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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

支援学校での「君が代」斉唱強制の意味

2012年08月20日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 《第3回「日の丸・君が代」裁判全国学習・交流集会・資料(大阪)》
 ◇ THE CRYING STONES 特別版 2012.8.10
私的かわら版 編集・文責 奥野泰孝(茨木支援高等部)

 「国歌斉唱」時、立たなかったからと、3月27日、戒告処分を受けました。
 不寛容な人から「寛容になれ!」と、命令されているようです。


 私は職場で同僚にこの様なミニコミを配っています。そもそも前任校(府立高校)で、教育長の口頭厳重注意を受けた時の経緯を、同僚に知ってもらおうと、「同僚のみなさんへ」という手紙を制って配ったのが始まりです。現勤務校では、「ザ・クライング・ストーンズ」と題し1年目から始め、6年で71号になりました。タイトルは、聖書ルカ伝19章40節からです。
 イエスはお答えになった。『言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす』。
(略)
 「君が代」起立斉唱強制にはずっと従っていません。
 今回の処分、府立支援学校で2名不起立だったということを強調します。支援学校での「国歌斉唱」強制の意味を考えてほしいのです。
 2001年T養護学校で、卒業式で「国歌斉唱は強制ではありません、・・・」という発言をしたために、懲戒処分を受けていたTさんの人事委員会審理の中の証人尋問での弁護士と元校長のやり取りを紹介します。
 弁護士「君が代の『君』はどのような意味を持つと考えますか
 証人「不特定多数のみなさん、という意味で歌わせようと考えていた。子どもさんに理解できるときに、徐々に教えていけばいいと考える。」
 弁護士「君が代の君を理解できない児童生徒に歌を歌わせること自体、強制になるのではないですか
 証人「強制でない範囲だ」

 「支援学校(高等部)」での闘いは「一般校(普通高校など)」の闘いと特徴的に違うところがあると思います。「なぜ立たないか」ということを生徒に言葉で論理的に伝えにくいのです。
 小学校もそうかもしれません。しかし高学年は意味はわかるでしょう。やがて、成長して、「あの不起立の意味はなんだったのだろう?」と考える時が来ると思うのです。
 また、支援学校の生徒は卒業後、社会で自立して労働していくには、はじき出されないでまわりについて行こうという意識があると思います。
 大人のさとしも、極端に曲げてしまえば「生きる力とはまわりに合わせていくことなんんだよ」となってしまうかもしれません。幼い時から、平均と大きく離れているからといって、いじめの対象になってきた者には、安心して生活するには「あいつおかしいな」と目立ちたくはないのです。
 作業所のレクでプロ野球観戦に行った時、「国歌斉唱」があり、まわりの者がほとんど立つなか、連帯感の共有を求めて立つと思うのです(確固とした反対の理由が内心になければ)。
 車いすの児童生徒に付き添う教員も「国歌斉唱」時は起立しなさいと職務命令が出されています。「国歌」で立ち、「校歌」で生徒に合わせ座る教員もいます。
 私はこの4月新入生の担任なのに、入学式から排除されました。歩行・移動に介助が必要な生徒なのにです。教師も保護者もほとんど立つ中、立つ生徒たちの前で、支援学校教員が一人・二人、不起立する意味は何か。それは信じる未来がないならできないことです
 少数者が無視されいじめに合う、そして、多くの者が自己保身のため多数派に溶け込もうとする空気を変えたいのです。
 支援学校においても一般校においても同じ責任を児童生徒に負っている闘いという根本は同じです(方法は現場によって工夫しないといけないですが)。
 不服申し出して、闘いを続けます。支援よろしくお願いします。

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