◆ アメリカ合州国は、なぜ教育制度を破壊しているのか(2)
■ 属国も同じ教育破壊
小学生に英語を教えるよりも、高校生に、こうした文章(※リンク)を読める力をつけることの方がよほど大切だろう。その逆を無理やり押しつける文部科学省という組織、学習や科学する力を破壊する組織なのだろう。「属国は宗主国を模倣する。」
教育を破壊することの大切さを充分理解している宗主国は、日本だけでなく、イラクでも、教育を徹底的に破壊している。
イラク: 高等教育における、大規模な不正行為と腐敗
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-e094.html
アメリカの対イラク戦争-文明の破壊
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/--d6cd.html
土肥さんという元都立三鷹高校校長が、高校の職員会議で『挙手・採決』を禁止することに反対して、退職後の継続採用を拒否され、訴訟をしておられる。
職員会議で『挙手・採決』が禁止、というのであれば、日本、北朝鮮と変わらないではないか?そう、日本は、北朝鮮レベルの国なのだ。原発情報発信をみれば、ソ連以下の国であることは誰でもわかるだろう。
子供が放射能で汚染された校庭で遊び、やがて甲状腺ガンになっても、関知しない国だ。とうとう、国内の国民すら棄民する国だ。
■ 吉本隆明のあきれた超楽観主義
教育にあたるとは断定できないが、吉本隆明という人、小生が学生時代に、一世を風靡していたと記憶している。多くの同級生、彼の発言を、先生方の発言より、有り難がっていた。「吉本ばななのお父さん」ではなく、日本言論界のヒーローだった(ように被害妄想している?)。
彼が1982年に書いた『「反核」異論』なる本がある。刊行当時大評判になったらしい。(マスコミの「評判」なるもの、品質を保障するものではないだろう。)
彼の言説、体質的に全く受け付けられない(早い話が、難解な論理を理解するIQがない)ので、当時読まずにいたが、今回思い出し、我慢して読んでみた。
東工大卒業の人物による文章だが、高校の物理・数学につまずいた小生でも、唖然とする手放しの楽観主義。本当にこの言説で、旧左翼なるものをなぎ倒せたのだろうか?
ほぼ日刊イトイ新聞で、最近の発言も読める。「ほんとうの考え」。是非とも、この文章について、「ほんとうのコメント」を頂きたいものだ。
http://www.1101.com/truth/2011-04-24.html
『「反核」異論』の60ページから、62ページを丸ごと転記させていただこう。ただし太字部分は、小生が加工した。
もちろんマルクスが資本制生産の解明が「社会」の「科学」であると信じ、序文で宣明しているのは「科学」が政治や党派にたいしてニュートラルだといいたかったのではない。 「科学」が本質的には自然の解明であり「社会」にも自然史の延長として解明して大過ない「本質」的な性格を示す部分があり、その範疇でだけ、「社会」の経済学的分析をじぶんがやっていると信じたのだ。もちろん「核」エネルギイの解放もまったくおなじことだ。
その「本質」は自然の解明が、分子・原子(エネルギイ源についていえば石油・石炭)次元から一次元ちがったところへ進展したことを意味する。この「本質」は政治や倫理の党派とも、体制・反体制とも無関係な自然の「本質」に属している。この「本質」を政治や倫理と混同すれば、黒古一夫や山本啓のように暗黒主義や原始主義の陥穽にかかってしまう。山本啓はもともと本質論を欠いた機能主義者だから、わたしの論議を正確に読めない。そればかりか、すぐに政治的応用や政治的統御の問題にすりかえて、典型的に「政治」と「科学」の混同に陥込んでいる。何もちっとも理解できてはいない。それにもっとひどいのは、専門外のことだと、幼稚な倫理主義者に退化してしまう、つまらぬ啓蒙科学者の言説を鵜呑みにしていることだ。
