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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

処分申し渡しと研修の様子:大阪2012春

2012年08月20日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 《第3回「日の丸・君が代」裁判全国学習・交流集会・資料(大阪)》
 ◇ 卒業式に関して、戒告処分の辞令を受けて


 卒業式の「職務命令違反」で戒告処分を2012年3月27日(火)に受けました。流れを振り返ります。(O)
 3月16日(金)に府教委に呼び出され「3月7日の卒業式」での国歌斉唱時の不起立についての事情聴取を受けました。
 部屋には、私と府教委職員が3人、そして職揚の管理職がいました。そこでは30分ほどのやり取り。取調べで言葉は丁寧ですが、威圧感があります。氏名、所属、住所、生年月日、学歴、職歴を聞かれ言わされるのです。
 立たなかった理由を聞かれました。しかし、3月12日に准校長に上申書として渡したものが、府教委に届いています。事情聴取時、私の目の前の机上にそのコピー(A4、1枚)が置かれてありました。「ここに理由は書いたので言う必要はありません。またこの上申書は管理職に出したものなので、コピーは破棄し、原本は返してほしい。」と言いましたが、できません、と断られました。
 「反省していますか」と問われ、「全くしていません」と答え、「4月には入学式がありますが、起立しますか」と問われ、「答えるまでもありません」と答えました。
 その後30分ほど待たされ、出来上がった調書にサインと捺印を求められましたが、拒否しました。それで終わりました。
 3月27日(火)は「処分申し渡しと研修」ということで大阪府公館に呼び出されました。
 14時15分に、管理職と公館前で待ち合わせ、すぐに公館の狭い門から中に入れられました。そして、すぐ一人ずつ部屋に入れられ、処分を伝達されました。私は不当だと訴えました。相手は質問には答えませんでした。
 その後広い部屋に通され、「研修」まで待たされました。伝達が終わった被処分者が続々と入ってきて、その部屋に被処分者は11人になりました。新聞では12人となっていましたから、多分、処分伝達の時、抗議し研修を拒否して帰った人が1名いるのでしょう。
 会場後ろに座っていた面々は管理職でしょう。待つ間、私語は禁止されました。飲料を買いに行きたいという被処分者に対しダメだという返事。抗議のやり取りの後、同行してきた管理職が外に買いに行きました。
 研修は府教委職員によってなされ、30分ほど、「府公務員の服務規律について」の講義。朗読しているだけ。質問は受け付けないということでしたが、全部の話が終わってから、内容についての質問をしました。会場からは3人ほど質問などの発言をしたと思います。外に集まる支援者の抗議の声が微かに聞こえていました。
 研修ののち、一人ずつ別室に呼ばれ、机につかされ、前に2名座り、机上の紙を示されました。文書にはタイトルがありません。そこに印字されているのは
 「今後、入学式や卒業式などにおける国歌斉唱時の起立斉唱を含む上司の職務命令には従います。
 平成年月日 所属 職・氏名______印」

 だけ。
 どこに提出なのかも解らない怪文書。考えておくと言ってそのまま文書を持ち帰りました。「翌日午前中に上司に提出するように」と伝えられました。また「この提出は強制ではない。また文書を書きかえてもいい。」と言われました。
 私は「今回の戒告の具体的な不利益は何か」聞きましたが、それは現場の上司に聞いてください、というのが府教委の返事でした。
 16時までに解放されたと記憶します。外に出て、100人ほどの支援者の前で「これからがスタート。土の器に宝を持ちたい」というような感想を言いました。その誓約書のようなものは提出していません。
門真三中への「君が代」処分をただす会通信『れんこん』(vol.11 2012/8/1)から

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