☆ 板垣竜太の「植民地支配責任」論 (多面体F)
今年も3.1朝鮮独立運動の集会が2月25日(日)午後、文京区民センターで開催された(主催:「3.1朝鮮独立運動」日本ネットワーク 参加:160人)。今年のメイン講演は板垣竜太さんだった。
「植民地支配責任」とは何かという話に始まり、3.1運動を起点に、植民地支配責任を追及する力と否定する力、2つの力の絡まり合いで戦後の講和条約、日韓協定、そして現在の状況を読み解こうという議論の進め方だった。
わたくしがこれまでさまざまな講演や集会で聴いてきた歴史修正主義、嫌韓流・在特会などのレイシズム、植民地支配責任、戦争責任、関東大震災時の虐殺、2001年のダーバン宣言などの関係を解読するもので、なるほどと理解できた。
現代レイシズムの一事例「フジ住宅」の被害当事者と支える会の方のお話を2年ほど前にお聞きしたこともあった。
じつは板垣さんのお話は、もう15年以上前だが、「マンガ嫌韓流」が流行していたころお聞きしたことがあった。今回も、この本の「論法」や時代背景の分析の話で啓発された。
☆ いまこそ植民地支配責任を問う
板垣竜太さん(同志社大学教授)
1 3.1運動にみる問題の絡まり合い
● 植民地支配責任とは何か
戦争責任というと、戦犯裁判で裁かれるような戦争犯罪に対する責任(あるいは裁かれなかった責任)に関わるところが中心に置かれる。とりわけ日中戦争からアジア太平洋戦争にかけての戦争責任が日本の戦争責任の中心であると理解されている。
しかし3.1運動はどう考えてもアジア太平洋戦争、日中戦争という枠には入ってこない。3.1運動をはじめ植民地支配の過程で起きたもろもろの人権侵害、暴力は本当に戦争責任という概念でつかまえきれるのか、そういうところから植民地支配責任という概念が登場してきた。
植民地支配責任を考えるうえでは、植民地化の過程の段階、植民地支配が本格的に始まった状況、そしていわゆる戦時体制へと突入していく時期、脱植民地化の過程と大きく4つに分けることができる。
植民地支配が本格的に始まったのちの時期、3.1運動は代表例である。
韓国の歴史学者たちの国史編纂委員会がまとめた3.1運動データベースがある。公文書だけで禁欲的にカウントしただけで死者800-1100人、デモの発生1798件、参加者82-106万人とある。「植民地支配責任」という概念なしにはなかなかつかまえにくい被害だ。
戦時体制期は、慰安婦問題、強制動員(いわゆる強制連行)問題など、日本のなかでも非常に注目されてきた問題が含まれている。
戦争責任と植民地支配責任は重なるところは当然ある。一方で、既存の戦争責任概念ではつかまえ切れないさまざまな問題が植民地支配責任には入ってくる。
こうした観点をもちながらあらためて3.1運動について2つの側面で見る。
● 3.1運動の広がりと民族意識
万歳デモに参加した人は当時の人口1680万人のうち6.4%、15-16人に1人参加していた。これはすごいことだ。赤ちゃんも含めた1680万人なのでさらに割合は高くなる。
25年前になるが慶尚道の尚州(サンジュ)という町に住み地域史を調べた。
小岩里という小さな村で、川沿いの道を歩きながら「大韓独立バンザイ」と唱えることをやった。これを警察が察知し20人以上が逮捕されうち2人が実刑判決を受けた。おそらく逮捕された人は拷問を受けている。
3.1後、地域に青年会などの運動体が多くできていく。そのなかには民族主義、社会主義という方向に展開していく団体もあった。その起点がやはり3.1運動だった。
● 3.1運動の否定と帝国意識
一方日本人の側は、これに対し、対照的な認識が圧倒的だった。
民族意識と対照的に「帝国意識」というといいかもしれない。
