▲ 保坂のぶと世田谷区長選、当選
わたくしが保坂のぶと氏が世田谷区長選に立候補するというウワサを耳にしたのは4月5日のことだった。てっきりここ2年定着した杉並区で活動を続けるものだと思っていたので、正直驚いた。
ただ2000年6月と2003年11月の衆議院選では東京6区(世田谷西部、北部)から立候補したので元に戻ったともいえる。
15日に世田谷区民センターで行われた「保坂のぶと世田谷大集会」に参加すると、会場はほぼいっぱい200人以上の人が詰めかけていた。
3月30日に地元の区議などが中心になり区長選候補の話し合いが行われ、保坂氏に立候補を要請し、それから立候補が決まったとのことなので本当に急な話だったようだ。
集会では、田中良・杉並区長、二木啓孝・日刊ゲンダイ元ニュース編集部長、西崎光子・都議(世田谷区)らからスピーチがあった。
保坂候補を応援することにしたのは09年夏の衆議院選、10年夏の参議院選での縁もあるが、なんといっても3月の都議会で花輪ともふみ都議が民主党を裏切り、築地市場移転賛成に転じたことが大きい。花輪都議は、「築地市場の移転・再整備に関する特別委員会」委員長だった。
応援とはいっても、区長選は期間が限られているのでわたくしは事務所に3回行っただけだった。1回目は郵送する書類の三つ折りの手伝い、2回目はポスターへの両面テープ貼りをした。いままではポスターを貼りに外に出ることが多く室内作業はあまりやったことがなかったので、こういうふうにテープ貼りをするのかと、初めてわかった。3回目は最終日だったので電話帳をベースにした電話入れだった。留守の家も含め全部で120-130本電話することができた。
事務所内はこれまで以上に*20代の若者が多かった。また支援する人は、埼玉、千葉、神奈川、日野など遠いところからやって来た保坂ファンが結構いた。
最終日の打ち上げ街頭演説は、午後の雨が降り止まぬなか、選挙事務所のある下北沢駅北口で19時から行われた。「トーク&ライブ」のタイトルどおり、山本夜羽音、高須基仁、三井環、鈴木邦男、石坂啓、矢崎泰久、小中陽太郎ら多彩で豪華な顔ぶれのスピーチがあった。いかにも保坂氏らしい顔ぶれである。
BENCH(Human Beat Box)やPANTA(頭脳警察)も登場した。
保坂候補は、下北沢で計画中の26m道路、成城・喜多見地区の外環道の問題、4年で2500万円の区長退職金の廃止などを訴えた。情報公開をはかり、再開発にしても連続立体交差事業にしてもどれくらいかかっているか、どの業者と価格はいくらで契約しているか ガラス張りになれば悪いことをしにくくなる。
また立候補決断の最大の要因となった3・11大震災について、杉並区を参考に、中堅職員を被災地に派遣すること、被災者に区内で空いている部屋を区が先頭になりあっせんをすること、など被災地支援の具体策を語った。
区民87万人を代表し、八ッ場問題でも大震災問題でも、国と直談判し、都知事にもおかしいとおもうことははっきり言う、と決意を表明し、区政を刷新し、世田谷から日本を変えようと、選挙のキャッチフレーズを語った。
わたしは国政に復帰したほうが合っていると思っていたが、こういう方向から国政へのアプローチもあるのかと納得した。
最後に「ほさかコール」のシュプレヒコールを行った。「ほさか、ほさか、ほさか」「のぶと、のぶと、のぶと」「ほさかのぶと!」。気温が低く1時間の屋外集会で体は冷え切ったが、心は熱くなった。
24日(日)夜NHKラジオで開票速報を聴いた。出口調査では接戦とのことだった。区の選管発表は11時30分からということだったが、その少し前NHKが当確を打った。12時ごろには本人の*喜びの声も放送された。アナウンサーが「原発なしでどうやって区民の電力を賄うのか」など意地悪な質問もしていたが、危なげなくかわしていた。ひょっとして1時ごろ間違いだったと発表するのではないかとまで思ったが、翌朝になっても当選は夢や幻ではなかった。
保坂新区長は、27日に初登庁、29日には被災地の*南相馬市と飯舘村を訪問した。
推計人口87万人というと、高知県や福井県より大きく、政令指定都市の新潟市や静岡市を上回る。
ぜひ、世田谷から国政や都政に対し、積極的に発言してほしい。
『多面体F』より(2011年05月02日)
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/fc9da592ecdc44dc15f393c87784e441