「放射性物質は、その放射能が半減する半減期が、いちばんみじかいものでセシウム一三七の三〇年、プルトニウム二三九にいたっては、何と半減期が二四三六〇年である。いま日本に蓄積されている放射性物質はドラム缶で五〇〇〇〇本をとうにこえており、この南太平洋への海洋投棄がおおきな政治問題化しているのも、周知のことだろう。核エネルギー開発をこれ以上すすめていくのかどうか、この選択以上に政治的な問題はない。」(同前)
知ったかぶりをして、つまらぬ科学者の口真似をすべきではない。自然科学的な「本質」からいえば、科学が「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である。また物質の起源である宇宙の構造の解明に一歩を進めたことを意味している。これが「核」エネルギイにたいする「本質」的な認識である。
すべての「核」エネルギイの政治的・倫理的な課題の基礎にこの認識がなければ、「核」廃棄物汚染の問題をめぐる政治闘争は、倫理的反動(敗北主義)に陥いるほかないのだ。山本啓の言辞に象徴される既成左翼、進歩派の「反原発」闘争が、着実に敗北主義的敗北(勝利可能性への階程となりえない敗北)に陥っていくのはそのためだ。こんなことは現地地域住民の真の批判に耳を傾ければすぐに判ることだ。半衰期が約二万四千年だから、約五万年も放射能が消えないプルトニウム廃棄物質にまみれて、あたかも糞尿に囲まれて生活するかのような妄想を、大衆に与えるほかに、どんな意味もない。いいかえれば開明によってではなく、迷蒙によって大衆の「反原発」のエネルギイをひき出そうとする闘争に陥るほかないのだ。
山本啓の放射能廃棄物質への妄想は、大江健三郎の「核」兵器への妄想と寸分ちがわぬ被虐的(マゾヒック)なものにすぎぬ。山本は核エネルギイの解放の「本質」が、即自的に宇宙の構造の解明、いいかえれば物質の起源への接近の一歩の前進にあたっているという本質論を欠いている。
そのため途方もない「核廃棄物質終末論」の袋小路につんのめっている。あとは躓いて倒れるほか道はない。山本啓に専門的認識を要求してもはじまらないが、現代物理化学のイロハでも知っていれば、「核」廃棄放射能物質が「終末」生成物だなどというたわけ果てた迷蒙が、科学の世界をまかり通れるはずがないのだ。宇宙はあらゆる種類と段階の放射能物質と、物質構成の素粒子である放射線とに充ち満ちている。半衰期がどんな長かろうと短かかろうと、放射性物質の宇宙廃棄(還元)は、原理的にはまったく自在なのだ。この基本的な認識は、「核」エネルギイの解放が、物質の起源である宇宙構造の解明の一歩前進と同義をなすものだという本質論なしにはやってこない。
山本啓のような機能的な政治主義エコロジストに捉えられるはずがない。だから「放射性物質のような非更新性のエネルギーは、それ以上の再処理の仕様がないのだ」という「核廃棄物質終末論」に陥ちこみ、その反動として「のこされた道は、更新性のエネルギーに依存して(つまり石油.石炭・薪・木炭生活ということか?)生態系の物質循環のなかで定常的な生活」を夢みる暗黒主義者、原始主義者に転落してしまうのだ。山本啓がどこまで本気で「反原発」闘争に取組んでいるのかは知らぬが、この「本質」的な認識を欠いた闘争が、勝利への一里塚としての敗北にもならぬ、ただの敗北主義的敗北に終ることはわかりきっている。山本の云い草をそっくり投げ返せば、それこそが国家権力である自民党政府に反対したつもりで、じつは加担以外の何も意味しはしない。聴く耳があればわたしの批判をきくがよい。なければじぶんたちだけで転落すればよい。ただ反動的な理念で「反原発」の大衆運動を出鱈目な方向に嚮導することだけは誰にも許されてはいないのだ。
しかし、現時点で考えれば、
科学が「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である、などとどうして言えるのだろう?
