《「子どもと教科書全国ネット21ニュース」から》
◆ 政府による教科書の書き換えは許せない
ベルリン女の会
政府が「従軍慰安婦」と「強制連行」に関する統一見解を閣議決定し、検定済み教科書の記述の削除や変更を教科書会社に迫ったという。
ドイツに住む私たちは、「子どもと教科書全国ネット21」が抗議文への団体賛同を呼びかけていることを、「女たちの戦争と平和資料館wam」のメーリングリストで知った。
過去に起きた事実を政府の解釈次第で削除・変更させる。そのような歴史の歪曲が、維新・自民の国会議員と政府の見事に息の合ったやりとりで大きな議論も呼ばずに進んだことに、私たちは驚愕した。
しかもその布石はすでに2014年に置かれていたという。この年、「閣議決定その他の方法により示された政府の統一的見解又は最高裁判所の判例が存在する場合には、それらに基づいた記述がされていること」という条項が教科書検定基準に加えられたことによって、歴史研究の成果を無視した教科書の書き換えが可能にされ、政府は今回それを実行に移したのだ。
賛同締め切りに間に合うよう、とりあえず会の同意をまとめ、その後の集まりで、改めてこの問題について話し合った。以下はその報告である。
◆ 事実をなかったことに?
時の政権が自己の解釈を押し通す目的でルールを変える。検定の良し悪しはさておき、検定基準自体を政府が崩して行くことが恐ろしいとAさんは言い、今回は「慰安婦」問題や植民地の歴史が攻撃の対象にされたが、今後は他の分野でも政権に都合の悪い事実が書き換えられ、なかったことにされて行くのではないかと懸念する。
Bさんは、「従軍慰安婦」として人権を奪われ、性奴隷として屈辱を受け、戦後も苦難の人生を送った人が多くいる現実を、言葉を巧みに変え、あたかもなかったかのようにするなど、あってはならないと語気を強める。
「従軍慰安婦」という用語は、「自ら軍に従った」と読めるため、問題がないとは言えない。しかし政府の統一見解のように、「軍」を切り離して単に「慰安婦」とすることは、この問題が軍とは無関係であったとの解釈に道を開くものだ。それでは、日本政府が公式見解とする「河野談話」の「従軍慰安婦」という言葉は一体どうなるのか、軍の関与を明言した「河野談話」の空洞化に繋がってはいけないと、Cさん。
削除どころか、むしろ積極的に伝えていくべきことだ、日本も残虐なことをしてきたのだという加害者としての歴史も共有していかねば、とDさんもいう。
◆ ドイツで加害責任を知る
私たちのこの思いは、成人後ドイツに移り住んだ私たちの経験に裏打ちされている。
ある人は学校教育で、日本は被爆国=戦争の被害者だと教えられたといい、またある人は、戦争は良くないという文脈であっても、教師からは自分の被害体験しか聞かされなかったと語る。
私たちは、そのようにして自国の加害責任について考える契機を持たないままドイツにきて、友人からの問いに十分に答えられない自分を知った。そんな瞬間は長年この地に住んだのちにも訪れる。
例えばEさんは、日本の終戦記念日がその植民地だった国や侵略された国では解放記念日であることをインドネシア出身の友人から聞き、日本は加害国だったとあらためて実感した。つい最近のことだ。
◆ ナチズムに向き合う学校教育
ドイツ社会が自国の負の歴史に真摯に取り組んできたことは日本でも知られているが、自分の子どもを通してそのことを実感した人たちもいる。
ベルリンの生徒は「民主主義と独裁」という単元で、ナチズムがいかにして起こり、どのような結果をもたらしたかを、繰り返し学ぶ。
後期中等教育のこの単元では、強制収容所跡記念館などを見学する校外授業が義務付けられている。ナチズムのテーマはドイツ語の授業でも扱われ、日本語にも翻訳された現代小説の「朗読者」、あるいは「アンネ・フランクの日記」などを生徒たちは読み、議論する。
また、子どもたちは授業の中で、歴史事実のみでなく、大人や友だちから不当な扱いを受けたら強く抗議することも教わる。
ひたすら恭順と同調を強いたナチズム下の強権的教育への反省に基づく授業だ。
授業における教師の裁量も大きい。
なお教育は中央政府ではなく州政府の管轄であり、その基準となる教育法や授業枠組み計画は州が決め、当然教科書も州により異なる。
ベルリン州のように検定のない州もあり、中央政府が教科書記述に介入するような事態はそもそも起こりえない。
