兵器をなくす国際市民フォーラム」の概要について、説明があった。
フォーラムは、被爆者の声を受けて、「核兵器なくす必要がある」というメッセージを日本から出していこうと企画された。海外からゲストを招き、いろいろなテーマで議論をし、さまざまな人たちがつながるスペースを設け、会場に来た人たちが核兵器をなくすために自分は何ができるのかを考えていく場にしたい、との狙いだ。
目標として
①25年は被爆80年であり、しっかりと核兵器をなくす取り組みをしていく出発点とする
②3月には核兵器禁止条約の第3回締約国会議があり、それに向けて機運を盛り上げていく、
の二つを掲げている。
1日目は全体会で、開会セッションでは日本被団協の田中煕巳さんが基調講演する。
浅野さんは
「被爆者のメッセージをしっかり聴き、今の世界が核兵器が使われてしまうかもしれないという状況にある中で、自分たちが目指すべき『核兵器のない世界』を想像して、そこにどう向かっていくのか。大きな絵図を描くようなセッションをしたい」
と説明した。
全体会は開会セッションの後、海外からのゲストを交えて具体的な課題について議論する。テーマとして
「グローバルヒバクシャと核被害者援助」、
「核兵器禁止条約の普遍化」、
「朝鮮半島の非核化と平和」、
「東アジア地域の核軍縮を進めるために」
があがっている。
2日目は分科会で、10近い部屋に分かれて、展示やカフェコーナー、ネットワーキングなどを、参加者が自由に行き来することができる。
広島・長崎の被爆樹木の部屋や、人権・環境など他の分野のアクティビストと対話できる部屋も設けられる予定だ。
映画や音楽、絵本の読み聞かせのコーナーなども検討されている。
キャンペーンでは、フォーラムへの多くの人の参加を呼び掛けているが、チケットは1月初旬から販売予定だ。フォーラムへの協賛も募っている。問い合わせは以下のリンクへ。
https://nuclearabolitionjpn.com/
『レイバーネット日本』(2024-12-28)
http://www.labornetjp.org/news/2024/1222for
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