吉本の云い草をそっくり投げ返せば、それこそが国家権力である自民党・民主党政府に反対したつもりで、じつは加担以外の何も意味しはしない。
不思議なのは、まさに彼のこの部分の発言を、有り難がる皆様が多数おられたということだ。いまも削除せずに、そのままにされているのは、心から有り難がっておられるのだろう。
■ 犯罪教師を多数派にする文科省の教育行政
IQの低い素人には、偉大な思想家の不思議な言説よりも、「おんな組いのち」webに緊急掲載された中山千夏さんによる「私のための原発メモ」pdfのほうが、ありがたい。
http://onnagumi.jp/appealFile/20110426genpatu.pdf
生徒を放射能にさらす規制値緩和を推進する文部科学省にたいして、反抗する先生方こそ、人間の教師であり、教育破壊科学省に服従し、規制を守る人々は、反抗ならぬ、生徒を、危険にさらす『犯行』をしているのだ。犯人であっても、教師ではないだろう。
そういう犯罪教師を多数派にすべく、国も、企業も、教育制度を破壊しているのだ。
政府は、想定外の津波などではなく、地震のおかげで、大事故となった原発から放出した放射性物質で、「次世代の日本人」を危険に曝している。
そもそも膨大な使用済み核燃料をあんな場所に蓄えているなど知らされていなかった。使用済み核燃料や、他の放射性廃棄物、危険でなくなるのは、100,000年先の話。
原子力発電を行う際に生じる放射性廃棄物の永久処分場として、フィンランド、オルキルオトに建設中の”オンカロ(隠された場所)”の作業・人々のドキュメンタリー。『100,000年後の安全』 渋谷アップリンク、池袋シネマ・ロサ等で上映中。
http://www.uplink.co.jp/100000/
16億年?も安定した岩盤を掘削し、地下500mに危険な放射性廃棄物を埋め、2100年に全て埋め戻してしまうのだという。
安全になるのは、10万年後。
ピラミッドに残された記録の解読さえままならない我々が、一体どうやって、100,000年先の人類?に、「危険な場所だから、掘り返すな」というメッセージを残せるのだろう。
図で?絵で?国連の言語で?
日本には、もちろん16億年?も安定した岩盤など、どこにもない。
「トイレのないマンション」で発生した、危険な廃棄物、100,000年の間、一体どうするのだろう。
どうしても、
即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である。
とは考えられない。お弟子さん?のイトイさん、教えてください。
(完)
『マスコミに載らない海外記事』(2011年4月29日)
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-1a78.html
■ 属国も同じ教育破壊
小学生に英語を教えるよりも、高校生に、こうした文章(※リンク)を読める力をつけることの方がよほど大切だろう。その逆を無理やり押しつける文部科学省という組織、学習や科学する力を破壊する組織なのだろう。「属国は宗主国を模倣する。」
教育を破壊することの大切さを充分理解している宗主国は、日本だけでなく、イラクでも、教育を徹底的に破壊している。
イラク: 高等教育における、大規模な不正行為と腐敗
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-e094.html
アメリカの対イラク戦争-文明の破壊
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/--d6cd.html
土肥さんという元都立三鷹高校校長が、高校の職員会議で『挙手・採決』を禁止することに反対して、退職後の継続採用を拒否され、訴訟をしておられる。
職員会議で『挙手・採決』が禁止、というのであれば、日本、北朝鮮と変わらないではないか?そう、日本は、北朝鮮レベルの国なのだ。原発情報発信をみれば、ソ連以下の国であることは誰でもわかるだろう。
子供が放射能で汚染された校庭で遊び、やがて甲状腺ガンになっても、関知しない国だ。とうとう、国内の国民すら棄民する国だ。
■ 吉本隆明のあきれた超楽観主義
教育にあたるとは断定できないが、吉本隆明という人、小生が学生時代に、一世を風靡していたと記憶している。多くの同級生、彼の発言を、先生方の発言より、有り難がっていた。「吉本ばななのお父さん」ではなく、日本言論界のヒーローだった(ように被害妄想している?)。
彼が1982年に書いた『「反核」異論』なる本がある。刊行当時大評判になったらしい。(マスコミの「評判」なるもの、品質を保障するものではないだろう。)
彼の言説、体質的に全く受け付けられない(早い話が、難解な論理を理解するIQがない)ので、当時読まずにいたが、今回思い出し、我慢して読んでみた。
東工大卒業の人物による文章だが、高校の物理・数学につまずいた小生でも、唖然とする手放しの楽観主義。本当にこの言説で、旧左翼なるものをなぎ倒せたのだろうか?