在朝日本人(植民者として朝鮮に住んでいる日本人)は民間人だが、危機感を覚えて武装自衛団をあちこちで作り始める。中心にいたのは在郷軍人会、消防組員だった。関東大震災の後の自警団と似たようなものを在朝日本人たちがやっていた。
朝鮮に住んでいない日本人は朝鮮で起きていることは新聞などを通じて知るしかない。義兵闘争のときに「暴徒」という言葉が新聞に増え、10年代に一時落ち着いたかと思うと3.1運動をひとつの起点として、「不逞鮮人」という言葉が登場し始め、それが武装闘争の報道に使われるようになった。
そこから日本に反抗する危険な朝鮮人がいるという認識がいっきょに広まっていく、それが関東大震災虐殺の背景になったと考えられる。
● 2つの力の生成と成長
3.1運動が起こり、締め付ける植民地支配責任を追及する力を生み出し、植民地支配差別への不当性、理不尽さへの反発と抵抗、闘い被害を受けた人やその親戚もいるわけで、いろんなかたちで被害経験や闘争経験の集合性というかたちで民族主義を形成させ植民地支配責任を追及する力になっていった。
一方でその反動とでもいうべき植民地支配責任を否認する力も生み出してきた。帝国意識といったが、日本人の優越感と朝鮮人蔑視、相対的には少ない人数で朝鮮統治を日本人がしている状況なのでなんらかの優越意識がないともたないという側面もある。自分たちはいいことをしている、遅れていた朝鮮を近代化してあげている恩恵史観と朝鮮停滞史観が一体となり帝国意識をつくり出していく。
2 植民地支配責任の否定とレイシズム
● 戦後日本における植民地支配責任否定
話は戦後に飛ぶ。植民地支配が生み出したさまざまな問題が1945年以降しっかり清算されていれば、今日のような状況はなかったと思う。
戦犯裁判と講和条約(賠償問題)などの「戦後処理」に植民地後処理が欠落してきた。戦犯裁判についていえば、日本の植民地住民の被害という側面が欠落していたところが非常に大きい。
イギリスやフランスの植民地の住民への戦争犯罪は通例の戦争犯罪として裁かれた。しかし日本の植民地住民への問題、朝鮮人への戦争犯罪はむしろ裁かれないことになってしまう。
講和条約の対日賠償方針、初期にはかなり日本から賠償を取り立てる厳格方針から始まった。しかしアメリカからすると、日本のすぐ横にソ連があり、西側陣営のハブのような存在として活用していきたいとの意向が強まり、無賠償の方針に傾いていく。
参加52か国中46か国が賠償放棄しており、そのなかに旧植民地の韓国、朝鮮、台湾などは招待されないなかで、合意が決まった。
朝鮮の独立や台湾の領土権放棄を認め、今後の議題として財産等についての「請求権」に関して、日本と触接話し合って決めるように定めた。植民地被害への賠償問題は不明瞭なところがあるような状況で、二国間交渉に委ねられた。
1965年日韓条約が結ばれる。基本条約が結ばれるなかで経済協力(無償3億ドル、有償2億ドル)、これは損害賠償という位置づけはなされていない。独立祝い金といわれたままだ。被害者補償ではない。
財産等の請求権は永久に放棄する、これがいったい何を放棄したのか、どこまで合意したのか、これがいまに引きずることになっていく。
● 戦後日本のレイシズム
帝国意識とでもいうものが戦後解消されたかというと残念ながらやはりそうはいえない。1950年代の調査と60年代の調査がある。
「日本人の人種的偏見」という調査(1951)で、好きな民族の上位はアメリカ人、フランス人、嫌いな民族の上位は朝鮮人、ロシア人だった。
60年代の「偏見の構造」(1967)で「〇〇人が日本に住むことに賛成か反対か」を聞き、反対がいちばん高いのが朝鮮民族、すでに定住化している状況なのに日本に住むことに反対という人が1/3もいる。
戦後日本で「帰れ!」とは実際にはいわない人のなかにも、それに似た感情を持つ人が1/3くらいいることでもあったわけだ。外国人全体への拒否度が高いわけではなく、植民地主義の産物としか言いようがないと思う。