もっともドイツの生徒たちも、戦後等しくこのような教育を受けてきたわけではない。
この話し合いの後、Fさんが周囲のドイツ人数人に訊ねたところ、現在70代の人たちの殆どが、ナチ時代を扱う授業がなかったと答え、ある人は、一般市民の多くがナチスに同調し、あるいは加担したドイツでは、1960年代、ナチズムについて客観的な視点に立った学校教育をするには程遠かったと証言している。
それには1968年の学生運動の影響を受けた社会の変化を待たねばならなかった。
◆ 歴史の歪曲は許されない
教科書の記載は歴史を学ぶ指針となるはず。教科書から事実が消えれば、海外に出る若者は知らされなかった自国の歴史に向き合って戸惑うだろう。国際的に通じる人格形成は教育の目的ではないか。
教科書に書かれた史実を歪曲することは国の責任回避だと、みなが口を揃える。
日本でマイノリティとして生きてきたGさんは、様々な国からきた多様なルーツの子どもたちが日本の学校で学んでいるが、その子たちの現在と将来のためにも学校教育の中で歴史事実を教えることは大切だと言い、さらに、事実を消そうとする政権の姿勢が各地でマイノリティへの過激な行為を誘発してはいないかと、昨夏京都のウトロ地区で起きた放火事件の例を挙げる。
そこでは、事実を記録する貴重な歴史資料が文字通り消されてしまったと。
教師として「日の丸・君が代」強制の現場を知るHさんは、右派による教育支配の総仕上げが始まったと危惧する。
今回のような事態を今後も許すならば、先の戦争を「大東亜戦争」とよばなくてはならないようなことにつながりかねないと、Iさんも怖れる。
今回、政権の圧力にも関わらず、多くの教科書会社が記述を残し、あるいは注記を付して実質的な削除を回避した。その努力に拍手を送りたい。
今こそ私たち市民が彼らを支えるときではないのか。
「ナチスがコミュニストを連れ去った時、私は黙っていた。私はコミュニストじゃなかった」で始まる、神学者で反ナチ運動組織「告白教会」のマーティン・ニーメラーの言葉が思い出される。
「彼らが私を攻撃したとき私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」という彼の苦い思いは、繰り返したくない。
※ 「ベルリン女の会」は、来歴、職業、年齢とも様々な40人(日本や他の都市の在住者、ごく少数の男性も含む)の緩い集まり。月一度の例会は日本語で情報交換のできる貴重な機会で、主にベルリン在住者が平均10名ほど参加する。
代表を置かない徹底排除した草の根スタイルには、「国籍法」学習会を機に会が発足した1982年当時の西ベルリン社会の雰囲気が残る。その社会に育てられたことにもよろうが、メンバーは様々な社会問題に関心が強い。
80年代に、ベルリンで開かれた富山妙子展で韓国女性グループと出会い、それが日本軍「慰安婦」問題に閲わるきっかけにもなった。
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 142号』(2022.2)
◆ 政府による教科書の書き換えは許せない
ベルリン女の会
政府が「従軍慰安婦」と「強制連行」に関する統一見解を閣議決定し、検定済み教科書の記述の削除や変更を教科書会社に迫ったという。
ドイツに住む私たちは、「子どもと教科書全国ネット21」が抗議文への団体賛同を呼びかけていることを、「女たちの戦争と平和資料館wam」のメーリングリストで知った。
過去に起きた事実を政府の解釈次第で削除・変更させる。そのような歴史の歪曲が、維新・自民の国会議員と政府の見事に息の合ったやりとりで大きな議論も呼ばずに進んだことに、私たちは驚愕した。
しかもその布石はすでに2014年に置かれていたという。この年、「閣議決定その他の方法により示された政府の統一的見解又は最高裁判所の判例が存在する場合には、それらに基づいた記述がされていること」という条項が教科書検定基準に加えられたことによって、歴史研究の成果を無視した教科書の書き換えが可能にされ、政府は今回それを実行に移したのだ。
賛同締め切りに間に合うよう、とりあえず会の同意をまとめ、その後の集まりで、改めてこの問題について話し合った。以下はその報告である。
◆ 事実をなかったことに?