ほぼ日刊イトイ新聞で、最近の発言も読める。「ほんとうの考え」。是非とも、この文章について、「ほんとうのコメント」を頂きたいものだ。
http://www.1101.com/truth/2011-04-24.html
『「反核」異論』の60ページから、62ページを丸ごと転記させていただこう。ただし太字部分は、小生が加工した。
もちろんマルクスが資本制生産の解明が「社会」の「科学」であると信じ、序文で宣明しているのは「科学」が政治や党派にたいしてニュートラルだといいたかったのではない。 「科学」が本質的には自然の解明であり「社会」にも自然史の延長として解明して大過ない「本質」的な性格を示す部分があり、その範疇でだけ、「社会」の経済学的分析をじぶんがやっていると信じたのだ。もちろん「核」エネルギイの解放もまったくおなじことだ。
その「本質」は自然の解明が、分子・原子(エネルギイ源についていえば石油・石炭)次元から一次元ちがったところへ進展したことを意味する。この「本質」は政治や倫理の党派とも、体制・反体制とも無関係な自然の「本質」に属している。この「本質」を政治や倫理と混同すれば、黒古一夫や山本啓のように暗黒主義や原始主義の陥穽にかかってしまう。山本啓はもともと本質論を欠いた機能主義者だから、わたしの論議を正確に読めない。そればかりか、すぐに政治的応用や政治的統御の問題にすりかえて、典型的に「政治」と「科学」の混同に陥込んでいる。何もちっとも理解できてはいない。それにもっとひどいのは、専門外のことだと、幼稚な倫理主義者に退化してしまう、つまらぬ啓蒙科学者の言説を鵜呑みにしていることだ。
「放射性物質は、その放射能が半減する半減期が、いちばんみじかいものでセシウム一三七の三〇年、プルトニウム二三九にいたっては、何と半減期が二四三六〇年である。いま日本に蓄積されている放射性物質はドラム缶で五〇〇〇〇本をとうにこえており、この南太平洋への海洋投棄がおおきな政治問題化しているのも、周知のことだろう。核エネルギー開発をこれ以上すすめていくのかどうか、この選択以上に政治的な問題はない。」(同前)
知ったかぶりをして、つまらぬ科学者の口真似をすべきではない。自然科学的な「本質」からいえば、科学が「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である。また物質の起源である宇宙の構造の解明に一歩を進めたことを意味している。これが「核」エネルギイにたいする「本質」的な認識である。
すべての「核」エネルギイの政治的・倫理的な課題の基礎にこの認識がなければ、「核」廃棄物汚染の問題をめぐる政治闘争は、倫理的反動(敗北主義)に陥いるほかないのだ。山本啓の言辞に象徴される既成左翼、進歩派の「反原発」闘争が、着実に敗北主義的敗北(勝利可能性への階程となりえない敗北)に陥っていくのはそのためだ。こんなことは現地地域住民の真の批判に耳を傾ければすぐに判ることだ。半衰期が約二万四千年だから、約五万年も放射能が消えないプルトニウム廃棄物質にまみれて、あたかも糞尿に囲まれて生活するかのような妄想を、大衆に与えるほかに、どんな意味もない。いいかえれば開明によってではなく、迷蒙によって大衆の「反原発」のエネルギイをひき出そうとする闘争に陥るほかないのだ。
山本啓の放射能廃棄物質への妄想は、大江健三郎の「核」兵器への妄想と寸分ちがわぬ被虐的(マゾヒック)なものにすぎぬ。山本は核エネルギイの解放の「本質」が、即自的に宇宙の構造の解明、いいかえれば物質の起源への接近の一歩の前進にあたっているという本質論を欠いている。
そのため途方もない「核廃棄物質終末論」の袋小路につんのめっている。あとは躓いて倒れるほか道はない。山本啓に専門的認識を要求してもはじまらないが、現代物理化学のイロハでも知っていれば、「核」廃棄放射能物質が「終末」生成物だなどというたわけ果てた迷蒙が、科学の世界をまかり通れるはずがないのだ。宇宙はあらゆる種類と段階の放射能物質と、物質構成の素粒子である放射線とに充ち満ちている。半衰期がどんな長かろうと短かかろうと、放射性物質の宇宙廃棄(還元)は、原理的にはまったく自在なのだ。この基本的な認識は、「核」エネルギイの解放が、物質の起源である宇宙構造の解明の一歩前進と同義をなすものだという本質論なしにはやってこない。
