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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

☆ パレスチナ『和平交渉』最悪アメリカ大統領ランキング

2025年01月12日 | 平和憲法

  =立川テント村通信:イスラエル、パレスチナ問題の深層を探る 第9回=
 ☆ 最悪のアメリカ大統領は誰だ!

 この原稿の元ネタは、『パレスチナ和平交渉の歴史』阿部俊哉:2024:みすず書房刊)である。著者は元JICAパレスチナ事務所長。日本政府に近いところで活動してきた人物と想像できる。
 本書は、1980年代(インテイファーダ期)から始まるいわゆる「和平交渉」の歴史をひたすら事実に即して丹念におった本である。怒りや善悪を排除した書き口はパレスチナに関する本では異例だろうが、読み応えがある。
 だが、いささか内容が固いので、今回は同書をもとに独断と偏見で、「パレスチナ『和平交渉』最悪アメリカ大統領ランキング」を発表する!

 ☆ 最悪大統領【第6位】ブッシュ(父) 任期89~93年

 父ブッシュといえぱ湾岸戦争と新世界秩序のイメージだ。だが、「歴史上最もイスラエルに厳しかった大統領」と言われていたのは意外な事実。
 湾岸戦争ではアラブ諸国が米軍に味方した。米主導の安定的な秩序を中東に生み出せると考えたブッシュに立ちはだかったのが、イスラエルの入植地問題だった。
 米国はイスラエルが資金調達する際に信用保証をすることを72年から続けているが、ブッシュは米国の信用保証で得た資金で入植地健設が進められていることを問題視。一部信用保証の延期を実行に移した
 イスラエルから激しい批判を受け、また米国内の親イスラエル派と対立し、それが原因で再選を目指す92年大統領選に敗北したという。

 ☆ 最悪大統領【第5位】オバマ 任期09~17年

 オバマの最大の課題は、対テロ戦争で傷ついた米国の威信の回復だった。就任当初から「イスラム圏との和解」をテーマに掲げ、入植地建設中止をイスラエルに迫った
 ネタニヤフはオバマの顔を立てるふりをして入植地の一時凍結を約束するが、実際には建設中3千戸を凍結から除外、東エルサレムも建設継続という形だけのものだった。
 しかしオバマは、この欺瞞の「入植凍結」を「和平の進展に貢献」と評価してしまう。
 足元を見透かしたネタニヤフは、「入植凍結」や「イラン核合意への同意」をカードにオバマから計380億ドルもの軍事援助を引き出した
 これは過去の政権と比べても前例のない規模である。オバマの与えた兵器で、今日もガザの命が奪われている。

 ☆ 最悪大統領【第4位】ブッシュ(子) 任期01~09年

 前任のクリントン政権の和平交渉はとん挫し、就任当初ブッシュはパレスチナに関心がなかった。それが変わったのが、01年9月のNY同時多発「テロ」だ。
 アフガン、そしてイラクヘターゲットを定めたネオコンの「中東民主化構想」のなかで、パレスチナとの向き合いを余儀なくされていく。
 ブッシュの要求はシンプルだ。「民主的なパレスチナ国家」をブッシュはアラファトに迫った。「権力を手放せ。選挙を行え」と。
 確かにPLO指導部にも腐敗はあった。04年末、アラファトがその闘いの生涯を終えると、ついにパレスチナのすべての党派が参加する総選挙が行われる。
 第1党になったのはハマスだった。だが、民主化の旗を振ったはずのブッシュはハマス政権を認めず早々に経済制裁を課した。
 ブッシュは、自らが開けたパンドラの箱の中身を直視できなかった。だがそれでも、箱を開けたのがブッシュであったことは聞違いない。

 ☆ 最悪大統領【第3位】バイデン 任期21~25年

 現下のガザ虐殺を黙認しているだけでも最悪だが、予兆はあつた。トランプが進めた米大使館のエルサレム移転について、バイデンは就任当初から何も語らなかった。
 2021年(今から思えば今回の惨禍を防ぐ最後のチャンスだった)ファタハとハマスの大連立構想があと一歩と一いうところまでいった。
 ハマスはイスラエル容認に舵をきってアピールした。だがバイデンは「ハマスはテロ・集団」と繰り返し、統一パレスチナ政府を潰した
 ハマス軍事指導部は、壁を越える決断を下した。

 ☆ 最悪大統領【第2位】クリントン 任期93~01年

 握手をするアラファトラビン。その背後で、両腕を大きく広げたクリントン。ホワイトハウス中庭でのオスロ合意の調印式は、90年代最高の報一道写真の一枚だろう。
 だがクリントンは、前ブッシュ政権の対イスラエル政策を批判し、「統一エルサレムはイスラエルの首都」「パレスチナ国家樹立に反対」と選挙戦でアピールして当選した大統領だった。
 オスロは最初から欺瞞の合意だった。パレスチナはイスラエル国家を承認したが、逆はなかった
 「占領」と「自治」の間に都合よくパレスチナは宙づりにされた。人々は、希望と絶望を交互に与えられ、その間に入植地と犠牲者の数は、増えていった。
 オスロ以降も和平交渉は果てしなく続き、「話合い」と「合意」が好きなクリントンは、結局パレスチナに妥協を強いてばかりいた
 2000年に退任直前の最後の「交渉」が決裂に終わった後、クリントンはこう述べた。「バラク(イスラエル首相)は前進した。アラファトを責めるのではなくバラクを称賛する」
 こうして栄光の一枚は、抑圧のーページに追加された。

 ☆ 最悪大統領【第1位】トランプ 任期17~21年

 不吉な終わり方だが、トランプの一期目はパレスチナには悪すぎた。この問題の長い歴史の中で、米国も飲まざるを得ない「建前」がいくつかあるが、その多くをトランプは反故にした

エルサレムをイスラエルの首都と認めて大使館を移転…
西岸の併合を支持…
イスラエルへの批判に抗議して国連人権理事会を離脱
ワシントンのPLO事務所を閉鎖
難民支援を大幅に削減…。

 以上、どの大統領にもできなかったことをトランプはまとめてやった。その上で19年、唐突に発表したのが「世紀のデイール」プランである。
 パレスチナ側とは一切交渉一せずに、これまでで最もひどい条件をパレスチナに提示し、しかも経済支援は湾岸諸国にやらせるという内容だった。
 パレスチナは反発したが、トランプの代理人は「もしこれが受け入れられなければイスラエルはどの計画も受け入れない」と述べた。興味を失ったトランプは「世紀のデイール」の話も止めた

(M)

『テント村通信 第563号』(2025年1月1日)

 


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