時の政権が自己の解釈を押し通す目的でルールを変える。検定の良し悪しはさておき、検定基準自体を政府が崩して行くことが恐ろしいとAさんは言い、今回は「慰安婦」問題や植民地の歴史が攻撃の対象にされたが、今後は他の分野でも政権に都合の悪い事実が書き換えられ、なかったことにされて行くのではないかと懸念する。
Bさんは、「従軍慰安婦」として人権を奪われ、性奴隷として屈辱を受け、戦後も苦難の人生を送った人が多くいる現実を、言葉を巧みに変え、あたかもなかったかのようにするなど、あってはならないと語気を強める。
「従軍慰安婦」という用語は、「自ら軍に従った」と読めるため、問題がないとは言えない。しかし政府の統一見解のように、「軍」を切り離して単に「慰安婦」とすることは、この問題が軍とは無関係であったとの解釈に道を開くものだ。それでは、日本政府が公式見解とする「河野談話」の「従軍慰安婦」という言葉は一体どうなるのか、軍の関与を明言した「河野談話」の空洞化に繋がってはいけないと、Cさん。
削除どころか、むしろ積極的に伝えていくべきことだ、日本も残虐なことをしてきたのだという加害者としての歴史も共有していかねば、とDさんもいう。
◆ ドイツで加害責任を知る
私たちのこの思いは、成人後ドイツに移り住んだ私たちの経験に裏打ちされている。
ある人は学校教育で、日本は被爆国=戦争の被害者だと教えられたといい、またある人は、戦争は良くないという文脈であっても、教師からは自分の被害体験しか聞かされなかったと語る。
私たちは、そのようにして自国の加害責任について考える契機を持たないままドイツにきて、友人からの問いに十分に答えられない自分を知った。そんな瞬間は長年この地に住んだのちにも訪れる。
例えばEさんは、日本の終戦記念日がその植民地だった国や侵略された国では解放記念日であることをインドネシア出身の友人から聞き、日本は加害国だったとあらためて実感した。つい最近のことだ。
◆ ナチズムに向き合う学校教育
ドイツ社会が自国の負の歴史に真摯に取り組んできたことは日本でも知られているが、自分の子どもを通してそのことを実感した人たちもいる。
ベルリンの生徒は「民主主義と独裁」という単元で、ナチズムがいかにして起こり、どのような結果をもたらしたかを、繰り返し学ぶ。
後期中等教育のこの単元では、強制収容所跡記念館などを見学する校外授業が義務付けられている。ナチズムのテーマはドイツ語の授業でも扱われ、日本語にも翻訳された現代小説の「朗読者」、あるいは「アンネ・フランクの日記」などを生徒たちは読み、議論する。
また、子どもたちは授業の中で、歴史事実のみでなく、大人や友だちから不当な扱いを受けたら強く抗議することも教わる。
ひたすら恭順と同調を強いたナチズム下の強権的教育への反省に基づく授業だ。
授業における教師の裁量も大きい。
なお教育は中央政府ではなく州政府の管轄であり、その基準となる教育法や授業枠組み計画は州が決め、当然教科書も州により異なる。
ベルリン州のように検定のない州もあり、中央政府が教科書記述に介入するような事態はそもそも起こりえない。
もっともドイツの生徒たちも、戦後等しくこのような教育を受けてきたわけではない。
この話し合いの後、Fさんが周囲のドイツ人数人に訊ねたところ、現在70代の人たちの殆どが、ナチ時代を扱う授業がなかったと答え、ある人は、一般市民の多くがナチスに同調し、あるいは加担したドイツでは、1960年代、ナチズムについて客観的な視点に立った学校教育をするには程遠かったと証言している。
それには1968年の学生運動の影響を受けた社会の変化を待たねばならなかった。
◆ 歴史の歪曲は許されない
教科書の記載は歴史を学ぶ指針となるはず。教科書から事実が消えれば、海外に出る若者は知らされなかった自国の歴史に向き合って戸惑うだろう。国際的に通じる人格形成は教育の目的ではないか。
教科書に書かれた史実を歪曲することは国の責任回避だと、みなが口を揃える。
日本でマイノリティとして生きてきたGさんは、様々な国からきた多様なルーツの子どもたちが日本の学校で学んでいるが、その子たちの現在と将来のためにも学校教育の中で歴史事実を教えることは大切だと言い、さらに、事実を消そうとする政権の姿勢が各地でマイノリティへの過激な行為を誘発してはいないかと、昨夏京都のウトロ地区で起きた放火事件の例を挙げる。
そこでは、事実を記録する貴重な歴史資料が文字通り消されてしまったと。
教師として「日の丸・君が代」強制の現場を知るHさんは、右派による教育支配の総仕上げが始まったと危惧する。
今回のような事態を今後も許すならば、先の戦争を「大東亜戦争」とよばなくてはならないようなことにつながりかねないと、Iさんも怖れる。
今回、政権の圧力にも関わらず、多くの教科書会社が記述を残し、あるいは注記を付して実質的な削除を回避した。その努力に拍手を送りたい。
今こそ私たち市民が彼らを支えるときではないのか。
「ナチスがコミュニストを連れ去った時、私は黙っていた。私はコミュニストじゃなかった」で始まる、神学者で反ナチ運動組織「告白教会」のマーティン・ニーメラーの言葉が思い出される。
「彼らが私を攻撃したとき私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」という彼の苦い思いは、繰り返したくない。
※ 「ベルリン女の会」は、来歴、職業、年齢とも様々な40人(日本や他の都市の在住者、ごく少数の男性も含む)の緩い集まり。月一度の例会は日本語で情報交換のできる貴重な機会で、主にベルリン在住者が平均10名ほど参加する。
代表を置かない徹底排除した草の根スタイルには、「国籍法」学習会を機に会が発足した1982年当時の西ベルリン社会の雰囲気が残る。その社会に育てられたことにもよろうが、メンバーは様々な社会問題に関心が強い。
80年代に、ベルリンで開かれた富山妙子展で韓国女性グループと出会い、それが日本軍「慰安婦」問題に閲わるきっかけにもなった。
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 142号』(2022.2)
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