山本啓のような機能的な政治主義エコロジストに捉えられるはずがない。だから「放射性物質のような非更新性のエネルギーは、それ以上の再処理の仕様がないのだ」という「核廃棄物質終末論」に陥ちこみ、その反動として「のこされた道は、更新性のエネルギーに依存して(つまり石油.石炭・薪・木炭生活ということか?)生態系の物質循環のなかで定常的な生活」を夢みる暗黒主義者、原始主義者に転落してしまうのだ。山本啓がどこまで本気で「反原発」闘争に取組んでいるのかは知らぬが、この「本質」的な認識を欠いた闘争が、勝利への一里塚としての敗北にもならぬ、ただの敗北主義的敗北に終ることはわかりきっている。山本の云い草をそっくり投げ返せば、それこそが国家権力である自民党政府に反対したつもりで、じつは加担以外の何も意味しはしない。聴く耳があればわたしの批判をきくがよい。なければじぶんたちだけで転落すればよい。ただ反動的な理念で「反原発」の大衆運動を出鱈目な方向に嚮導することだけは誰にも許されてはいないのだ。
しかし、現時点で考えれば、
科学が「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である、などとどうして言えるのだろう?
吉本の云い草をそっくり投げ返せば、それこそが国家権力である自民党・民主党政府に反対したつもりで、じつは加担以外の何も意味しはしない。
不思議なのは、まさに彼のこの部分の発言を、有り難がる皆様が多数おられたということだ。いまも削除せずに、そのままにされているのは、心から有り難がっておられるのだろう。
■ 犯罪教師を多数派にする文科省の教育行政
IQの低い素人には、偉大な思想家の不思議な言説よりも、「おんな組いのち」webに緊急掲載された中山千夏さんによる「私のための原発メモ」pdfのほうが、ありがたい。
http://onnagumi.jp/appealFile/20110426genpatu.pdf
生徒を放射能にさらす規制値緩和を推進する文部科学省にたいして、反抗する先生方こそ、人間の教師であり、教育破壊科学省に服従し、規制を守る人々は、反抗ならぬ、生徒を、危険にさらす『犯行』をしているのだ。犯人であっても、教師ではないだろう。
そういう犯罪教師を多数派にすべく、国も、企業も、教育制度を破壊しているのだ。
政府は、想定外の津波などではなく、地震のおかげで、大事故となった原発から放出した放射性物質で、「次世代の日本人」を危険に曝している。
そもそも膨大な使用済み核燃料をあんな場所に蓄えているなど知らされていなかった。使用済み核燃料や、他の放射性廃棄物、危険でなくなるのは、100,000年先の話。
原子力発電を行う際に生じる放射性廃棄物の永久処分場として、フィンランド、オルキルオトに建設中の”オンカロ(隠された場所)”の作業・人々のドキュメンタリー。『100,000年後の安全』 渋谷アップリンク、池袋シネマ・ロサ等で上映中。
http://www.uplink.co.jp/100000/
16億年?も安定した岩盤を掘削し、地下500mに危険な放射性廃棄物を埋め、2100年に全て埋め戻してしまうのだという。
安全になるのは、10万年後。
ピラミッドに残された記録の解読さえままならない我々が、一体どうやって、100,000年先の人類?に、「危険な場所だから、掘り返すな」というメッセージを残せるのだろう。
図で?絵で?国連の言語で?
日本には、もちろん16億年?も安定した岩盤など、どこにもない。
「トイレのないマンション」で発生した、危険な廃棄物、100,000年の間、一体どうするのだろう。
どうしても、
即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である。
とは考えられない。お弟子さん?のイトイさん、教えてください。
(完)
『マスコミに載らない海外記事』(2011年4月29日)
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