◆ 西原博史さん講演ミニ報告記(Tネット)
~教師が教師であることを止めない教師がいる限り、必ずや「君が代」裁判は続いていく

昨夜の教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク(Tネット)第5回総会・西原博史さん講演会に多数ご参加いただきありがとうございました!
今朝、私の半分ぐらいの年齢(笑)の元同僚より、下記メールが届いていました。
「わかりやすかったです!大阪での動きがまとめられて、反権力の教員排除の流れが、歴史的に理解できました。ありがとうございました!」
嬉しいです。ものいうことが憚られるような空気感漂う学校で彼女が苦労していることを知っているだけに、おそらく、昨夜の講演は彼女にとって励みになっただろうと思われます。
さて、西原さんのお話は、トランプのメディア活用?の話から、今は権力によって「真理」が作られる時代であることに始まり、
そもそも、学校に「日の丸・君が代」が持ち込まれたのは、1958年の学習指導要領からと、強制が政治とのどのようなかかわりの中で、どのようになされていったか、わかりやすく話してくださいました。
また、「君が代」最高裁判決の動向や問題点、今後の見通しについても「最高裁は揺れている」と。
これは、私たちにとって大きな励ましになります。
「君が代」裁判は受け継ぎ、そして受け継がれていくものだと思います。そう考えると、たとえ、本裁判が敗訴に終わっても、必ずや、「君が代」裁判は続いていくでしょう。教師が教師であることを止めない教師がいる限りは。
そして、本講演のメインである大阪の条例の違憲性については、胸のすくような明快な論理で、これが、憲法で保障されているところの直接的侵害であることは疑いようがないと述べられました。
ただ、それが大阪高裁に通じるかというところでは大阪高裁の裁判官にはあまり人権感覚は期待できないと、司法の現況も聞かせていただきました。
私が一番印象に残ったことは、最後の結びに言われたことでした。
この国に生きるすべての子どもたちが、本当に一人ひとり、自分の心に正直に、自分に嘘をつかず、自分が正しいと思うことを口にし、それで議論しあうなかで、国づくりを進めていけるようにしたい。
権力を持った人たちの中には少なからず、それをよしとしない人がいる以上、現時点で、なお闘い続けなければならない、と。
現職を退いて、日本の公教育に直接かかわる機会はなくなりましたが、元教員、いや何より大阪府民として、「人はだれでも幸せになる権利がある」ことをアピールしつつ、一人ひとりの子どもが自分らしく生きることを妨げられないような社会を作っていくのは政治でも権力を有する人でもなく、私たち市民の力であり責任であることを改めて思いました。
たたかいはまだまだ続きます。
でも、当たり前に、自分の主張を述べていきたいと思います。
今後ともどうかよろしくお願いいたします。
『教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク』(2017-02-19)
http://blog.goo.ne.jp/tnet0924/e/b46aba92bfd45ed7cda6b707b96ad465
~教師が教師であることを止めない教師がいる限り、必ずや「君が代」裁判は続いていく

昨夜の教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク(Tネット)第5回総会・西原博史さん講演会に多数ご参加いただきありがとうございました!
今朝、私の半分ぐらいの年齢(笑)の元同僚より、下記メールが届いていました。
「わかりやすかったです!大阪での動きがまとめられて、反権力の教員排除の流れが、歴史的に理解できました。ありがとうございました!」
嬉しいです。ものいうことが憚られるような空気感漂う学校で彼女が苦労していることを知っているだけに、おそらく、昨夜の講演は彼女にとって励みになっただろうと思われます。
さて、西原さんのお話は、トランプのメディア活用?の話から、今は権力によって「真理」が作られる時代であることに始まり、
そもそも、学校に「日の丸・君が代」が持ち込まれたのは、1958年の学習指導要領からと、強制が政治とのどのようなかかわりの中で、どのようになされていったか、わかりやすく話してくださいました。
また、「君が代」最高裁判決の動向や問題点、今後の見通しについても「最高裁は揺れている」と。
これは、私たちにとって大きな励ましになります。
「君が代」裁判は受け継ぎ、そして受け継がれていくものだと思います。そう考えると、たとえ、本裁判が敗訴に終わっても、必ずや、「君が代」裁判は続いていくでしょう。教師が教師であることを止めない教師がいる限りは。
そして、本講演のメインである大阪の条例の違憲性については、胸のすくような明快な論理で、これが、憲法で保障されているところの直接的侵害であることは疑いようがないと述べられました。
ただ、それが大阪高裁に通じるかというところでは大阪高裁の裁判官にはあまり人権感覚は期待できないと、司法の現況も聞かせていただきました。
私が一番印象に残ったことは、最後の結びに言われたことでした。
この国に生きるすべての子どもたちが、本当に一人ひとり、自分の心に正直に、自分に嘘をつかず、自分が正しいと思うことを口にし、それで議論しあうなかで、国づくりを進めていけるようにしたい。
権力を持った人たちの中には少なからず、それをよしとしない人がいる以上、現時点で、なお闘い続けなければならない、と。
現職を退いて、日本の公教育に直接かかわる機会はなくなりましたが、元教員、いや何より大阪府民として、「人はだれでも幸せになる権利がある」ことをアピールしつつ、一人ひとりの子どもが自分らしく生きることを妨げられないような社会を作っていくのは政治でも権力を有する人でもなく、私たち市民の力であり責任であることを改めて思いました。
たたかいはまだまだ続きます。
でも、当たり前に、自分の主張を述べていきたいと思います。
今後ともどうかよろしくお願いいたします。
『教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク』(2017-02-19)
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