● 現代日本における歴史否定論とレイシズムの連動
これは50年、60年前の話かというとそうでもない。とくに歴史修正主義の流れとレイシズムがいろんなかたちで連動してきている事例を紹介する。
1)『マンガ嫌韓流』(2005)
ベストセラーになったマンガで、かつて日本人がやったことを正当化、美化するという点は大きく変わっていない。韓国から論争を挑む人がやってきていろいろ主張するが日本人の主人公がそれをやっつけるといったシーンでずっと出来ている。
描き方も、正義の味方と暗く陰湿な感じに描かれた朝鮮人というステレオタイプを多用した、そういう意味で植民地支配肯定論とレイシズムの混在の典型みたいなものだ。
2)フジ住宅(2015-22)
企業で、嫌韓的なマインド、それも歴史修正主義を媒介にしたものがある。フジ住宅という上場企業の会長が、たとえば「WiLL」という雑誌でこれがいいと思った記事に自分で傍線を引き全従業員にコピーを配布する。
平均2.7日に1回だ。そして社員に感想文を書かせ、会長が「いいね!」と感じた部分にまた傍線を引きコピーを全従業員に配布する。たとえば従業員が「韓国は最低な国家・人間集団です」と書いていると線を引いて配る。
長年パートタイムで働いていた在日コリアン2世が苦痛で、やめてくれといったがやめてくれない。最終的に会社から退職勧告まで受け裁判を起こし「差別的思想が醸成・放置されない職場で労働者は働く権利がある」とされ勝訴した。
3)ウトロ放火事件(2021年8月)
犯人は、はじめあいちトリエンナーレの「平和の少女像」展示を知り火をつけようとしたが警備が厳重だったので、名古屋の韓国学校に火をつけた。次に京都国際高校(元・韓国学園)に行こうとしてウトロの情報を知り、なんの関係もないのに火をつけた。
犯人は「かねてから私は、竹島問題、慰安婦問題や徴用工問題等から歴史を歪曲し、大げさにしている韓国人に対して嫌悪感を抱くようになり」「次第に在日韓国人を追放したいと思うようになり」、こういうことをすればみんな目覚めるのではないかと思って火をつけた、と供述した。
たまたま人的被害は出ずにすんだが人が亡くなってもおかしくない非常に深刻なヘイトクライムまで引き起こした。
ほんの数例、現代日本の歴史否定論とレイシズムの連動をあげた。朝鮮学校へのバッシングもこの流れのなかに位置付けられる。
3 植民地支配責任の追及とレイシズムの克服
● 戦後日本における植民地支配責任の追及
戦後日本では、植民地支配責任否定にただ流されたかというとそうではない。戦犯裁判に対し当時から朝連などを中心に在日朝鮮人の批判の声があり、元朝鮮総督・南次郎などの判決が出ると「わが朝鮮に対する条項は一言一句も見出されなかった」と批判した。講和条約に対しては、南北朝鮮とも植民地化での犠牲への賠償を求める動きがあった。
日韓会議に関しても、日本のなかでも反対運動がかなり活発化した。日本朝鮮研究所などのように植民地支配責任論が提起されたのも60年代だった。
● ダーバン宣言と世界の状況
現代の話では、日本以外の植民地で、旧植民地がさまざまな抵抗・賠償を求める声がいろんなかたちで噴出したのが90年代、2000年代、そして今日に至る状況であることを確認しておきたい。
90年代、開発して借金まみれにした先進国に対し、かつては奴隷植民地支配で利益を得ておいて、今度はわれわれを借金まみれにするのかということで賠償に関する汎アフリカ会議が開かれ、あるいはアメリカではハワイ王国の転覆に対する謝罪が行われた。
またドイツの旧植民地の南西アフリカ・ナミビアのヘレロという民族集団に対する集団虐殺や強制収容に対してドイツの国と企業を提訴、フランスに対しハイチが、イギリスに対しケニアが裁判を起こした。インドネシア・ラワルデ村事件でもオランダが賠償金を支払った。