わたくしが保坂のぶと氏が世田谷区長選に立候補するというウワサを耳にしたのは4月5日のことだった。てっきりここ2年定着した杉並区で活動を続けるものだと思っていたので、正直驚いた。
ただ2000年6月と2003年11月の衆議院選では東京6区(世田谷西部、北部)から立候補したので元に戻ったともいえる。
15日に世田谷区民センターで行われた「保坂のぶと世田谷大集会」に参加すると、会場はほぼいっぱい200人以上の人が詰めかけていた。
3月30日に地元の区議などが中心になり区長選候補の話し合いが行われ、保坂氏に立候補を要請し、それから立候補が決まったとのことなので本当に急な話だったようだ。
集会では、田中良・杉並区長、二木啓孝・日刊ゲンダイ元ニュース編集部長、西崎光子・都議(世田谷区)らからスピーチがあった。
保坂候補を応援することにしたのは09年夏の衆議院選、10年夏の参議院選での縁もあるが、なんといっても3月の都議会で花輪ともふみ都議が民主党を裏切り、築地市場移転賛成に転じたことが大きい。花輪都議は、「築地市場の移転・再整備に関する特別委員会」委員長だった。
応援とはいっても、区長選は期間が限られているのでわたくしは事務所に3回行っただけだった。1回目は郵送する書類の三つ折りの手伝い、2回目はポスターへの両面テープ貼りをした。いままではポスターを貼りに外に出ることが多く室内作業はあまりやったことがなかったので、こういうふうにテープ貼りをするのかと、初めてわかった。3回目は最終日だったので電話帳をベースにした電話入れだった。留守の家も含め全部で120-130本電話することができた。
事務所内はこれまで以上に*20代の若者が多かった。また支援する人は、埼玉、千葉、神奈川、日野など遠いところからやって来た保坂ファンが結構いた。
最終日の打ち上げ街頭演説は、午後の雨が降り止まぬなか、選挙事務所のある下北沢駅北口で19時から行われた。「トーク&ライブ」のタイトルどおり、山本夜羽音、高須基仁、三井環、鈴木邦男、石坂啓、矢崎泰久、小中陽太郎ら多彩で豪華な顔ぶれのスピーチがあった。いかにも保坂氏らしい顔ぶれである。
BENCH(Human Beat Box)やPANTA(頭脳警察)も登場した。
保坂候補は、下北沢で計画中の26m道路、成城・喜多見地区の外環道の問題、4年で2500万円の区長退職金の廃止などを訴えた。情報公開をはかり、再開発にしても連続立体交差事業にしてもどれくらいかかっているか、どの業者と価格はいくらで契約しているか ガラス張りになれば悪いことをしにくくなる。
また立候補決断の最大の要因となった3・11大震災について、杉並区を参考に、中堅職員を被災地に派遣すること、被災者に区内で空いている部屋を区が先頭になりあっせんをすること、など被災地支援の具体策を語った。
区民87万人を代表し、八ッ場問題でも大震災問題でも、国と直談判し、都知事にもおかしいとおもうことははっきり言う、と決意を表明し、区政を刷新し、世田谷から日本を変えようと、選挙のキャッチフレーズを語った。
わたしは国政に復帰したほうが合っていると思っていたが、こういう方向から国政へのアプローチもあるのかと納得した。
最後に「ほさかコール」のシュプレヒコールを行った。「ほさか、ほさか、ほさか」「のぶと、のぶと、のぶと」「ほさかのぶと!」。気温が低く1時間の屋外集会で体は冷え切ったが、心は熱くなった。
24日(日)夜NHKラジオで開票速報を聴いた。出口調査では接戦とのことだった。区の選管発表は11時30分からということだったが、その少し前NHKが当確を打った。12時ごろには本人の*喜びの声も放送された。アナウンサーが「原発なしでどうやって区民の電力を賄うのか」など意地悪な質問もしていたが、危なげなくかわしていた。ひょっとして1時ごろ間違いだったと発表するのではないかとまで思ったが、翌朝になっても当選は夢や幻ではなかった。
保坂新区長は、27日に初登庁、29日には被災地の*南相馬市と飯舘村を訪問した。
推計人口87万人というと、高知県や福井県より大きく、政令指定都市の新潟市や静岡市を上回る。
ぜひ、世田谷から国政や都政に対し、積極的に発言してほしい。
『多面体F』より(2011年05月02日)
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/fc9da592ecdc44dc15f393c87784e441
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