こういうものの象徴的な出来事が2001年にダーバンで開かれた人種差別に関する世界会議であった。
人種差別の歴史を遡ると奴隷制や植民地支配に行きつく。この奴隷制植民地支配の問題を放置してきたことが現代のレイシズムにつながることを提起した。一方EU諸国、アメリカ、日本などは、植民地支配がレイシズムの源泉であったことは認めるが、謝罪・賠償はなく「遺憾」とするに留めた。
しかし植民地支配や奴隷制の責任が国際的な場で公的に問われたのは画期的だ。また植民地主義がレイシズムをもたらしたことも宣言に取り入れられた。民間宣言でなく、日本政府も参加している政府間宣言のなかで言っている。
植民地支配を成立させたレイシズムの暴力があった、そこには自己優越の思想、人権蹂躙、加害がなされた。
それに対し悲惨な差別・被害を受け、それに抗い闘争した人がいる。レイシズムの暴力と闘ってきた歴史を記憶し継承し、そのうえで現代のレイシズムを克服し、同時に植民地支配責任を追及していく、これが大事だ。
● 現代日本の課題
歴史修正主義と闘うことは今日からでもできる。
今後の若い世代に伝わっているかというと、なかなか伝わっていない。インターネットやサブカルチャーの活用は大事だ。
反レイシズムの側が不断に司法、行政に働きかけていくことはすごく大事だ。民間人はしっかり裁かれるが、国・行政・政治家は無傷のままという状況がある。
人種差別禁止条約に加入しているのにその国内法がない、判決をちゃんと出そうと思っても、判事はすごく工夫して判決を出すしかないという状況がある。人種差別禁止基本法のようなものを整備する必要がある。
また大事なこととして日朝国交正常化がある。朝鮮学校攻撃のひとつの大きな口実にされているのは日朝の断絶であると考えると、これも大事な課題である。
☆ このあと韓国ゲスト・金英丸さん(キム・ヨンファン 民族問題研究所対外協力室長、日韓歴史正義平和行動共同執行委員長)から「日米韓軍事同盟化の現状と韓国民衆の闘い」というスピーチがあった。
ユン・ソニョル政権は、ムン・ジェイン政権がやったすべての政策、たとえば朝鮮半島平和プロセス、脱原発政策を全面否定し、検察独裁、マスコミ弾圧、大法院判決を否定する第三者弁済を推進している様子がよくわかった。
また第三者弁済を拒否した被害者に、市民が募金を募り8月に手渡したことが語られた。
☆ この集会では毎年韓国のゲストのスピーチがある。
金正恩総書記の韓国・敵国視や4月の総選挙を巡る「共に民主党」の内紛への最新の韓国内の見方なども聞きたかったが、そういうコメントはなかった。
一方、1936年東京・北千住生まれのお母さんの話や千住大橋近くで母方祖父の遺骨を発掘した話など、ファミリーヒストリーをお聞きでき、親しみがわいた。
その他、韓国サンケン労組弾圧と闘う尾澤孝司さんから5月13日控訴審第1回の傍聴要請など特別アピールがあった。
この日の集会宣言はこのサイトで見られる。
※ 講演で触れられたウトロ放火事件について、事件を取材し、犯人と面談や文通した新聞社の方の話を、ある集会で聞いた
犯行時22歳の青年は、SNSや2ちゃんねる、爆サイなどのネット掲示板の「在日特権」というデマやヘイトスピーチを真実だと思い込み、「放火」というヘイトクライムを犯した。
懲役4年の判決を受け、服役後も文通をしているが反省の色はみえない、とのことだった
(文責は筆者にある)。
『多面体F』(2024年03月08日)
https://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/51cede677148ddb05eba489860cb51ef
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